大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

ササゴイの幼鳥とモンキアゲハ

2019年07月31日 | 鳥・昆虫
先日の大分への旅、別府の駅前でササゴイの幼鳥(30センチ位)に、また臼杵市内数か所でモンキアゲハ(片羽根6センチ位)に出会いました。

ササゴイは、別府一番の交通量の多い駅前通りの歩道上で出会い、すぐ横を歩行者が通りますがほとんど気にすることなく歩いており、途中で左折しビル前の水たまりで水面を見つめていました。
バスが来ましたので、その中に魚がいたのかどうかは不明でした。

ササゴイ(笹五位)
サギ科。全長40~50cm。
本州以南の河川や湖沼に飛来し、近くの樹上で繁殖する。河川、湖、池沼、湿原、水田などに生息する。
薄明薄暮性で主に夕方活動し、昼間は水辺の森林で休むが昼間や夜間に活動することもある
食性は動物食で、魚類、両生類、甲殻類などを食べる。水辺で獲物を待ち伏せて捕食する。

羽毛の外縁(羽縁)は白い。その白い羽がササの葉に見え、和名の由来になったと考えられている。
虹彩は淡黄色で、よく似ているゴイサギの虹彩は赤いので見分けられる。
日本では5~6月に3~6個の卵を産み雌雄交代で抱卵し、抱卵期間は21~25日。育雛は雌雄共同で行う。雛は孵化してから40~45日で巣立つ。


モンキアゲハは、臼杵駅近く、臼杵城跡、臼杵石仏にて忙しげに、また優美に飛び回っているのに出会いました。
出会ったのは紋が白かったので羽化間もなくであったようです。
写真は水たまりでの吸水の様子です。

モンキアゲハ(紋黄揚羽)
アゲハチョウ科。

インド、ヒマラヤ山脈、東南アジアと周辺の島嶼、中国、台湾を経て日本まで分布する。
日本では関東以西に分布し、南方系の種類として位置づけられる。広い分布域の中で多くの亜種が知られ、このうち日本に分布するのは亜種の一つとされる。

日本最大級のチョウ(開張11~14㎝)で、後翅に黄白色の大きな斑紋があるのが特徴。
翅は大きくて幅広く、後翅には尾状突起がある。色は全体的に黒いが、後翅には和名通り大きな黄白色紋があり、黒色系のアゲハチョウ類の中では比較的簡単に他種と区別できる。この斑紋は羽化したばかりの時はほぼ白いが、日数が経つにつれて黄色みを帯び標本などでは黄色に近くなる。

また、黄白色斑の周辺には小さな三日月状の赤い斑紋が並ぶ。メスはオスに比べてこの赤斑が大きい。また、南に行くほど配色はより鮮やかになる。
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別府

2019年07月28日 | 史跡
7月24日、ぐっすりと眠り遅めの朝食を済ませて9時過ぎホテル発。
バスの一日乗車券を購入して別府ロープウエィ経由阿蘇九重国立公園の鶴見岳へ。
僅か10分ほどで鶴見山上駅着、標高1300mの温度計は20度、下界とは10度ほど低く一気に汗が引きます。

山頂までウオーキング、途中の展望台からは別府市内が一望でき、今夜乗って帰る別府観光港のフェリーも眼下に。
ウオーキングの途中では、カッコウやヒグラシの鳴き声が響き赤とんぼも飛んでいて一気に秋の気配が感じられます。
山頂の1375mに到着。別の展望台からは由布岳がすぐ目の前に。

鶴見岳(女性・写真下左)を巡って、姿形が美しく優しい由布岳(男性・写真下右)と力強い祖母山(男性・宮崎県境)が争ったが決着がつかず鶴見岳に選んでもらうこととし、鶴見岳は由布岳を選んだ、結果祖母山は南に去り鶴見岳と由布岳は今もすぐ近くに仲よくそびえています。
二つの山の仲が熱いので今も別府と由布院には、熱い温泉が湧き続けている。との言い伝えがあります。

