大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

帝塚山古墳

2020年11月29日 | 史跡
先日、聖徳太子ウオーキングに参加の際帝塚山古墳に立ち寄りました。

帝塚山古墳
4世紀末~5世紀初頭の大阪市内唯一の前方後円墳。国の史跡指定。
現存してる大きさは全長88mですが、当初の規模は、全長120m・後円部の直径57m、高さ10m・前方部の幅50m、高さ8mであったと推定され、内部構造や副葬品などは不明ですが、二段築成の墳丘には円筒埴輪列や葺石、周濠の跡も確認されている。
(写真下左・前方部から、写真下右・後円部から)

現在は、帝塚山古墳は一つだけだが、明治時代までは俗に「大帝塚」と「小帝塚」と呼ばれる大小二つの古墳があり、被葬者は不明であるが、この地に館を持っていた古代豪族の大伴氏の大伴金村とその子の墓とされていた。ただし築造年代判明後、大伴金村は6世紀前半の人物で年代が合致しない。
大帝塚の方は取り壊されていて現在の帝塚山学院の敷地となり、小帝塚の方が帝塚山古墳として現存している。

元はたんに「塚」または「手塚」「手塚山」と呼ばれていたが、摂津名所図会(1796年)に「帝塚山」の記載がみられることから、江戸時代後期にはすでに「帝塚山」と呼ばれていたとも指摘されている。
明治31年に行われた陸軍特別大演習では、明治天皇が帝塚山から御統監されたことを記念する天皇駐蹕碑(写真上右・題字は閑院宮載仁親王、碑文は藤澤南岳、大正3年住吉村の建立)が墳丘上に建っている。

以前来た時には中に入れませんでしたが、今回は上に登ることができたことは幸運で、記念に登山証明書を求めました。

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活動15年

2020年11月26日 | 司馬遼太郎記念館
司馬遼太郎記念館にてボランティア活動を初めて15年経過、先日15年表彰を対象者13名とともに受けました。
5年・10年と5年ごとに感謝状と記念品を頂き、今回の感謝状には「・・ただただ感謝・・」の文言がありましたが、「ただただ感謝」したいのは私のほうです。

表彰にあたり、ご希望の場所で写真を撮って写真立てとともにプレゼントします、とのことでしたので、記念館地下の大書架の前で撮っていただきました。撮影時ご希望はありますかと聞かれ「モデルは小さくて構いませんので大書架を大きく撮ってください」、と申し上げ頂いたのがこの写真と写真立てです。

平成17年、リタイアをした年に三井V-NETの紹介で司馬遼太郎記念館と国立大阪医療センターで始めたボランティア活動、どちらも週一回の活動ですが続けてこれたのは、活動場所を提供していただいた記念館や病院のおかげであり、かつそこでの活動仲間に恵まれたことに尽きると思っています。

また、健康であったこととその健康の土台である食生活等を支えてくれた相棒の献身的な支えのおかげであると心から感謝しています。
今後も健康に留意しできる限り続けていきたいと思っています。
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落ち葉

2020年11月22日 | 風景
近鉄上本町駅へ向かう千日前筋の歩道の片側にケヤキ並木の落ち葉が風に吹き寄せられて積もっています。
また、司馬遼太郎記念館の庭にもクヌギやコナラの落ち葉とともに紅葉が始まってきました。

司馬遼太郎氏は自宅の庭を雑木林風にされていてクスノキ等の常緑樹とともにクヌギやコナラの落葉樹が多く植えられていて、毎年この時期は落ち葉とともにモミジやニシキギの紅葉が美しく、目の保養をさせてもらっています。

大きな木の周りには、ハギ・アセビ・ツツジ・ツバキ等の花木、またその下にはスミレ・キキョウ・シュウメイキク・ヤブラン・ユリ等が季節ごとに美しい花を咲かせています。庭には約250種の樹木等が植えられています。
昨日の庭では、ツワブキの黄色い花と赤いサザンカが目立っていました。

毎年玄関先で30センチ近い大きな落ち葉を一枚見つけます、たぶんコナラかクヌギの葉ではないかと思っています。
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興福寺・奈良公園・浮見堂の紅葉

2020年11月16日 | 風景
昨日、素晴らしい小春日和につられて相棒とともに奈良公園へ紅葉見物に出かけました。
近鉄奈良駅から東向商店街で昼食、猿沢池から興福寺境内へ。素晴らしい青空の下中金堂、五重塔、東金堂の周りはそこそこの人出。

ナンキンハゼやカエデの紅葉も進み見ごろになってきています。

興福寺から、鹿せんべいを持つ観光客を追いかける鹿と逃げる観光客のお定まりの光景を横目に奈良公園内を抜けて浮見堂へ。
途中、会津八一の句碑「はるきぬと いまかもろびと ゆきかへり ほとけのにはに はなさくらしも」。
意味は、「春がやって来たと今や多くの人が興福寺の庭を行き来して、そこには桜の花が咲き乱れているだろう」。
これから冬を迎え、半年先には桜咲く時期が来ます、コロナの薬もできているでしょうことを期待しています。

浮見堂
奈良公園・鷺池に浮かぶ大正5年に建てられた檜皮葺き、六角形のお堂。
現在の浮見堂は、旧浮見堂が老朽化したために、平成3年から平成6年にかけての3年間の修復工事によって、その美しさを今によみがえらせ水面に写る姿が美しく、浮見堂と鷺池のまわりは、春は桜、秋は紅葉など、季節ごとの眺めがきれいなところで水辺の憩いの場となっている。

歩いていると少し汗ばむほどの陽気の中、銀杏の黄葉や鷺池ほとりの楓の紅葉のほか、いろいろな色どりのこの時期の美しさに出会え相棒ともども出てきてよかった、との感を持ち満足しました。


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女郎蜘蛛

2020年11月15日 | 鳥・昆虫
青森への旅行時、五能線のあおもり白神駅跨線橋の窓ガラスに10センチくらいの大きな蜘蛛が張り付いていました、すぐに女郎蜘蛛が思い浮かびました。
現在の大阪では、こんなに大きな蜘蛛を見かけることはありませんが、昔の実家では結構大きな蜘蛛を見かけることがありました。

ジョロウグモ(女郎蜘蛛・上臈蜘蛛)
ジョロウクモ科。本州から九州で分布。

成体の体長は雌で17〜30mm、雄では6〜13mmと雌の半分以下である。
雌雄とも形はほぼ同じで、腹部は幅の狭い楕円形で歩脚は細長く曲がっている。成熟した雌の腹部には幅広い黄色と緑青色の横縞模様があるのが特徴であり、腹部下面に鮮紅色の紋がある。

10〜11月ごろに産卵、樹木や建物等に白色の卵嚢をつくり、卵で冬を越す。
ジョロウグモの網は、とても大きく、直径1mくらいのものもある。横糸が黄色いので、光が当たると金色に光って見える。

蜘蛛の周りには、蜘蛛の糸のようなものと網にかかった小動物らしいものがあり、こんなところに網を張るのか不思議でした。
蜘蛛については、朝見るのは縁起が良いが夜遅く見る蜘蛛は縁起が悪い、と聞いたことがあります。それは蜘蛛は狭い隙間から入り込むことから泥棒が入るとか不運を引き寄せるとかの悪いイメージがあるためのようですが、フランス等海外では幸運をもたらしてくれる使者や、悪運を退けてくれる守り神という考え方で全く反対に良いことがある、と言われているようです。
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