大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

敦賀永賞寺・瓜割の滝

2017年08月30日 | 史跡
昨日、青春切符の残りの一枚を使って福井県三方へ。

最寄りのJR鶴橋駅発7時14分・大阪・敦賀で乗り換え小浜線上中駅着11時33分。
同乗者の中には青春切符の愛好者らしい年配者多数。
車窓には明るい陽射しを受け穂先を黄色く染めた稲穂が目立っていて、山、川、田のある日本の原風景を思い、残り少ない人生ですが本当に日本に生まれて良かったと思える瞬間です。

敦賀駅での待ち時間(54分間)を利用して、大谷吉継の菩提寺(慶長14年造立の供養塔もあり)永賞寺へ。
この地は、大谷吉継が敦賀城主を務めたことがあり縁の地も多いのです。
気比神宮の例大祭敦賀祭を見学に来たことがありますが、その時は時間に余裕が無く行けませんでしたので永賞寺へ。

大谷吉継
永禄8年(1565年)誕生。
母は秀吉の正室の侍女で東殿と呼ばれた女性(出自は不詳)、父親は不明ですが京都青蓮院門跡の坊官大谷家の系図に吉継の名があるので父親或いは東殿が大谷家の可能性があり、青蓮院は鎌倉時代から敦賀を支配していた実績があり敦賀との縁は吉継より以前からあったようです。

14歳で秀吉の中国攻めに参陣。19歳で賤ヶ岳の戦の直前敵の吉村又吉郎の調略に成功し今尾城の開城に立ち会い。
25歳(1589年)で敦賀城主。秀吉の死後家康に接近。36歳(1600年)の時家康に従い上杉討伐へ向かう途中、石田三成と佐和山で会談西軍につくことを決意。

関ヶ原の戦いでは藤堂高虎と激突善戦するが、小早川秀秋や脇坂安治の裏切りによる横槍をまともに受けて隊は壊滅、その中で自刃。
辞世の句 「契りあらば 六つの巷に 待てしばし 遅れ先立つ こともありとも」

敦賀城時代には、大坂に経済の中心をつくる秀吉の政策を敦賀で推進。
その象徴が伏見城築城に際し秋田杉(太閤板)を東北から敦賀へ回漕した。

大谷吉継は、不治の病に冒されながらも「忠義と友情」に殉じた戦国の智将であった、と今も語り継がれています。
関ヶ原の戦いの9年後に永賞寺の供養塔が建てられていることからも当時から慕われていた証しでしょう。

上中駅から炎天下を徒歩で15分、目的地瓜割の滝へ。
汗をかきながら到着、手前の公園では母子が池の周りの木陰で遊んでいます。
小さな木の鳥居を潜ったあたりから樹木が大きくなり空気がひんやりとしてきます。
すぐに少し開けたところの先にお目当ての滝が見えてきました。

余りのも小さな滝で、少し失望しかけましたが流れに手を浸けてみて、その冷たさにビックリ。
また流れの横に柄杓があり、ひょっとしたら飲めるのか?
用心して口を漱ぐだけにしましたが、いっぺんに汗が引いたのと同時にその景色の素晴らしいこと。
滝口から落下した清水が苔むした岩肌の間を幾筋にも別れ、また会って流れる様は、まるで一幅の絵画のよう。

瓜割の滝
若狭町の天徳寺境内奥の山あいの岩間から湧き出る清泉で、一年を通して水温が変わらず夏でも水につけておいた瓜が割れるほど冷たいことから、その名前が付けられた。
そのことは、当地方の地誌「拾椎雑記」にも記載がある。

「名水百選」(環境省)・「水の郷」(国交省)・「ふくいのおいしい水」(福井県)認定。
全国名水百選のおいしい水部門第2位で保存期間についてもトップクラスにランクされている。

古来、この湧水の水神に対する近在近郷の信仰は厚く、旱魃の際にはこぞってこの地に雨乞いの祈願をした、との記録が多く残っている。
また、滝壺あたりに散在する赤い石は、この水質水温でのみ生育する「ヒルデンブリンチアリブラリス」という紅藻類が繁殖の結果です。