また、鶴見岳はミヤマキリシマ(写真上右の手前灌木)の群生地でもあり、5月の開花時期には美しいピンクの花で一面が覆われるそうです。(写真は絵葉書)

ロープウエィで下山、別府駅まで戻り遅めの昼食。
新鮮な魚が美味しく、今晩の夕食を弁当にして頂くよう依頼したところ天ぷらならできますとのことで、お願いしました。
昼食後、近くの竹瓦温泉へ。

竹瓦温泉
明治12年創設で、当初建築されたものは竹屋根葺きの浴場でその後改築されたものが瓦葺きであったため、竹瓦温泉の名称がついたと伝えられています。
現在の建物(近代化産業遺産)は昭和13年に建設されたもので正面は唐破風造の豪華な屋根をもつ温泉となっており、その外観は別府温泉のシンボル的な存在となっています。
天井の高いロビーは昭和初期のイメージを残しており、湯上りにくつろげるスペースとなっています。

この温泉には、温泉の他に砂湯があるとのことでしたので行ってみました。
指宿と違う所は海岸線からは離れており且つ建物の中にあることです。浴衣に着替えて砂場へ。
入り口等は男女別ですが、砂場は男女同じで相棒と並んでの入浴でした。

暖かい砂の上に仰臥し、胸、腹、足と順に砂をかぶせていき、最後に首の下に砂を盛り上げて終了。
砂かけさんは外人の男性、所要時間を尋ねると10分、とのこと。私達の時も外人さんが入浴されていました。
しばらくしますと全身が温まるというより熱くなり顔面は汗びっしょり、あっという間の10分でしたが、全身から噴き出した汗で体中の老廃物が全て出たような感じがし、すっきり感がありました。

シャワーで砂を洗い落とし、温泉に浸かって終了。
風呂上りに私はアイスクリーム、相棒は冷たい牛乳。何時もは半分しか食べられないアイスクリームを一人で全部食べました。
相棒は、ロシアから一人で来日のお嬢さんと歓談。

夕方に近づいてきましたので、お弁当を受け取り別府観光港へ早めに到着。
(写真上・鶴見岳山頂からとった帰りのフェリー)
18時45分発、窓から夕景を眺めながら夕食を冷酒とともに頂き、またしてもバタンキュー。

7月25日6時35分定刻に、サンフラワー第一ターミナル着。
50数年前、天保山から別府まで新婚旅行で利用した船旅。
今回は、臼杵石仏や別府での砂湯等その時経験できなかったことを相棒と共に楽しめ、思い出深い素晴らしい旅となりました。
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臼杵市内散策

2019年07月26日 | 史跡
7月24日朝JR臼杵駅着、臼杵石仏へのバス待ちの間、臼杵城跡へ。

臼杵駅のホームで珍しい駅名板を発見。「うすき」と次の駅「かみうすき」が「う♡」と「かみ♡」になっています。

臼杵城跡
戦国時代、九州6カ国(豊前・豊後・筑前・筑後・肥前・肥後)を治めたキリシタン大名大友宗麟が弘治2年(1556年)頃、四方を海に囲まれ天然の要害であった丹生島に丹生島城(臼杵城)を築く。その後海を埋め立て現在は臼杵湾(北)・臼杵川(西)・海添川(東)と南は小高い丘に囲まれている。大分県史跡。
写真上右全景と写真上右二の丸大門櫓(平成13年木造復元)
写真下左・天守台跡と写真下右・立派な石垣からの臼杵市内

大友宗麟は、21代当主として家督を受け継ぎ、海外貿易で得た富と優秀な家臣に恵まれ永禄3年(1560年)には九州6カ国の守護職と九州探題に任じられた。天正6年(1578年)には受洗しドン・フランシスコと称した。
関ヶ原の戦い以後、稲葉貞通が入封。以後稲葉氏により明治維新まで治められた。
城内には、赤い鳥居が長く続く卯寅稲荷神社や護国神社もありました。

