大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

番匠堂・石神堂(四天王寺)

2016年12月31日 | 四天王寺
昨日、本年最後のお墓参りで四天王寺へ。

西門前には門松が飾られ、正月間近を思わせます。
中心伽藍東重門の外側に、こじんまりしたお堂「番匠堂」と「石神堂」があります。

番匠堂
堂内には曲尺を持つ聖徳太子像が祀られており、建築関係者の信仰が篤い。
堂前に建つ「六字名号」の石碑が一画、一画を鋸・錐・鉋など大工道具をデザインした文字で書かれている。

聖徳太子は、日本に仏教を広められると共に、わが国に朝鮮半島・百済国より番匠と称される数多くの名工を招請され、高度な建築技術を導入された。

このご事蹟をお慕いし、大工・建築技術の向上、工事の無事安全を願う建築に携わる人たちの間でお太子様を曲尺太子としてお祀りされるようになった。

毎月22日(聖徳太子の命日)には、ご開帳される。
また毎年11月22日は、「番匠堂曲尺太子奉賛法要」があり、その際に授与されている「曲尺太子御守り」という木製でできたお守りが授与(11月22日から30日)される。

石神堂
牛王尊を祀る。
四天王寺建立の際に、材木を運搬していた牛が伽藍が完成すると石神に変わってしまったという伝えがあり、その石神の上に堂が建てられた。

動物慰霊のお堂で、後世「牛が草を食う」が転じて「瘡(くさ)をとる」という信仰が生まれ、「南無大聖牛王尊(なむだいしょうごおうそん)」と一心に唱え、手を合わせれば傷や腫れ物平癒に功徳があるそうです。
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ミステリーツアー(その2)

2016年12月28日 | 旅行
翌27日朝、外は予報通り雨、出発して最初の訪問地「橋杭岩」へ着いた時には暴風雨。
私達はバスの中からの見学。

バスは引き続き東北へ向かい、太地町、新宮市を過ぎ大阪からは遠ざかります。

次の訪問地は、世界遺産登録の日本最古の神社「花窟(はなのいわや)神社」へ。
先ほどの暴風雨が嘘のように雨風が止みましたので下車して参拝。
古来、花窟神社には神殿がなく、熊野灘に面した高さ45mの巨巌を伊弉冊尊の御神体とし、その下に玉砂利を敷きつめた祭場そして、王子の岩と呼ばれる高さ12メートル程の岩がある。
その岩と対岸の塔に縄を渡す御綱掛け神事は県無形文化財に指定。

引き続きバスは東北方向へ向かい「鬼ヶ城」着。
世界遺産に登録された鬼ヶ城は、伊勢志摩から始まるリアス式海岸の南端に位置し熊野灘の荒波に削られた大小の海蝕洞が約1.2km続く凝灰岩の大岸壁。
海沿いのゴツゴツした岩場を注意深く歩いて見学。

車中でガイドさんが昼食は伊勢神宮でとアナウンス、皆さんからワッァ!と歓声。
驚きました、まさかお伊勢さんまで行けるとは思ってもいませんでしたので、紀伊半島一周の旅が実現しました、まさにミステリーツアーです。

伊勢神宮の内宮を参拝後、おかげ横丁で遅めの昼食。
満腹で「神話の館」へ。
日本神話の国生みから天孫降臨までと天照大神を伊勢に導いた倭姫命の物語を映像と和紙の人形によって紹介されています。

3時集合、一路大阪へ。
難波着6時30分、橋杭岩では暴風雨に遭いましたが、その後は降られることなくラッキーでした。

早々引いた風邪もやっと治り、何とか旅に行けました。
今年も元気で過ごせた事を相棒に感謝、来年もよろしく。
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ミステリーツアー

2016年12月28日 | 旅行
12月26日から一泊でミステリーツアーに参加。
9時30分難波集合、バスは高速道路で和歌山方面へ、
昼食場所に着いて最初の訪問地が判明、「安珍清姫伝説」の道成寺です。
何度来ても女性の怨念の恐ろしさが体感できます。

引き続き南下、阪和自動車道南部で下車、紀州梅干し館で梅干工場見学と梅酒作り体験。
私はホワイトリカーで、相棒はブランデーで、各々の分を作りました。
作った梅酒はお土産に頂き、梅を使ってのジャムづくりには梅を冷凍しておくことがよい事を教わりました。

