大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

由紀さおりスペシャルコンサート

2023年05月31日 | 催事
先日、大阪府民のための芸能芸術半額鑑賞会を利用し、相棒と共に新歌舞伎座での「由紀さおりスペシャルコンサート」に行ってきました。

関係者からの生花が入り口を華やかに飾る中、多くの由紀さおりファンで座席はほぼ満席。
珍しく和服での開演は、「新しい私」の副題通り新たな挑戦をイメージしてのものでしょう。

後半は、いつものドレス姿の由紀さおりさんが新曲も含めて熱唱され、歌の合間の軽妙な会話とともに大いに楽しみました。
今後ますますのご活躍をお祈りしております。

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高尾の川床・神護寺・嵯峨野トロッコ列車

2023年05月28日 | 風景
昨日、ツアーにて高雄の川床・神護寺・嵯峨野トロッコ列車のコースに参加。
JR嵯峨嵐山駅10時30分集合。総勢26名が小型バスに乗り込み、高尾観光ホテルへ。

清らかな流れの清瀬川沿いに設えられた宴席は、二人連れごとに川に面して着席し涼しい風が吹き抜ける中、対岸の新緑を愛でながら、美味しい川床料理を頂きます。

当然のごとく冷酒を頂きましたが、食後神護寺に参拝予定ですので少しセーブ。
これで京都の川床、鴨川・貴船・鞍馬・高尾(鴨川のみ「かわゆか」でほかは「かわどこ」と言うそうです)を体験しました。

宴席のすぐ横から神護寺の参道が上に向かって伸びています。350段の階段と聞きましたので相棒は宴席で待機。

新緑越しの楼門から森閑とした静寂の境内、五大堂(写真上左の手前)・毘沙門堂(写真上左の奥)を経て少し上の金堂(写真上右)を目指します。
下りは、階段ではない脇道を通って相棒の下へ。

送迎バスで、トロッコ列車のトロッコ嵯峨駅へ。
大変な人気で4両の列車は満席、発車まもなく保津川の流れと両岸の新緑を満喫しながら亀岡を目指します。

終点のトロッコ亀岡駅では、狸の置物が10体くらい愛嬌を振りまいていました。

そこからJR馬堀駅まで田植えの終わったのどかな田園風景の中を通って徒歩数分、現地解散。
私たちは、嵯峨嵐山駅まで戻り阪急嵐山駅まで外人を含む大勢の観光客で賑わう嵐山から渡月橋を渡って帰りました。
私の歩数計は、14489歩。相棒は少々お疲れでした。

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食事五観文

2023年05月25日 | 風景
先日の嵐山散策後、昼食を摂ったのが渡月橋近くの「西山艸(草)堂」で湯豆腐を頂きました。
その際の箸袋に、食事五観文が印刷されていました。
食事五観文は、五観の偈とも呼ばれる食事の心得であり「自分を戒め、万物に感謝の気持ちを表す」教えだそうです。

食事五観の偈
一『計功多少 量彼来処』  一つには、功の多少を計り、彼の来処を量る。
二『 忖己德行 全缺應供』 二つには、己が徳行の全闕(ぜんけつ)を忖(はか)って供に応ず。
三『防心離過 貪等為宗』  三つには、心を防ぎ、過貪等(とがとんとう)を離るるを宗とす。
四『正事良薬 為療形枯』 四つには、正に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり。
五『為成道故 今受此食』  五つには、道業(どうぎょう)を成ぜんが為に、応にこの食(じき)を受くべし。

現代語訳
一つ、この食事ができあがるまでに、どれだけ多くの縁の支えがあったか、どれだけ多くの人々の苦労があったか、想いをめぐらします。
二つ、自分は食事をいただくだけの徳行をしたのか、行いを振り返ってからいただきます。
三つ、心を正しく保ち、危うい心から離れるため、もっと食べたいといった貪りの心などは起こしません。
四つ、食事とは良き薬のようなものであり、身心を健全な状態に保つためにいただくことを忘れません。
五つ、仏道を歩み続けていくために、今からこの食事をいただきます。

私達は、他のいのちをいただかねば生きていけないということに対して、謙虚な気持ちを忘れてはならないのです。
私達が口にする全ての生き物への慈しみの心を持っているならば、自分がこの食事をいただくにふさわしい人間であるか、反省させられます。またこうして他のいのちをいただいて生かされている自分が、どのように生きていかねばならないか、何をなすべきか、新たな決意も生まれてくることでしょう。

