大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

セイヨウヒイラギ

2021年01月28日 | 植物
司馬遼太郎記念館への道中、鉢植えのセイヨウヒイラギに実が付いていました。

セイヨウヒイラギ
モチノキ科。ヨーロッパ西部・南部、アフリカ北西部、アジア南西部の原産。
葉は互生し、長さ5-12cm、幅2-6cmで、若い枝や下の枝では葉の縁が数箇所鋭く尖るが、古い枝や上の枝では刺の数が少なく、葉先のみ尖る。
雌雄異株。

実は赤く6~10mmで赤く熟すが、非常に苦いので冬の間も鳥に食べられることは少ない。
セイヨウヒイラギには、魔力があると信じられクリスマスによく飾られる。
日本原産のヒイラギはモクセイ科で葉は対生し、実は暗紫色に熟し鳥に食べられて種が散布される。

ヒイラギと言って思い浮かぶのは節分の際、枝にイワシの頭を刺す風習で魔除け鬼除けの意味があるようです。
今年の節分は2月2日だそうです、 節分が2月3日でないのは昭和59年 2月4日以来37年ぶりで、2日になるのは明治30年 2月2日以来、124年ぶりのことです。豆まきの日を間違えないようにしましょう。
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祖父60回忌

2021年01月22日 | 四天王寺
今年は昭和96年、昭和37年に亡くなった祖父の60回忌で四天王寺の六時堂へ。
60回忌という年忌はなく、50回忌の次は70回忌だそうですが、10年後生きているかどうかもわかりませんしキリもよいので法要をお願いしました。

新型コロナのため本堂内へ上がることができず、亀井堂(写真下)での経木流しもできませんでした。
故人の法要を務められるのは、務める人が元気でいる証拠で有難いことであり、今後も健康に留意し70回忌を目指し、相棒とともに元気で過ごしたいものです。

祖父は1月1日早朝に自宅で老衰のため、母の腕の中で亡くなりました。
年末から堺支店の仲間と夜行登山で金剛山に登って帰ってきて、隣のおばさんから亡くなったことを知らされ、急いで実家に帰ったことを思い出し、60年という月日が走馬灯のように駆け巡り、過ぎてしまうとなんと短いことかと感じつつお参りを済ませました。

大寒も過ぎ白梅も咲き出し、季節は移ろっています。
暖かくなるころには新型コロナも少しは収まってくれていることを願いつつ、巣ごもりを続けましょう。
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冬晴れ

2021年01月18日 | 風景
昨日の司馬遼太郎記念館、冬晴れの一日でした。
暖かい日が二日ほど続きましたが今日は厳しい寒さの中での活動を覚悟して、と思っていましたが案に相違して晴れ渡った青空が広がった冬晴れでした。

すっかり葉の落ちたケヤキの梢の先が青空に向かって伸びているのも、また、ヒヨドリの甲高い鳴き声が青空に響き渡るのも、この時期の景観でよいものでした。

冬晴れ(冬晴)とは、冬の好天気のことで、初冬のころの好天気を小春日和と言うのに対し、かなり寒気の厳しくなったころの好天気のこと。冬の季語です。

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なにわ歴博寄席2020

2021年01月11日 | 伝統芸能
昨日は、大阪歴史博物館での「なにわ歴博寄席2020」へ。
2020というのは、本来昨年の3月21日に開催予定でしたが、新型コロナの外出自粛をうけて数度延期され、昨日の開催となりました。

歴博の講堂には約300人は入れますが100人に限定をしての開催となり、観客はマスク着用、入り口で手指消毒をし、座席の最前列は利用していません。
演者はマスクを外していますが、観客と演者との距離は5~6m空いています。

本日の演目は、「上方の花街」をテーマとし
「開口一番(ふぐ鍋)」・・・月亭遊真
「たいこ腹」・・・笑福亭呂好
「ミニ講座 大阪の花街」・・・澤井浩一学芸員
中入り
「たち切れ線香」・・・桂三風

前半の落語では、久々に大いに笑わせてもらい、ミニ講座では大阪の花街は、幕府公認の新町のほか堀江新地・南地・曽根崎新地・堂島新地・住吉・松島等があり、芸者とは男の幇間のことで女の芸者は芸子と呼ばれていた。また、時計のなかった時代は線香で時間を計り料金も線香一本15銭と決められていた等、いろいろ花街のことを教わりました。
トリの「たち切れ線香」は、人情噺で笑いどころは少なくじっくりと聞かせる噺で、桂三風さんの熱演に皆さんと共に感じ入り、最後の落ちの「仏壇の線香が、たちぎれでございます」が理解できました。

咲き出した水仙を見ながら往復ともウオーキング、歩数6014歩普段の運動不足を少し補えました。
近所の落語会もほとんど延期されていて、少しでも早く普段通りに戻って大いに笑わせていただきたいものです。
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七草がゆ

2021年01月08日 | 風景
昨7日、相棒の作る七草がゆを頂きました。
現在は、スーパーで七草セットが売られていますので、それを使っての料理です。
七草とは、せり・なづな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ、すずな・すずしろのことです。

七草がゆ
1月7日の「人日」の日に行われる「人日の節句」の行事で、五節句のひとつです。
五節句・・江戸幕府が定めた式日で、1月7日の人日、3月3日の上巳、5月5日の端午、7月7日の七夕、9月9日の重陽をさす。

人日とは文字通り 「人の日」という意味で、中国前漢の時代に、元日は鶏、2日は狗(犬)、3日は猪、4日は羊、5日は牛、6日は馬、7日は人の日としてそれぞれの占いをたて、8日に穀を占って新年の運勢をみていたことに由来。
さらに唐の時代には、人日の日に「七種菜羹(ななしゅさいのかん」という7種類の若菜を入れた汁物を食べて、無病息災を願うようになり、この風習が奈良時代に日本へ伝わると、年のはじめに若菜を摘んで食べ生命力をいただく「若草摘み」という風習や、7種類の穀物でお粥を作る「七種粥」の風習などと結びつき、「七草粥」に変化していった。

そして、江戸時代に「人日の節句」(七草の節句)として五節句のひとつに定められると、人々の間に定着していった。

また、7日は、「松の内(一般的には1月1日~1月7日)」の最後の日にあたります。
七草粥が定着した背景には、お正月のご馳走に疲れた胃腸をいたわり、青菜の不足しがちな冬場の栄養補給をする効用もあり、この日に七草粥を食べることで、新年の無病息災を願うようになりました。
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