バスはさらに南下し串本へ。
串本では、「トルコ記念館」へ。
「トルコ記念館」では、明治23年6月木造の軍艦エルトゥールル号によりトルコ皇帝特派使節が来日し明治天皇へ表敬後9月帰国の際、台風の時期でもあり帰国の時期を遅らせるようにとの注意もむなしく遭難。
痛ましくも587名の将兵が殉職、生存者は69名という惨事となり、その際地元民は献身的な救助と介抱を行い、知らせを聞いた明治天皇は、政府に対し可能な限りの援助を行うよう指示した。
各新聞は衝撃的なニュースとして伝え、義捐金・弔慰金も寄せられた。
その後、日本の軍艦により生存者を本国へ送還したこと等によりトルコ国との友情が芽生え、現在に至るまで串本町では5年に一度追悼式典が行われている。

次いで、徒歩で日本最古(明治3年築)の石造りの「樫野崎灯台」を見学。
現在は自動点灯の無人灯台で、明治3年建設された樫野埼灯台旧官舎は国登録有形文化財。
白亜の無人灯台は、内部へは入れないが外部階段から灯台に上ることができますので早速上ってみて、遥か太平洋を望み地球の丸い事を体感した後ホテルへ。

体は暖かく顔は風で涼しい露天温泉に浸かって今年1年の汗を流しました。
本日は時折青空も覗き雨に遭うことなく良かったのですが、明日の予報は大雨のようです。

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第九

2016年12月25日 | 催事
昨日は新歌舞伎座での第九(合唱付)へ。

指揮は、N響に抜擢されたヴァハン・マルディロシアン氏、アルメニア人でピアニストとしても活躍中。
管弦楽・関西フィルハーモニー。
ソプラノ・日紫喜恵美、アルト・田中友輝子、テノール・松原友、バリトン・大谷圭介、合唱・大阪アカデミー合唱団他。

満員の観客、いよいよ開演です。
第1楽章から第3楽章を終えたところで、合唱隊に次いで各パート担当の4名も登壇。
クライマックスの合唱では皆さん熱心に聴き入り70分を超える演奏が終了、盛大な拍手に指揮者と4名は何度も応えられていました。

第九
ベートーヴェン作曲の交響曲第9番ニ短調作品125。
日本では親しみを込めて「第九」と呼ばれる。

歌詞にはシラーの詩「歓喜に寄す」が用いられ、原曲の歌詞はドイツ語。
第4楽章は有名な「歓喜の歌(喜びの歌)」で、シラーの詩「歓喜に寄す」から3分の1程度を抜粋し、一部ベートーヴェンが編集した上で曲をつけたものである。

EUの歌として採用され、ドイツでは歴史の節目にFreude(喜び)をFreiheit(自由)に変えてよく歌われているそうです。

日本では、徳島県鳴門の坂東俘虜収容所に収容されたドイツ人捕虜によって結成されたオーケストラによって1918年6月1日第九を演奏されたのが日本での初めての演奏。

ドイツ語を学習中の相棒は、ほぼ歌詞を理解しているようですのでより楽しかった事でしょう。
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春日若宮おん祭り

2016年12月20日 | 催事
12月17日、クラブツーリズム主催の「おん祭りポイント講座」に参加後「春日若宮おん祭り」を見学。

近鉄奈良駅ビル5階に集合、講師は奈良まほろばソムリエの会のI氏。

春日若宮おん祭り
1300年前、奈良の都に国の繁栄と国民の幸せを願って創建された春日大社、春日若宮神社は春日大社の摂社。

平安時代の長承年間、大雨洪水により飢饉が相次ぎ疫病が蔓延したので、その救済のため関白藤原忠通が保延元年(1135年)9月17日現在地に大社と同規模の壮麗な若宮の神殿造営。

翌年9月17日(旧暦)興福寺の庇護の元、春日野に神霊をお迎えし丁重なる祭礼を挙行したのが、おん祭りの始まり。
霊験あらたかで長雨洪水も治まり晴天が続き以後五穀豊穣、万民安楽を祈り大和一国を挙げて盛大に執り行われ880年にわたり途切れることなく今日に至る。

講座をお聞きし、窓際に席を移しお渡り式(ご神霊が多くの供奉を従えてお旅所の行宮へ遷ること)を見学。

コースは、興福寺⇒県庁前⇒近鉄奈良駅前⇒JR奈良駅前⇒三条通⇒一ノ鳥居⇒影向の松前⇒お旅所。

保存会会長・市長等の先行行列の後、日使・巫女・細男、相撲・猿楽・田楽・馬長児・競馬・流鏑馬・将馬・野太刀・大和士・大名行列と続く総勢千人・馬50頭に及ぶ大行列が、大人も子供も外人も古式床しい時代装束に身を包み各々の所作を繰り広げる様子は華やかでした。

約1時間の見学後昼食を済ませて、奈良国立博物館へ。
「おん祭りと春日信仰の美術」を見学して帰途に。

素晴らしい晴天の中、久しぶりに和服に袖を通した相棒と共に、日本の伝統に触れることのできた楽しい一日でした。
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