大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

奈良の紅葉

2017年11月30日 | 風景
昨日、奈良の紅葉と名寺社を巡るバスツアーに参加。
難波集合、相棒を含め参加者36名7時50分発。

本日のコースは、おふさ観音⇒八咫烏神社⇒大野寺⇒昼食⇒長岳寺⇒正暦寺。

おふさ観音はバラで有名な寺、バラの時期には何度か来たことがありますが、紅葉は初めてです。
やはりバラはほんの少ししか咲いていません、お目当ての紅葉はドウダンツツジとイチョウ。
特にイチョウは、境内一面を敷き詰めた黄色の絨緞と共に素晴らしく見事な黄金色の葉の美しさを鑑賞。

八咫烏神社
神武東征時、神武天皇一行が熊野の山中で停滞した際、天照大御神の命で大和の宇陀へ道案内をし天皇の勝利に貢献したのが八咫烏であり、続日本書紀には慶雲2年当地に八咫烏社を祀ると記載。
三本足の八咫烏は、日本サッカー協会のシンボル。

大野寺
白鳳9年(681年)役小角が開創、枝垂れ桜で有名。真言宗。
824年弘法大師が室生寺を開創時当寺を西の大門と定め本尊弥勒菩薩を安置し慈尊院弥勒寺と称し、地名を名づけて大野寺と称す。
鎌倉時代初期、後鳥羽上皇の勅願により宇陀川の対岸に屹立する崖に弥勒磨崖仏を造立。
弥勒磨崖仏は、高13.8mの窪みに11.5mの弥勒如来を線刻(日本最大級)したもので足場を含め大変な難工事だったそうです。
摩尼殿(弥勒の宮殿)で、当寺の歴史や弥勒は未来を救う仏であることも教わりましたので、家族の未来をお願いしました。
境内には、鉢植えの菊が盛りでした。

道の駅針テラスでの昼食を終え、長岳寺へ。
長岳寺では、遅めの紅葉でしたが美しい紅葉を堪能。

長岳寺
天長元年(824年)淳和天皇の勅願により弘法大師が大和神社の神宮寺として創建。真言宗。
以来約1200年間栄枯盛衰を重ねながら今日に至っている。文化財も多く仏像5体・建造物4棟が重文。
現在公開中の地獄絵(狩野山楽画)を住職の名調子にて説明を受け本堂からの見事な紅葉を満喫、今夏関西花の寺で訪問の際は酔芙蓉を楽しみましたが、住職は紅葉の時期にお越しくださいと話されていたことを思い出しました。
さすがに紅葉で名の通っているお寺らしく、まだまだ真っ赤な紅葉が広い境内を埋め尽くしていました。

正暦寺
正暦3年(992年)一条天皇の勅命により創建。真言宗。
創建当時の堂宇のほとんどは平家による焼き討ちや度重なる兵火により焼失、現在残っているのは江戸時代建立の福寿院客殿・護摩堂と大正時代再建の本堂・鐘楼など僅かのみ。
境内及びこけら葺きの福寿院客殿からの紅葉と狩野永納画の欄間・襖絵を見学。
ここで造られていた僧坊酒が、清酒造りの原点としても知られており、お土産に一本入手。

本日午前中は時々陽が射しましたが曇天、午後からは時々小雨の中今年の紅葉時期は早く最終盤の紅葉見物でしたが、見所の多いツアーに相棒と共に満足。



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第7回大阪マラソン

2017年11月27日 | 催事
昨日、三井VNETさんのお世話で第7回大阪マラソンのボランティア(参加者1万人)へ。
今年は、20km地点を少し過ぎた尻無川に架かる岩松橋の上での給水ポイント。
尻無川両岸の紅葉も美しくカモメが群れているのも海の近い事を感じさせます。

今年のボランティア参加者28名が、8時に大阪ドーム前千代崎駅前に集合。
二グループに分かれて岩松橋の上にて給水準備開始。

9時30分頃車椅子ランナーが過ぎ、10時過ぎには先頭ランナーが到着。
例年通り私達の前の水には見向きもせず、あっという間に駆け抜け、その後しばらくしてランナーの集団(参加者3万人)が到着し私達の水にも手を伸ばすランナーが増えてきます。
道路を埋め尽くすランナーの集団は、約2時間途切れることなく続きます。

しかし、20㎞地点から給水所は続いていますので立ち寄るランナーは余りいません。
最終ランナーが通り過ぎましたが水は大量に残って終了。
昨年は20km地点の給水開始地点でしたので、用意された水は全て無くなる多忙さと比べると楽でした、その代わりランナーへの声掛けで喉が少し痛くなりました。