すっかり汗もひきましたが次の列車までは大分時間がありますので、お土産に買った羽二重餅を一口。
最後の目的地みかた温泉の最寄駅に着いたのは13時26分。
駅員さんに昼食場所を尋ねましたら、三方五湖で獲れるうなぎが美味しい、とのこと。

みかた温泉に行く途中のうなぎ屋さんで遅めの昼食後、みかた温泉きららの湯で本当の汗を流し浴後は生ビールで人心地。
後は来た道を帰るのみ。同乗者の中に青春切符愛好者はいないようでした。
ウツラウツラする内大阪着、帰宅したのは8時を回っていました。
約13時間の旅を終え、夜中一度の起きることなくぐっすりでした。
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モカラ

2017年08月23日 | 植物
お盆の最終日、久しぶりに埼玉在住の孫、今年大学生となった兄と高校生となった妹の二人が帰ってきました。

二人の希望で初日は道頓堀・二日目京都・三日目ハルカス方面へ。
京都大学で食事をした際、そのテーブル上に珍しい蘭の花が。
お聞きしましたら「モカラ」との回答。

モカラ
バンダ属、アラクニス属、アスコセントラム属の3種のランを交配して人工的育種されたランで多年草。、
東南アジアから切り花として輸入されている。

開花時期7~11月。花の色は黄、橙、ピンク、赤、紫 。分布はタイ、マレーシア、オーストラリアなどで栽培。 大きさ・高さは20~300cm。

鮮明で美しい花色で花もちも良く切り花として大量に出回り人気がある。
モカラは水が下がりにくい性質を持っていますので、ハワイの伝統的装飾品でもあるハワイアン・レイでも使用されている。

寒さに弱く暖かい場所を好む。
乾燥している室内では花の裏側から霧吹きで湿度を上げると日持ちする。
日本の産地は沖縄県(ほとんどが輸入ものですが少量が沖縄県で生産されている)

孫との楽しい時間も終わり元の日常に戻りました。
前途洋々たる二人に負けないよう残された日を相棒と共に元気に暮らしていれば、又楽しい日もむかえられる、との思いと頑張る元気がもらえた三日間でした。

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JCOMマス釣り大会

2017年08月20日 | 催事
昨日、相棒と共に「JCOMマス釣り大会」に参加、大阪で唯一の村となった千早赤阪村へ行って来ました。

近鉄富田林駅からバスで約40分、千早川マス釣り場下車。

千早川マス釣り場は、千早川の渓流を利用したマスの釣り場。
釣り場の歴史は古くニジマス養殖を始めて60年、釣り場は40年営業中。
当釣り場は金剛山国定公園内にあり、名勝地として知られ春はシャクナゲ等の花と新緑、夏は標高600mの涼しさ。
秋はモミジや楓の紅葉、冬は樹氷霧氷と四季折々の自然を楽しんでいただけます。

釣り場としての設備は充実しており、予約も不要、手ぶらで来て釣ったマスを焼いて食べられますし、持っても帰れます。

JCOMマス釣り大会は人気の催しで、以前申し込みをしましたが抽選に外れ参加できませんでした。
今回の申し込みは、8千人を超え当選者は252名だそうです。

10時、開会式。
その後、釣り大会のルール説明を受け、練習タイム。
私と相棒も釣堀の一角で釣り開始。目の前の水面には多くのマスが群れています。

まずイクラを餌に第一投、すぐに反応があり竿を上げます、結構な手ごたえに沼津でのサバを釣った時に近い感触が甦ってきました。
それからの食いは悪く、40分ほどでの釣果は3匹でした。
相棒は、残念ながら0匹。

釣ったマスは持ち帰りますが、発泡スチロールの箱に氷まで用意されており、至れり尽くせり。
昼食には、別途用意して頂いたマスの塩焼きが各々一匹ずつ割り当てられ、かぶりつきます。
子供達は、スイカ割・スマートボールすくい・かき氷・ポップコーン等に夢中、親子で大いに楽しんでいるようです。

