5月27日、南東北の旅の最終日。
本日の訪問地は、大内宿と鶴ヶ城。
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出発前、青空の下相棒と共にホテル周辺の白樺林とタンポポが咲き乱れる草原を散策。
8時15分ホテルから福島県内の一般道を南下、バスで1時間40分大内宿へ。
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大内宿は、南会津の1000m級の山々に囲まれた標高660m前後にある小規模な盆地の東端にあり江戸時代の下野街道の半農半宿の宿場町。
450mの街道沿いの両側に茅葺屋根の民家が立ち並び、重要伝統的建造物群保存地区に選定され福島県を代表する観光地の一つ。
民家全てが土産物店、飲食店や宿泊施設を営んでいる。
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街道沿いの民家両側とも2~3m程前面には綺麗な流れの幅数10cmの溝があり、それに挟まれた幅5~6mの通りは多くの観光客であふれています。
通り中程に一際立派な茅葺屋根の民家、本陣で町並み展示館になっています。
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町並みの奥の小山には、子安観音堂(写真上右)・弁天様と見晴らし台があり、階段が2カ所あり82段と97段ありました。
見晴らし台からは、当時そのままであろう町並みが一望できました。
街道沿いの建物の全てが茅葺き屋根、という素晴らしい景観を見ることができ江戸時代にタイムスリップできました。
最後の訪問地鶴ヶ城までバス移動50分。
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鶴ヶ城は正式名若松城で、至徳元年(1384年)葦名直盛がはじめて館を築き、改修を経て天下の名城となった。
代々の城主は、葦名直盛・伊達政宗・蒲生氏郷・上杉景勝・蒲生秀行・加藤嘉明・保科正之と続き松平容保の際戊辰戦争で開城。
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難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は、戊辰戦争で新政府軍の猛攻の前に籠城一ヵ月、城は落ちなかった。石垣だけを残して取り壊されたのは明治7年のことである。
昭和40年天守閣が復元、平成13年に南走長屋・干飯櫓が赤瓦により復元(写真上右)。
平成23年春には天守閣を幕末時代の瓦(赤瓦)に葺き替え、赤瓦の天守閣として日本で唯一となった。
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城内の千利休の子・少庵が建てたと言われる茶室麟閣(県重文)や滝廉太郎作曲の荒城の月の碑を見学。
荒城の月の作詞は土井晩翠ですが、鶴ヶ城と青葉城(仙台)とをモチーフにされたようです。
3時間半のバス移動で上越妙高駅へ。
18時35分発、金沢で乗り換え、日本海が夕日に映え沈むのを見ているうちに定刻通り大阪駅着22時31分。
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今回のツアーは、私の行きたかった山寺・大内宿・鶴ヶ城の見学があり、いずれも素晴らしく相棒と共に楽しい思い出になりました。
特に山寺の石段はこの先年齢のことを考えると行っておいてよかった思っています。
残念だったのは飯盛山に行けなかった事ですが、いつかの楽しみにとっておきましょう。
本日の訪問地は、大内宿と鶴ヶ城。
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出発前、青空の下相棒と共にホテル周辺の白樺林とタンポポが咲き乱れる草原を散策。
8時15分ホテルから福島県内の一般道を南下、バスで1時間40分大内宿へ。
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大内宿は、南会津の1000m級の山々に囲まれた標高660m前後にある小規模な盆地の東端にあり江戸時代の下野街道の半農半宿の宿場町。
450mの街道沿いの両側に茅葺屋根の民家が立ち並び、重要伝統的建造物群保存地区に選定され福島県を代表する観光地の一つ。
民家全てが土産物店、飲食店や宿泊施設を営んでいる。
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街道沿いの民家両側とも2~3m程前面には綺麗な流れの幅数10cmの溝があり、それに挟まれた幅5~6mの通りは多くの観光客であふれています。
通り中程に一際立派な茅葺屋根の民家、本陣で町並み展示館になっています。
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町並みの奥の小山には、子安観音堂(写真上右)・弁天様と見晴らし台があり、階段が2カ所あり82段と97段ありました。
見晴らし台からは、当時そのままであろう町並みが一望できました。
街道沿いの建物の全てが茅葺き屋根、という素晴らしい景観を見ることができ江戸時代にタイムスリップできました。
最後の訪問地鶴ヶ城までバス移動50分。
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鶴ヶ城は正式名若松城で、至徳元年(1384年)葦名直盛がはじめて館を築き、改修を経て天下の名城となった。
代々の城主は、葦名直盛・伊達政宗・蒲生氏郷・上杉景勝・蒲生秀行・加藤嘉明・保科正之と続き松平容保の際戊辰戦争で開城。
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難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は、戊辰戦争で新政府軍の猛攻の前に籠城一ヵ月、城は落ちなかった。石垣だけを残して取り壊されたのは明治7年のことである。
昭和40年天守閣が復元、平成13年に南走長屋・干飯櫓が赤瓦により復元(写真上右)。
平成23年春には天守閣を幕末時代の瓦(赤瓦)に葺き替え、赤瓦の天守閣として日本で唯一となった。
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城内の千利休の子・少庵が建てたと言われる茶室麟閣(県重文)や滝廉太郎作曲の荒城の月の碑を見学。
荒城の月の作詞は土井晩翠ですが、鶴ヶ城と青葉城(仙台)とをモチーフにされたようです。
3時間半のバス移動で上越妙高駅へ。
18時35分発、金沢で乗り換え、日本海が夕日に映え沈むのを見ているうちに定刻通り大阪駅着22時31分。
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今回のツアーは、私の行きたかった山寺・大内宿・鶴ヶ城の見学があり、いずれも素晴らしく相棒と共に楽しい思い出になりました。
特に山寺の石段はこの先年齢のことを考えると行っておいてよかった思っています。
残念だったのは飯盛山に行けなかった事ですが、いつかの楽しみにとっておきましょう。