12時過ぎからランナーの様子を見ながら撤収作業に入り、ランナーの最後を走るリタイアランナー回収バスが通り過ぎる頃には片づけほぼ終了。
大阪ドーム内で13名が昼食、この日は大阪ドームにてオリックスバッファローのファン感謝デイでグランドは多くのファンで埋まっていました。
私達は二階席でグランドを見学しながらの食事を終えて解散。

翌朝のニュース「すまたん」でYTVのアナウンサーたちがマラソンに挑戦、皆さんが完走されたことが放映されていました。
毎朝見ている「すまたん」のアナウンサーが挑戦すると伝えていましたので、給水作業の傍ら気を付けていましたが菅パンマンさんの走っているのを観ることができました。
皆さん完走お見事、お疲れ様でした。

私は、第一回からボランティアに参加してきていますが、毎回1年経つことの早い事を実感しながら元気なランナーとの交流で元気をもらっています。
これも、お世話頂く三井VNETの事務局とご一緒頂いた皆様のお蔭であり感謝です。
有難うございました。
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琵琶湖疏水ウオーキング

2017年11月25日 | 史跡
11月23日、明治ロマンの道ウオークで琵琶湖疏水沿いを相棒と共に参加。
京阪浜大津駅9時40分着、受付を済ませてスタート。

琵琶湖の疏水取水口から疏水沿いに進み大津閘門・第1トンネル東口へ。

第1トンネル
明治18年東京の工部大学校を卒業したばかりの田邊朔郎を土木技師に起工。内外の全ての人が完成を危ぶむ難工事でしたが日本初の竪穴方式を取り入れたトンネル工事で明治5年完工。
全長2436mあり完成当時は日本最長のトンネルで入り口には「気象萬千」(伊藤博文筆・意味は千変萬化する気象と風景の変化は見事なること)の扁額が残っています。この疎水による水力発電を採用したことにより工場建設・電気鉄道が進み、安定した水が供給され京都は活力を取り戻した。

平成30年には疏水通船運行が実現することになっていますので、機会を見て乗船したいものです。

そこからは小関峠越え結構な急勾配を上り、途中第1トンネル第1・2竪坑を見学し、第1トンネル西口から地上に現れた疏水沿いの見事な紅葉に疲れも吹き飛びます。昼食タイムになりましたので山科駅のレストランへ。

昼食後、地下鉄で蹴上駅の琵琶湖疏水記念館へ。
記念館前で見事な虹が青空に見事なアーチを描いていました。

本日は、ウオーキングを機会に京都の紅葉を楽しもうと思っていましたので、南禅寺へ。
多くの観光客と観光バスに埋め尽くされた道路をゆっくりと進み、南禅寺三門着。

午前中のウオーキングで結構歩きましたので、もう歩きたくないと思っているであろう相棒もあまりに綺麗な紅葉につられて三門を潜り、パチリ、パチリ。

本日は、琵琶湖疏水が学校出たての若い技師によりほとんど人力で完成したことを知り、日本人の優秀さを再確認できた上、天候に恵まれ美しい紅葉にも出会えた素晴らしい一日でした。
関係者の皆様有難うございました。
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桂文枝 「落語新世紀」公開録画

2017年11月24日 | 催事
11月22日、NHK大阪放送局での「桂文枝の落語新世紀」公開録画に参加。
公開録画観覧の申し込みをしましたところ、私の分が当たり相棒は残念ながら外れました。

18時20分、8階のT2スタジオにて開演前に恒例の拍手と笑い声の練習をした後開演です。

最初は、落語家6名を3組に分けた大喜利チーム戦。
皆さんお洒落な私服で登場。
チームは、桂ちょうば・桂二葉、笑福亭べ瓶・月亭太遊、桂三四郎・桂三実の三組。

与えられた題に対し6名が各々答え、文枝が判定し良ければポイントが与えられお互い競います。
但し、6名の内1名が人工知能の解答を読み、桂文枝がその答えは人工知能であると見破られた場合はそのチームの最下位となる。
結果は、桂ちょうば・桂二葉組の優勝でした。

司会の桂三語さんの司会でスタート。
三つのお題に対し、文枝が人工知能の解答者当ての結果は2勝1敗。

続いて、桂三語の落語と桂文枝の創作落語。
文枝は、運転手不在の人工知能タクシーを題材とした創作落語を演じられ、会場爆笑に包まれ久し振りに大笑いのできた楽しい時間が過ごせました。
以前から創作落語に情熱を燃やしている文枝さん、今後とも楽しい落語を期待しています。

放送日は、来年早々だそうで、楽しみが増えました。
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第8回関西花の寺

2017年11月22日 | 風景
昨日、関西花の寺巡りの最終回、難波集合7時。
いつもの通りバスは定員満杯の40名が滋賀県高島市を目指して出発。

名神高速京都手前で添乗員から、火事のため名神が渋滞しています、と。
高速を降り一般道から湖西道を経るコースに変更、車外の気温は2度、車窓から比良山系に積もる初雪と紅葉を眺めて高島市の興聖寺へ。

