大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

源聖寺・地蔵菩薩立像

2019年05月30日 | 史跡
昨日、松屋町筋と源聖寺坂に面するする源聖寺へ。
大阪市主催の「大阪の歴史再発見」で大阪市内の寺院の所蔵品を順次公開しており、今回は源聖寺の地蔵菩薩立像の公開。

源聖寺は、天正年間(16C後半)創建。昭和48年、浮浪者の失火により堂宇焼失。その後再建され立派な門構えと庫裏・本堂・納骨堂等を擁します。
今回は、地蔵菩薩立像の他、本尊の阿弥陀如来立像・毘沙門天立像・三宝荒神立像も特別に見せて頂きました。

本尊は、快慶の様式を踏まえた安阿弥作の阿弥陀如来立像(木造寄木造・室町~江戸時代・高約1m)。
三宝荒神立像は、一木造で平安時代後期~江戸時代の制作。火やかまどの・荒ぶる神として知られ普通は憤怒の表情ですが、この像は三面六臂の三面とも穏やかなお顔が特徴です(高約40cm)。

毘沙門天立像は、檀家の方からの寄贈でかなり古く江戸時代の制作(高約40cm)。
地蔵菩薩立像は、檜の一木造で春日作、制作年代は平安時代後期~鎌倉時代・高約1m)。

大阪市内には多くの寺院があり、その数は1000を超えると言われています。これは京都に次いで2番目に多い数字です。
戦災等で焼失された文化財も多いのですが、まだまだ知られていない文化財も多く眠っているのではと思われます。今後もこのような機会を作って頂き公開していっていただきますようお願い致します。

天王寺七坂の源聖寺坂の名前の由来となったのは坂の下ったところに源聖寺があったから。
真夏のような気温の中、その源聖寺坂を上って帰途に。
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興福寺・中金堂ほか

2019年05月26日 | 高齢者大学
昨日、高大歴考教室同窓会での今年度第3回例会にて興福寺中金堂へ。
近鉄奈良駅10時30分集合、特別参加の相棒も含めて参加者12名がタクシーに分乗して昼食会場高畑町の杉幸園へ。

野菜と果物をふんだんに使用した料理の数々、別棟での食後のデザートは別腹すべて平らげ皆さん大満足。

タクシーで興福寺へ。
JRおおさか東線全線営業記念の特別企画「天平文化を再発見・興福寺」の特別講座を三重塔横の興福寺会館にて聴講。
興福寺の歴史、中金堂再建のいきさつについて興福寺の僧侶より詳しくご説明頂いた後、中金堂へ。
仮中金堂に安置され不自由であったでしょう釈迦如来坐像(木造)・四天王像(木造・国宝)等も定位置に移られ、ほっとしておられるご尊顔を拝観。

法相宗大本山 興福寺
和銅3年(710年)藤原不比等によって山階寺を移転、興福寺と改号。天皇、皇后、藤原氏によって次々堂塔が建てられ、奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺に数えられる。
造営後7回焼失その都度再建されてきたが、再建に要する期間は当初数年でしたが、その都度延び今回の中金堂は1717年焼失、1819年仮堂を小規模にて再建、昨年従来と同規模にて再建され、今後は回廊も建設が予定されている。

その後、国宝館(写真上)で阿修羅像(脱活乾漆造り・国宝)等を見学し最後に東金堂(写真下)で銅造薬師如来坐像(重文)等も拝観。
本日の講座で、阿修羅像の正面の顔の下にもう一つ顔があり、その顔は憤怒の形相であることを教わった事を思い出しながら拝観しました。

奈良駅前にて恒例の反省会、気温33度の中の散策渇いたのどをかき氷で潤し、10名が閉店の5時までワイワイと楽しく賑やかでした。
第二班の皆様有難うございました。
コメント (1)
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奥嵯峨散策

2019年05月22日 | 史跡
5月20日から三井V.Net恒例の京都嵐山への一泊旅行。
メンバーK氏のご厚意で元勤務先の嵐山寮をご手配頂き毎年楽しい時を過ごしています。
午後3時、阪急嵐山駅に集合の8名が近くの嵐山温泉へ、入浴後4時集合の後発4名と合流して寮へ。

雨に濡れた庭園は緑が映え、手入れも行き届き素晴らしい眺めでした。
まず、会議室にて主目的の関西サロンを開催、事務局K氏の進行で各自情報交換。
午後6時過ぎ、食堂に移動し会食開始。

次々運ばれる素晴らしいご馳走に、嵐山寮ブランドの冷酒・紅白ワインのピッチが自然とあがり、いつもの通りの談論風発。
食後は部屋に戻って二次会、大いに盛り上がり何時に寝たのか?誰に聞いても判りません。
就寝後朝まで熟睡。