臼杵石仏を見学後、バスで臼杵市内へ戻って史跡を巡ります。
吉丸一昌記念館⇒龍原寺⇒稲葉家下屋敷・平井家住宅⇒臼杵駅。
相棒は、私が龍原寺・稲葉家下屋敷他見学の間、野上弥生子文学記念館へ。

吉丸一昌記念館
明治6年この地で生まれ、第五高等学校(夏目漱石に指導を受ける)から東京帝大へ進学。この頃から修養塾と称し少年10名ほどと生活を共にして勉学はもとより衣食住から就職までの世話をした。

明治34年東京府立第三中学校(現両国高校)の教諭に就任、ここでは芥川龍之介を指導。明治41年東京音楽学校の教授に招かれ生徒監に就任。文部省からは「尋常小学唱歌」の編纂委員で作詞の主任に任命。明治45年より童謡の先駆となる「新作唱歌」全10集を発表。
この中に、「早春賦」「故郷を離るる歌」「蛍狩り」等今も歌い続けられている200以上の歌を作っている。
大正5年、43歳で他界。

記念館は、ユキ夫人の実家(旧板井家)で平成6年開館。楽譜等の遺品が多数展示されている。

龍原寺
慶長5年(1600年)創建。浄土真宗。境内の三重塔は太子塔とも呼ばれ聖徳太子を祀る塔で重文。
九州に二つしかない江戸期の木造三重塔の一つ。

稲葉家下屋敷
廃藩置県に伴って東京へ移住した旧藩主稲葉家の臼杵滞在所として明治35年に建築。江戸時代、周辺一帯は臼杵城の三の丸にあたり評定所・米蔵や重臣の屋敷等が連なっていた。建築は近代に入ってからのものですが、御門・大書院(写真下左)・御居間棟等武家屋敷の様式を色濃くとどめた建築です。国の登録有形文化財。

隣接の旧平井家住宅へは庭続きでつながっています。

旧平井家住宅
安政6年(1859年)築の武家住宅。江戸時代には藩主の親類にあたる稲葉家(禄高200石)の居宅として使用された。臼杵藩では上級武士の住宅である。

稲葉家門前の用水路には色とりどりの大きな錦鯉がゆったりと泳いでおり、臼杵の町が穏やかで住みやすそうな感じを持ちました。

野上弥生子文学記念館
明治18年生、実家小手川家は酒造業(現在の小手川酒造)。幼少の頃より学校教育のほか国文・漢文の古典と英語の個人教授を受ける。14歳で上京明治女学校に入学。卒業後同郷の野上豊一郎(後に法政大学学長)と結婚、21歳で習作「明暗」を執筆、続いて処女作「緑」をホトトギスに発表。また、「青鞜」の創刊に協力し女性の自立の方向を模索。
夫の師夏目漱石から「明暗」に対する1.5mもの長文の批評と励ましを受け、以後漱石門下生となり多くの影響を受ける。
昭和60年、99歳で逝去、「海神丸」「真知子」「迷路」「秀吉と利休」等多数の作品を残す。

相棒と稲葉家下屋敷前で落ち合いバスで臼杵駅へ。
本日の行動計画は終了、JRで別府大学前まで移動。
宿は、駅から徒歩5分ほどの別府湾近くで客は最大6組・温泉は内風呂2、露天風呂1の三か所で入り口に履物がなければどうぞ、とのシステム。

まず、露天風呂にて本日の疲れを癒し、夕食へ。
相棒も火照った体にビールが美味しそう。数々のご馳走に、いつものことですが冷酒が進みます。
就寝前、今度は内風呂へ。
すっかり気持ち良くなり、素晴らしい臼杵石仏や臼杵市内の史跡に出会った感動に浸る間もなくバタンキューでした。
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臼杵石仏

2019年07月25日 | 史跡
7月22日から25日、往復フェリーを利用して相棒と共に別府へ。
22日19時5分、地下鉄トレードセンター前駅すぐのサンフラワー第一ターミナル出発。
翌朝6時55分別府観光港着、ライトアップされた明石大橋を潜った後一眠りしている間に九州へ。