興聖寺
曹洞宗。嘉禎3年(1237年)近江の守護佐々木信綱が承久の乱の戦没者の供養を道元禅師に依頼。
禅師が都から越前へ向かう際当地の山谷が伏見深草の興聖寺に似て絶景と喜ばれ佐々木家の菩提寺として建立。

足利義春将軍がこの地に3年ほど滞在時、佐々木一族たちが将軍を慰めるため銀閣寺の庭園を模して庭園を造立。
現在その庭園は足利庭園として国の名勝。

この寺に残る不動明王は、朽木時経が千早城焼き討ちの際楠正成の念持仏であった不動明王を兵火から守って持ち帰ってきたもの。
日本で600年続く武家は、この佐々木(朽木に改名)家と薩摩の島津家のみだそうです。

500年の老椿の花は見られませんでしたが、真っ赤に染まるウダンツツジや終わりかけの紅葉を楽しみ小浜での昼食へ。

小浜湾に面するホテルでの昼食、美食の旅の掉尾らしく美味しい魚料理、一杯は我慢。
以前この近くで焼鯖を購入したことを思い出し朽木屋まで行って購入。次の舞鶴市の金剛院へ。

金剛院の105段の階段を目の前に相棒は、下で待ってます。私は上ってお参りを済ませて降りようとしましたら相棒が上ってきています。
どうしたのか聞きますと、皆さん上られて私一人になり心細いので上ってきました、とのこと。

金剛院
真言宗。天長6年、平城天皇の第三皇子高岳親王によって創建。
嵯峨天皇の皇太子でもあった高岳親王は、世の無常を感じて仏門に入り真如と称し弘法大師の十大弟子の一人として仏法の興隆に尽くされたが、天竺への途次消息不明となられた。

その後皇室の庇護のもと隆盛を極めましたが、戦国の動乱や天災人災を経て今日に至っている。
境内の楓は細川幽斎の植樹で全山紅葉は見事、残念ながら今年の紅葉は早くピークは過ぎていました。

法話にて、いろは歌は弘法大師の作で意味は諸行無常や悟りを詠ったもので、真言宗の宗歌である、とのことで歌って頂きました。
とても良い声で一同初めて聴くいろは歌に大きな拍手が起こりました。

最後のお寺、丹波市の高源寺へ。

高源寺
曹洞宗。臨済宗中峰派の本山。
1325年、当地青垣町の山垣城城主足立遠政の孫の光基の三男である遠谿祖雄禅師によって開創、1326年には後醍醐天皇より高源寺号を賜る。

天正年間、織田信長の丹波攻略で建物をことごとく焼失。その後代々の禅師が再建に尽力、1799年には弘巌玄猊禅師が柏原織田藩の援助を得て再び再建し、現在に至る。

長い石段の奥の建物は現在、惣門・山門・仏殿・方丈・鐘堂・多宝塔(三重塔)などが残っている。

この地区の姓は、少し前までは足立が100%だったそうですが最近他地区からの転居者があって97%位になっているそうです。
それは、明治になって全員に姓を付けることになり、全員が殿様の足立にしようと思ったとのことです、よほど好かれた殿様だったのでしょう。

最後の法話で、禅語の放下著(ほうげじゃく)という言葉を教わりました。
放下著とは、放下は捨てる・著は強める助辞で「捨てよ」。
心の中のゴミ(過去・現在・未来の全てのもの)を捨て、目の前のことに集中せよ。突き詰めれば無になるということに繋がるそうです。

帰りのバス車中で、今回で満願を迎えた25名に対し花の寺25カ寺の皆様が書かれた直筆の色紙を頂きました。
私達が頂いたのは、花ショウブで有名な永澤寺渡邊副住職が書かれた「渓聲山色」(蘇東坡の句で意味は、渓川の水の音はそのままで仏の説法の声であり、山の姿はそのままで無垢清浄な仏の姿である、禅の世界観・自然観をあらわしている句です)

今年の3月12日から始まった、「関西花の寺巡り」も終了。
地域別には、大阪2ヵ寺・奈良7・和歌山1・京都7・滋賀1・兵庫7でした。
お蔭様で美しい花々に巡り会え、ご住職方の有難い法話にも触れることが出きた楽しいツアーでした。
無事巡り終えたのも相棒と共に健康であったことであり、健康に感謝です。
引き続き健康に留意し、いつまで一緒に出掛けられるか判りませんが、生かされている限り二人仲良く元気に楽しく過ごせるよう頑張りたいと思っています。
お世話になった皆様、有難うございました。


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