食事五観の偈は、私達にこのことを戒めているのです。
良い言葉を学びましたので、今後は毎食事に際しては、食事を頂く良き行いをしているか反省しつつ、感謝の気持ちを大切にしたいと思います。
道中では、マユミ(?)のような実も見ることができました。
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嵐山散策

2023年05月24日 | 風景
5月22日から三井V・NET関西サロン特別企画により4年振りに京都嵐山へ一泊旅行。
15時前に阪急嵐山駅前集合、嵐山温泉にて汗を流し渡月橋手前のM社嵐山寮へ(総勢12名)。

夕食は、本当に手の込んだ季節の会席料理の数々と美味しい地酒に囲まれ楽しいひと時を過ごし、部屋に戻っての二次会でも大いに盛り上がった会になりました。

いつもの通りの痛飲、バタンキュー。
朝食後、猿で有名な岩田山の裾野を借景とする雨上がりの庭園を散策。

出発までの時間を利用して、私は隣接の法輪寺へ。
新型コロナも一段落、修学旅行中の中学生や外人の参拝客多数で朝早くから賑わっていました。
境内の舞台からは、渡月橋が眼下に望めます。

地元のU氏の案内で嵐山周辺を巡ります(参加者8名)。
コースは、竹の道⇒野宮神社⇒嵯峨天皇皇女有智子親王墓⇒二尊院⇒慈眼堂⇒清涼寺⇒野々宮・愛宕両神社御旅所⇒昼食(西山艸堂・湯豆腐)。

野宮神社・・その昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王が伊勢へ行かれる前に身を清められた地。嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、黒木鳥居(クヌギの木の皮を剥かないまま使用・日本最古の鳥居の様式)と小柴垣(クロモジの木)に囲まれた聖地。その様子は源氏物語「賢木の巻」や謡曲「野宮」に美しく描写されている。

5月21日から嵯峨祭が開催されていました。
サクランボの生る道を進み嵯峨天皇皇女有智子親王墓へ。

嵯峨天皇皇女有智子親王墓
交野女王を母とし嵯峨天皇の第八皇女である。弘仁元年(810年)4歳で賀茂の齋院となり、承知14年に41歳で崩じた。平安朝随一の女流詩人として知られるが、歴史の側面から見れば「賀茂斎王の始まり」として有名である。

二尊院
総門・・慶長十八年(1613年)に伏見城にあった薬医門を角倉了以によって移築・寄進されたもの。室町時代築。

慈眼堂
藤原定家開基と伝えられる。
小倉山は、公家で歌人であった藤原定家が山荘を構え、小倉百人一首を選定したと言われている。なお定家は正治3年(1201年)に和歌所の寄人に選ばれ、「新古今和歌集」の編纂に加わり「新勅撰和歌集」を編集した。

清涼寺
嵯峨の釈迦堂’で知られる浄土宗の古刹。建立は、寛平7年(895年)頃。

寛和3年(987年)奝然(ちょうねん)上人が中国から帰国し、大清凉寺の建立を計画。没後、弟子の盛算が棲霞寺の釈迦堂に、師が宋より請来の木造釈迦如来立像(国宝)を安置した。体内に絹の五臓六腑を納入してあり、生身如来といわれている。
昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府において閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説の小野篁が地獄から帰ってくるのがこの場所との石碑が立っている。冥府への入り口は六道珍皇寺の井戸。

野々宮・愛宕両神社御旅所
嵯峨祭は野宮神社と愛宕神社の祭礼で、御旅所とは神輿みこし渡御に際し,本宮を出た神輿を迎えて仮に奉安する所。
立派な二神社の神輿が奉安されていました。

帰り道、森嘉の豆腐とひろうすを購入し相棒へのお土産にしました。ご案内頂いたU氏有難うございました。
今回の旅は、M社OBのK氏並びに三井V・NETのK氏のお世話で実現できたこと感謝です。本当に有難うございました。
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中之島バラ園

2023年05月20日 | 風景
本日午後から相棒の要望で中之島バラ園へ。

ここ数週間週末は雨が続き久しぶりの土曜日の晴れ間、家族連れやカップルで賑わっていました。

10数年前の中之島バラ園は、結構バラの木が大きく見ごたえがあったのですが、現在のバラ園の木はこじんまりしていて昔日の面影はありません。いつか元に戻るのではと期待しています。

色とりどりのバラの花に囲まれて癒されたひと時を過ごせ、手入れをしていただいている関係者の皆様に感謝です。


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