いよいよ釣り大会の本番、一家族に二本の釣竿が与えられ50分間での釣った数で優勝者を決めます。
沼津での訓練を想い出しながら、練習よりは多く釣ることをめざしスタート。

最初はイクラで釣っていましたが食いが悪くサシムシに変更。
しばらくして一匹目ゲット、ところが針を飲み込まれていて外すのに大苦労、結局糸を切って対応。
相棒の餌には全く寄ってこないのと、立っている所が狭くて池にはまりそうなのとで、相棒は「私はもういいです」というので竿を借りました。

その後しばらく食いが止まり、周りの人達も釣れていません。
と突然私の竿に当りがあり、二匹目、三匹目をゲットしましたが、一匹目同様針を飲み込んでおりどうしても針が外せません。
その都度、釣り糸を切って竿を交換していましたが、その内終了。
釣果は3匹。
つくづく沼津では面倒なことはすべて処理をして頂いたM船長にご迷惑をおかけしていたことを反省。

表彰式があり優勝者は19匹、2・3位は同点で17匹でした。
その後も籤などがあり皆さんと共に楽しい釣り大会も終了。

相棒が釣れなかったのが残念でしたが、生まれて初めての釣りの体験にはご機嫌でした。
三匹のマスを手に帰途に。
帰宅後早速相棒の捌いた20センチ位のマスの塩焼きで一杯、その美味しさは現地と同じ、やはり新鮮なのが一番でしょう。

いつもお世話になっているJCOMさんのお蔭で、大阪の暑さと喧騒から逃れられ自然の中で過ごせた気持ち良い一日でした。
本当に有難うございました。



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大阪府の「ぶどう」生産量は日本一だった

2017年08月14日 | ぶどうの木オーナー
先日の産経新聞に「大阪ぶどうの昭和初期のぶどう生産量は日本一」であった、と。
特に大阪府柏原市・羽曳野市がその牽引役であったそうです。
因みに昨年の収穫量は4919トンで第7位です。

柏原市で100年以上続くぶどう農家の4代目奥野成樹さんは、明治36年曽祖父が始めた実家のぶどう農園を絶やすわけにはいかない、と会社員を退職しぶどう農家を継ぎ、「オーナー制度」を活用した新しい農園づくりに挑戦している。

「オーナー制度」とは、消費者にぶどうの木のオーナーになってもらって苗木の植樹や木を支える垣根づくり等も体験し、ぶどうの詰め合わせなどの生産物を受け取ることができる。
インターネットで小口の出資者を募るクラウドファンディング方式でオーナー募集を進めていることを知りましたので、現在山梨県や長野県に奪われたその地位を取り戻して頂きたく私も応募しました。

クラウドファンディングとは、志を持った人や団体に対して、ネットを通じて支援金を集める仕組みのこと。
これを地域活性の活動に生かしたのが「FAAVO」です。
地方公共団体のする「ふるさと納税」の小規模版でしょうか。
FAAVOとは、FAVORITE FAVOR(地元に対する偏愛) FAVOの真ん中にACTIONのAをプラスした造語だそうです。

先日、そのぶどうの詰め合わせが届きました。
早速頂きましたが、新鮮で瑞々しく甘さもありとても美味しいものでした。
大阪府の柏原市方面がぶどうの産地であることは知っていましたが、その生産量が昭和の初期には日本一であり現在も7位であったとは知りませんでした。

奥野さんは、約1アールの耕作放棄地の草刈りや整地を行い、来年3月までにオーナー制度による植樹を勧める予定です。
この事業の目的は、魅力発信と共にビジネスモデルの実現で、稼げるぶどう農家として挑戦を続け柏原のぶどうの良い事を周知させることだそうです。
また、4年後には農園で獲れたブドウを使ったワインの完成も目指している。

