前回のブログで、四天王寺結縁綱をアップした際、聖徳太子の1300年御聖忌が大正10年に執り行われたことが判り、聖徳太子の命日が22日であることは四天王寺へ行っているうちに知りました。
大正10年は、母の誕生年であり22日は母の命日であります。
母は、若い時から四天王寺の境内にある紙衣堂への信心が厚く、ことあるごとに占ってもらっていました。
私の結婚についても紙衣さんに占ってもらったことは結婚後知りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/71/862bf0d95a369cf9e9b32bd55ce79726.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/37/5be78515b8ac64b3ef43ec4d8f9eab47.jpg)
我が家が四天王寺とかかわるようになったのは、祖父が亡くなった際のお寺さんを父が探した際近くになく四天王寺はどの宗派でも受け入れてもらえることからお願いすることになったことを父から聞きました。
今回改めて母と四天王寺との縁を感じ、また父母の結婚記念日が相棒の誕生年月日であったことも私と相棒をつなぐ縁であったことも不思議な縁でした。
縁は異なもの乙なもの、とのことわざを思い起こされるとともに優しかった母には本当に可愛がってもらったことを思い出し両親の写真を掲載しました。
大正10年は、母の誕生年であり22日は母の命日であります。
母は、若い時から四天王寺の境内にある紙衣堂への信心が厚く、ことあるごとに占ってもらっていました。
私の結婚についても紙衣さんに占ってもらったことは結婚後知りました。
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我が家が四天王寺とかかわるようになったのは、祖父が亡くなった際のお寺さんを父が探した際近くになく四天王寺はどの宗派でも受け入れてもらえることからお願いすることになったことを父から聞きました。
今回改めて母と四天王寺との縁を感じ、また父母の結婚記念日が相棒の誕生年月日であったことも私と相棒をつなぐ縁であったことも不思議な縁でした。
縁は異なもの乙なもの、とのことわざを思い起こされるとともに優しかった母には本当に可愛がってもらったことを思い出し両親の写真を掲載しました。