昨日、相棒と共に市バスで四天王寺へ。
墓参り後、金堂内のご本尊救世観世音菩薩と六時堂にお参りを済ませました。
その後、午前中の雨のため露店はいつもより少なめの太子市(毎月22日)の広がる境内を散策。
阿弥陀堂
法然上人25霊場の6番札所。円光大師(法然上人)を祀る。昭和28年に三重県度会町の国束寺本堂を移築。
本堂西側のお堂は、納骨総祭塔に納骨されるお骨を仮安置する納骨堂です。
法然上人は文治元年(1185年)51歳の時に、慈円僧正の招きでここに参詣し往時を慕われお念仏を唱えて日想観を修せられた。又、高野の明遍僧都が夢に四天王寺の西門のあたりで、病人に粥を施している聖のあるのをみて、それが法然上人であることを知ってめざめ、その後、専修念仏の門に入られたと伝えられている。
記録によると元和三年(1617年)に鳥羽法皇が立てた御誓願のもと「短声堂」「引声堂」として再建されたことが記されており、これが昭和20年の戦災で焼失するまで西門にあった。平安時代以降、念仏三昧院、念仏堂と呼称された堂宇が短声、引声と名を変えて再建されたのである。現在、念仏堂は無く、阿弥陀堂を札所に定めている。
今朝の洗面所には昨夜の柚子湯の香りが残り、昨日が一年で一番昼が短く日に日に日差しが長くなる冬至であることを再認識、春の訪れが待たれます。
墓参り後、金堂内のご本尊救世観世音菩薩と六時堂にお参りを済ませました。
その後、午前中の雨のため露店はいつもより少なめの太子市(毎月22日)の広がる境内を散策。
阿弥陀堂
法然上人25霊場の6番札所。円光大師(法然上人)を祀る。昭和28年に三重県度会町の国束寺本堂を移築。
本堂西側のお堂は、納骨総祭塔に納骨されるお骨を仮安置する納骨堂です。
法然上人は文治元年(1185年)51歳の時に、慈円僧正の招きでここに参詣し往時を慕われお念仏を唱えて日想観を修せられた。又、高野の明遍僧都が夢に四天王寺の西門のあたりで、病人に粥を施している聖のあるのをみて、それが法然上人であることを知ってめざめ、その後、専修念仏の門に入られたと伝えられている。
記録によると元和三年(1617年)に鳥羽法皇が立てた御誓願のもと「短声堂」「引声堂」として再建されたことが記されており、これが昭和20年の戦災で焼失するまで西門にあった。平安時代以降、念仏三昧院、念仏堂と呼称された堂宇が短声、引声と名を変えて再建されたのである。現在、念仏堂は無く、阿弥陀堂を札所に定めている。
今朝の洗面所には昨夜の柚子湯の香りが残り、昨日が一年で一番昼が短く日に日に日差しが長くなる冬至であることを再認識、春の訪れが待たれます。
マタマタ楽しい時間を過ごさせて頂きました。。
冬至になりますと嬉しくなります。
昼が少しづつでも長くなってくると思うだけで、気持ちがUPします
春の訪れは、気が早いですね。
マダマダですよ~
年末年始の寒波が心配です。
楽しい時間をありがとうございました。
皆さんお元気で過ごしておられ私達も頑張ろうと思います。
早く春が来るのを首を長くして待っています。