今後とも、いろいろ知恵を絞って大阪のぶどうの復活を期待したいものです。
頑張って下さい。
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東北四大祭・仙台七夕まつり

2017年08月10日 | 伝統芸能
8月7日。

いよいよ最終日の朝、旅館古窯で発見された古い登り窯を見学。
昭和32年湯治客の茶人が旅館改築現場で土器(須恵器)を発見、調査の結果窯跡が1200年前のものと判明。
発見されたのは6m程の登り窯の上部3.5mで、昭和57年には県指定史跡に指定されたことを契機に旅館名を「古窯」と改名。

本日の出発は10時。山形から仙台までバス移動。
仙台駅近くの七夕まつりメイン会場近くで下車、約90分自由見学。

仙台七夕まつり
開催は、毎年8月6日から8日。

仙台七夕は、古くは藩祖伊達政宗公の時代から続く伝統行事として受け継がれ、今日では日本古来の星祭りの優雅さと飾りの豪華絢爛さを併せ持つお祭りとして全国に名を馳せています。
今年は、伊達政宗公生誕450年の節目の年にあたり例年より多くの笹飾りが出ているそうです。

七夕まつりは、本来旧暦7月7日の行事として全国各地に広まっていました。
仙台七夕では、その季節感に合わせるため、新暦に1ヵ月を足した暦である中暦を用い、現在の8月6日から8日に開催され、期間中は仙台市内中心部および周辺商店街をはじめ、 街中が色鮮やかな七夕飾りで埋め尽くされ多くの観光客が訪れています。

飾りは笹飾りと呼ばれ、山から切り出した高さ10m以上の竹を使用した吹き流し型で5本ワンセットとなっているのが仙台の特徴です。
この飾りは手作りで毎年新調され、参加される企業や商店が数か月かけて準備していて、一本の価格は数十万~数百万円もするといわれています。
使用後は全国の七夕まつりで再利用されることもあるようです。

メイン会場のアーケード街は、両側から巨大な笹飾りが通りを覆いまっすぐ見通せない状態で、笹飾りをかき分けて進みます。
勤務時代東京福生で七夕祭りを体験し、関東での七夕まつりの賑やかさ・華やかさを感じましたが、仙台七夕はそれらを遥かに凌いでおり、さすが日本一のスケールを誇る豪華さでした。

私と相棒は、メイン会場約1.7キロすべてを見て歩き、商店街を埋め尽くす笹飾りと観客に圧倒されると共に本場の七夕まつりを満喫できました。
東北の四大祭りを一気に観覧できた楽しい旅も仙台駅の大きな笹飾りに見送られて新幹線で帰るのみです。

今回の旅では、新大阪⇔仙台1800キロを新幹線、そして宮城・秋田・岩手・青森・山形1220キロをバス移動。
移動距離合計約3千キロを4日間で走破してきましたが、まったく雨に遭うこともなく好天気に恵まれた上相棒共々何とか付いて回れたのはラッキーであり神仏に感謝です。

東北新幹線で間もなく大宮、という所で相棒が「娘が大宮駅に来るそうです」と。
スマホに変えてから相棒は家族とのやり取りをラインでやっていて、今回の旅行中も娘とやり取りをして会いに行こう、ということになったそうです。
お蔭で娘夫婦とも出会うことができ、今回の旅の嬉しい余禄でした。

東京からの新幹線、車内電光ニュースで台風5号が和歌山に上陸、間もなく奈良市内にあることを表示、その後1時間たっても表示が変わらず私達をヤキモキさせます。
人生初の新幹線で一夜を過ごすことも覚悟していましたが、台風はそのまま留まっていて私達の列車は台風に出会うことなく無事定刻20時46分に新大阪駅到着。またしても神仏のご加護に感謝。

4日間大阪は猛暑であったようですが、東北は最高気温が30度には程遠く特に朝晩はとても涼しく、よい避暑となりました。
相棒は今も「よかった」と思い出に浸っています。
本当に思い切って行ってよかった、とてもスケールの大きなお祭りを体験でき良い思い出になりました。
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