朝食後、7名で奥嵯峨鳥居本地区へバス利用。
まず、青紅葉の美しい愛宕(おたぎ)念仏寺へ。
この寺の見所は、昭和55年復興事業として境内を羅漢像で充満させたい、との先代住職の発願に賛同した一般の参拝者自らの手で彫られた千二百躰の表情豊かな羅漢像。

拝観後、茅葺き屋根の残る嵯峨鳥居本伝統的建造物群保存地区を散策し、化野念仏寺へ。
曾てこの地区は葬送の地で何百年という歳月を経て無縁仏と化し散乱していた石仏や墓石を明治中期一カ所に集め、阿弥陀仏の説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してある。
もう一つの見どころの竹林の道が工事中で入れなかったのは残念でした。(見学の代わりに絵ハガキを頂きました・・写真上右)

拝観後、化野念仏寺門前の遊山にて昼食。
冷たいビールで喉を潤し、手の込んだ創作料理を美味しく頂きました。

1時間に一本のバスに揺られて阪急嵐山駅から帰途に。
個性あふれる仲間のお世話を頂く事務局のK氏、また、寮を気持ちよく利用させて頂くK氏のお蔭で本当に楽しい時が過ごせ大感謝です。
有難うございました。

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荒牧バラ園

2019年05月19日 | 風景
バラのシーズンを迎え相棒は近所の公園等を巡って写真をラインで送って寄こし、もっと違う所に行きたい、とのアピール。

昨日、伊丹市の荒牧バラ園へ。このバラ園には250種・1万本のバラが植栽されています。
阪急伊丹駅のバス乗り場は行列、バスで約20分は座れず、バラ園は多くの家族連れで賑わっています。

私達も園内を散策し、色とりどりの満開のバラをご馳走に昼食。
上空をひっきりなしの飛ぶ飛行機の音にも慣れてきた頃、バラ園を後に。

カラフルなバラを存分に楽しんだ相棒はご機嫌で、帰りは阪急山本駅まで約20分のウオーキング。

今まで見たことのないような彩りのバラにも出会え、相棒のお蔭でとても気持ちの良い一時でした。

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参地直笑祭in天王寺区

2019年05月13日 | 催事
5月11日、天王寺区民センターでの「参地直笑祭in天王寺区」へ相棒とともに参加。
桂文枝が出演との天王寺区広報での情報を得、往復はがきで応募し当選しました。
開場時間前に到着しましたが、既に開場されており会場のほぼ半分の席が埋まっていました。
桂文枝の人気の高さが思われました。

参地直笑祭
大阪市と吉本興業との地域活性化プロジェクトとして大阪市24区の魅力を発信するため、文枝師匠に各区それぞれの特色を盛り込んだ創作落語を新たに作成してもらい、各区で披露していくという「参地直笑祭」を実施。
域の皆様のもとに上しいを届けるというもので命名は桂文枝。
第1回は、昨年3月住之江区で開催され順次各区を巡っておられます。
写真下右中央赤い点が天王寺区・黄色が開催済みの区

15時開演。
桂文枝が登場、創作落語のネタ作りを兼ねて天王寺区の名所を巡られた際のビデオをもとに、落語に登場する名所等を笑いを交えて説明。
その後、SPANとミルクボーイが漫才を、桂三幸が創作落語を演じます。

トリは、桂文枝の創作落語。
天王寺区にある日本で最初の陸軍墓地である真田山陸軍墓地(明治4年創設)に向い合って建つ169基の墓石。その169基は堺の野田村の英霊たちで、その中には文枝さんの銀行員だった父河村静三さんも眠っておられるとのこと。
噺は、その中の一人が本日の区民センターでの「参地直笑祭in天王寺区」へ行こうと上官の塚原中尉を誘い、また戦地に赴く前に病院で亡くなった文枝の父親にも声をかけ、玉造駅前の真田山陸軍墓地から169人が三班に分かれて松屋町筋・上町筋・玉造筋を通って区民センターへ行進し、落語を鑑賞するというストーリーに大笑い。
噺の最後は、銀行員だった文枝の父親も子供の文枝師匠もこうざ(口座と高座)を大事にするでしょう、が落ちで、会場全部が大爆笑。

最後に、文枝さんと松井大阪市長と西山天王寺区長が登壇され、桂三幸さんの司会でそれぞれ落語の感想等を話されました。
すべての観客が桂文枝さんの定評ある創作落語を間近に聴くことができ大満足、もちろん私達も大満足で落ちの判った相棒と共に帰途に。

往復途上では、相棒に案内してもらって教育会館前と交流センター前で美しく咲く満開のバラも鑑賞でき、
楽しい午後のひと時でした。
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