大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

奈良大菊人形展・興福寺五重塔国宝特別公開

2021年10月31日 | 史跡
奈良大菊人形展が開催されるとの情報を得、調べてみますと枚方遊園地で開催されていた菊人形展の再現、との言葉があり懐かしくて行ってみました。

会場は、近鉄奈良駅から徒歩10分程度の奈良公園バスターミナルビルの屋上、ちょうど同ビル二階にて13時からの秋華音楽祭が始まり参加。
和楽器(琴・十七絃・尺八)と生け花のコラボ・ヴァイオリン・大正琴・マリンバ・二胡の各演奏を楽しんだ後、菊人形展へ。

菊人形展は、「国のはじまりの地・奈良」をテーマに聖武天皇・光明皇后・孝謙天皇等の人形や大仏の手・螺鈿紫檀阮咸が菊の花で華やかに形作られていました。

以前の枚方菊人形展の規模に比べると大変淋しいものがありましたが、菊人形展が復活されていることは嬉しく、今後に期待したいものです。

菊人形を観賞後、約120年ぶりの大規模修理前の五重塔の初層内陣が公開されている興福寺へ。
興福寺五重塔は、天平2年(730年)興福寺創建者である藤原不比等の娘光明皇后が発願して建立され、5回の焼失と再建を経て現在の塔は室町時代の応永33年(1426年)に建立。

内陣では、心柱を中心にして薬師如来(東方)・釈迦如来(南方)・阿弥陀如来(西方)・弥勒如来(北方)の各像の左右に脇侍仏を従えた三尊仏の形式で合計十二体が安置されていrました。
須弥壇下の一部囲いが外され、心礎上に立つ心柱の最下部が見学できました。

ほんの一部分が紅葉していましたが、奈良公園には修学旅行の中学生や多くの観光客が訪れていて、久しぶりに鹿せんべいの売り子も多く見られました。
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「聖徳太子」千四百年御聖忌記念特別展

2021年10月21日 | 催事
昨日、天王寺公園内の大阪市立美術館にて開催中の「聖徳太子千四百年御聖忌記念特別展」へ相棒とともに行ってきました。
来年は、聖徳太子(574~622年)が亡くなられて1400年となり、聖徳太子ゆかりの場所にていろいろな催しが開催されるようです。
この特別展では、百年に一度の節目に合わせ太子の生涯をたどり、没後の太子信仰の広がりをご紹介しています。

聖徳太子は、用明天皇の皇子として生まれ、推古天皇の摂政として冠位十二階・十七条の憲法の制定や遣隋使の派遣など国家体制の確立に大きく貢献され、さらに四天王寺や法隆寺の創建に代表されるように仏教を篤く信奉し日本仏教の礎を築かれた。

展覧会では、太子の生涯、事績を絵解きされた絵伝・南無仏を唱えたと伝わる二歳像・摂政像や四天王寺縁起(国宝)等国宝・重文を含む約200点が展示されています。
また、聖徳太子が小野妹子に託し隋の皇帝煬帝にあてた手紙の有名な書き出し「日出處天子致書日没處天子無恙云云」(日出ずる処の天子書を日没する処の天子に致すつつがなしや云々)の随書(写)も展示されていました。

改めて報徳太子のことを勉強できた有意義な時間を過ごせた後、夕暮れの中に通天閣に明かりが入っていて、美術館前の桜に花が付いていました。
暑かった長い夏から寒い冬への突入という極めて気候不順ですが、健康に留意しなければ、と自戒しながら帰宅しました。
夜のニュースは、大阪の新型コロナの信号は昨年7月12日以来赤・黄信号でしたが、21日に緑信号になると伝えていました。







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ひがしおおさか狂言会

2021年10月18日 | 伝統芸能
昨日、「ひがしおおさか狂言会」を相棒とともに鑑賞。
近鉄奈良線八戸ノ里駅から徒歩数分の東大阪市文化創造館(2019年建設)へ開演30分前着。

本日の演目は、
「蚊相撲」・・大名(十四世茂山千五郎正邦)・太郎冠者(茂山千之丞)・蚊の精(鈴木実)
休憩
「御茶の水」・・新発意(茂山茂)・いちゃ(茂山逸平)・老僧(網谷正美)
「鶏婿」・・婿(茂山宗彦)・舅(茂山七五三)・太郎冠者(山下守之)・教え手(島田洋海)

パンフレットの「あらすじ・解説」により、演目のあらすじを理解したうえでの鑑賞でしたので、演者のやり取りがよく判り狂言の面白さを満喫し、相棒ともども大いに笑い楽しむことができました。

狂言は、室町時代から江戸時代の終わりまで武家式楽として武士・公家の特別階級の文化として受け継がれてきましたが、明治時代に入って茂山千五郎家の十世千五郎正重が狂言を庶民にも楽しんでもらおうと地蔵盆・結婚式・お祝いの会など色々な所へ出向いて余興に狂言を上演した。
明治時代でもまだ、能舞台以外での上演はいけない、他のジャンルの芸能と共演してはいけないなど、保守的な考え方が根強かったころ、タブーを犯して活動する正重に対して、お豆腐狂言と称され「茂山の狂言は我々のやっている特別な芸能文化ではなく、どこの家の食卓にも上がる豆腐のような安い奴らや」という意味の悪口を言われました。