別府駅までバス利用、JRで臼杵駅からバスで臼杵石仏へ。
下りたところでボランティアガイドのO氏と待ち合わせ、ご案内頂きます。

まず、石仏について、岩肌を削って彫り出した石仏を磨崖仏と呼び、切り出した岩に彫った仏像は石仏と呼ぶとの説明。要は持ち運びできないものは磨崖仏、持ち運べるものは石仏ということのようです。

最初に、ホキ石仏第二群(写真上左勢至菩薩・阿弥陀如来・観音菩薩)・ホキ石仏第一群(写真下右薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来と写真下右勢至菩薩・阿弥陀如来・大日如来・釈迦如来・観音菩薩)

臼杵磨崖仏
中央の谷を挟んで西側のホキ石仏第一群・第二群(ホキは崖のこと)と東側の古園石仏・山王山石仏との四群で構成され61体の石像全てが国宝。

制作時期は、平安後期から鎌倉期(各像ごととほぼ特定されている)。
制作者は、当時この地を支配していた地方豪族の臼杵氏が一族の極楽往生と安寧を願って中央の一流の仏師(木造の仏師)を招き造らせた。この地は関白家であった藤原氏一族の九条家の荘園であり、臼杵氏はその管理にあたっていた。

当初は、龕(ガン・仏像を納める厨子)を覆う屋根もあったようだが長期間野ざらしの状態が続き、風化・内部からの浸水や材質が阿蘇溶結凝灰岩(火山灰が積もったもの)のため脆い事もあり傷みが激しく、昭和30年代と50年代から平成にかけての二度の修復により現在の姿となっている。

平成7年第二期保存修理工事終了後59体が国宝指定、残る二体の金剛力士像は平成29年国宝に追加。

次いで山王山石仏(写真上阿弥陀如来・釈迦如来・薬師如来・写真上右金剛力士)と古園石仏(写真下大日如来を中心にし左右に各六体の菩薩等)を見学。

昼食後、近くの蓮畑へ。
一周800mの池では第7回目となる蓮まつり開催中。美しいピンクの蓮の花は、石仏の里に似合っているようで蓮の花越しに見る石仏の覆いとも調和がとれているようでした。

最後に、蓮畑近くの満月寺にお参りをしてバス停へ。
満月寺には、鎌倉後期作の宝篋印塔があり高4mで日本最大だそうです。
バスで臼杵市内へ。

ボランティアガイドさんのお蔭で楽しく判りやすく臼杵石仏のことが学べました。
Oさん、有難うございました。

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ラグビーワールドカップ・ロールトレーニング

2019年07月14日 | 催事
昨日、大阪府咲洲庁舎にてラグビーワールドカップボランティアのロールトレーニングに参加。
ラグビーワールドカップ2019日本大会が全国12会場で開催され、9月20日の東京スタジアムでの日本対ロシア戦で幕を開けます。

私の参加する東大阪花園ラグビー場では9月20日から4試合が行われます。
ボランティア参加日は未だ決まりませんが、事前の研修会は順次進んでおり、8月末のベニュートレーニングが最後の研修になって本番を迎えます。
本日の研修会には、100名を超える参加者があり各マニュアル(写真下右)に従って活動内容が説明され、いよいよ近づいてきたことが実感できました。
参加者の役割は街なか&ファンゾーンで、空港・府内主要駅でのガイド、天王寺てんしばと花園ラグビー場での来場者へのおもてなしです。私は花園ラグビー場周辺での活動の予定です。
(写真上右と写真下左はバインダー)

活動にあたっては、笑顔とフレンドリー・相手の目線で・チームの一員としての自覚と情熱をもって・ENJOYを忘れず来て頂いた観客に来てよかったと笑顔で帰って頂けることが目標です。
私も観客達も一生に一度の体験を楽しめるよう、お手伝いをするつもりです。

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