しかし二世千作は「お豆腐で結構。それ自体高価でも上等でもないが、味つけによって高級な味にもなれば、庶民の味にもなる。お豆腐のようにどんな所でも喜んでいただける狂言を演じればよい。より美味しいお豆腐になることに努力すればよい」と、その悪口を逆手にとりました。
それ以来、茂山千五郎家では家訓として、これを語り伝えているそうです。

本日も、舞台の上に設えられた簡易な能舞台での熱演でした。
狂言は能ほど堅苦しくなく楽しめる芸能かな、との思いを強くして帰宅。
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岸和田城周辺散策

2021年10月13日 | 史跡
先日の二色の浜ビーチクリーンアップからの帰り道、南海本線蛸地蔵駅を下車して岸和田城へ。
岸和田城前で昼食、そこは元岸和田城主岡部氏の新御茶屋跡(敷地2400坪)に寺田財閥の寺田利吉が延300坪の大邸宅を建築、昼食後回遊式庭園を巡り岸和田城へ。

岸和田城
建武元年(1334年)楠木正成の一族和田氏が、当時岸と呼ばれていたこの地に築城。(岸和田の由来)
その後城主は変遷、戦国時代には織田信長の元で戦ったり、豊臣秀吉が前線基地として利用したり、重要な防衛拠点として機能してきた。
江戸時代には岸和田藩主・岡部氏代々の居城となり、紀州藩の動向を監視する役目もあったという説がある。

天守は文政10年(1827年)に落雷で焼失したが、昭和29(1954)年江戸時代の絵図をもとに再建。
現在では主に二の丸跡と本丸跡が残り、本丸正面には櫓門と隅櫓が立ち並び、石垣の水面近くに通路のような犬走りという構造がある。
これは比較的もろい石材で組まれた石垣を補強する役割があり、全国的にもたいへん珍しいもの。

天守閣前には、作庭家・重森三玲により昭和28年に八陣の庭(枯山水庭園)が築かれている。(国の名勝)
三国志で知られる諸葛孔明の戦術・八陣の法をテーマとしており、中央を大将として天・地・風・雲・鳥・蛇・龍・虎になぞらえた石組みを配置している。
別名千亀利城と呼ばれ、城跡は大阪府の史跡に指定されている。
本丸および二の丸一帯の4.9haは千亀利公園として整備され岸和田市民憩いの場所となっている。

久しぶりにだんじり会館へ。
約300年の歴史を有するだんじり祭り、毎年秋にはだんじり祭りが開催され、全国から 多くの観覧客が訪れていますが、新型コロナの影響で昨年は中止、今年は観覧自粛で開催されました。
岸和田市には80台のだんじりを保有し、それらのだんじりの曳行、まつりを支える企業が集中し、 だんじり産業を形成しています。

会館には、過去のだんじり祭りの映像や1800年初期に作られた最古の岸和田だんじり(写真上右)が展示されたり、だんじりの屋根だけが置いてありその上に乗って団扇を手に華麗に舞う大工方の体験もできます。(以前に来た時には私も体験したことを思い出しました)

蛸地蔵駅への途次、蛸地蔵の地名の由来となった蛸地蔵を祀る天性寺へ。
「蛸地蔵縁起」によりますと、紀州・根来衆に攻撃され落城寸前の岸和田城を大蛸に乗って現れた地蔵菩薩が救ったと伝えている。
秘仏の蛸地蔵は、毎年8月23,24日の開帳されている。
境内には、一切蛸を食べずに願をかけるというユニークな蛸絵馬が多く奉納されていました。

久しぶりの遠出となって張り切っていた相棒も少々お疲れ気味でしたが、よく歩きました。ご苦労様でした。
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二色の浜ビーチクリーンアップ

2021年10月10日 | 催事
昨日、三井ボランティアネットワーク事業団主催の「二色の浜ビーチクリーンアップ 」に相棒とともに参加。
今年は、新型コロナの影響もあって従来の「住友生命」「三井住友海上」との共同開催は中止して、三井V-Netの単独開催となり参加者も20名くらいとちょっと寂しい活動でした。

真っ青な青空、きらめく海面、海上ではヨットを楽しむ人、まるで真夏の海辺でした。
10月だというのに30度近い気温の中での砂浜をうつむいて歩き回りながらゴミを見つけると腰をかがめるという活動、1時間ほどの活動でしたが腰やひざへの負担は結構あり疲れました。

海岸での清掃は地元の皆様の普段の活動もありゴミも少ないようでしたが、今回の活動により集められたゴミも多くあり、まさに塵も積もれば山となる、の言葉を実感しました。
活動中、相棒から「ちょっとこちらへ」と案内された砂浜に黄色い花が、宵待草でした。

久しぶりの遠出、電車に乗ることができ、青空の下に広がる海を見ることで新型コロナでふさぎがちの心も解放され、また宵待草にも出会えたことに相棒も大満足でした。
相棒の歩数計は、17502歩。
よく頑張りました。
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