大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

第5回関西花の寺

2017年06月29日 | 関西花の寺
昨日は、第5回関西花の寺で久安寺(池田市)・観音寺(福知山市)・永澤寺(三田市)へ。
家を出る時には雨、難波出発7時45分、梅田経由して高速道を北上。
最初の訪問地久安寺へ。

小雨の中ご住職のお出迎え、立派な楼門の先にはアジサイの参道、受付前には秀吉お手植えのカヤの大木。
本堂の奥の舎利殿涅槃堂で法話をお聞きしましたが、本堂も舎利殿涅槃堂も素晴らしい建物で、堂内ではご住職の声が反響するのにも併せて感嘆の声が上がりました。

久安寺
高野山真言宗。神亀2年(725年)行基の開創。
本尊千手観音立像。楼門は重文。
弘法大師も再興に尽力、久安1年(1145年)近衛帝の祈願所として、楼門・金堂・塔等伽藍49院の坊舎を再興し久安寺と称す。

豊臣秀吉、三光神を祀り月見茶会を親しんだ。
その後衰退を繰り返す中で法灯を護持。昭和興隆事業により諸堂を造営し庭園の整備、旧伽藍跡に霊園および仏塔を造営。
関西花の寺第12番霊場。

境内の池には、モリアオガエルが産卵していて池にせり出した枝には大きな泡の塊を見ることができました。
思いがけず立派な寺院に出会い、満開のアジサイと沙羅(夏椿)の花を楽しみました。

そこから福知山まで約1時間、昼食後観音寺へ。
雨は上がり青空も覗き日焼け対策が必要かと思えるほどの上天気の中、門前の山肌には一面のアジサイを見ながら山門へ。
アジサイの花に囲まれた山門をくぐり、参道脇のアジサイの花の道を進み本堂へ。

観音寺
高野山真言宗。
本尊十一面千手千眼観世音は、33年毎に開帳される秘仏。
養老4年(720年)インドの帰化僧法道仙人が十一面千手千眼観世音菩薩を刻んで草堂に安置されたのが開基。
応和元年(961年)空也上人が七堂伽藍を建立。
鎌倉時代、北条時頼、貞時の庇護を受け繁栄、しかし明智光秀の焼き討ちで全て灰燼に帰した。

江戸時代には本堂を再建され、現在はアジサイ100種1万株が全山を覆い丹波のアジサイ寺として知られる。
関西花の寺第1番霊場。

境内のアジサイの山を上って見晴らし台へ行ってみましたが取り立てて言うほどの景色でもありませんでした。
が、そこに書かれていた「何もない事=無事」の言葉が印象的でした。人生何もないのが一番、と添えてありました。

ご住職の話しの中に銀杯草が咲いているとのことでしたので見に行ってみました。
真っ白で径2~3センチ位の花が地面間近で咲いていました。

益々陽射しが強まる中、永沢寺へ。
3カ所ある入口の真ん中は勅使門。

永沢寺(ようたくじ)
曹洞宗。応安年間(1370年頃)後円融天皇の五州の太守細川頼之卿が七堂伽藍を建立したのが開創。
本尊釈迦三尊。
摂津と丹波両国にまたがっていた所から、通称摂丹境と呼ばれる。
この辺りの地名は、漢音での発音通り「えいたくじ」と呼ばれる。
関西花の寺第11番霊場。

この寺のこの時期の花はショウブで、土、日曜日には近郷からの見物者が押し寄せ歩くのもままならないとのことです。
ご住職の法話の際、本寺は標高560mの高地にある為植物の開花が少し遅いとのこと。
1万坪の敷地に約650種・300万本のほとんどが咲いている状態のショウブ園を散策。
ショウブ園は回遊式になっていて、満開のショウブの中を板敷の通路伝いに巡りますので、花は触れる距離で見ることができ途中の東屋や水車も趣を増していて、大変気持ちの良い時間が過ごせました。

大阪に向け5時30分出発、梅田に着くのは7時を回るかと思っていましたら梅田着6時40分、難波には7時着。
まったく渋滞に遭わず極めて順調に帰ってきました。

今回は満開のアジサイとショウブ、それに沙羅と銀杯草の白い花にも出会うことができ、また雨も上がるという幸運にも恵まれた素晴らしい旅で、相棒共々心が満たされた一日となりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見真堂・布袋堂

2017年06月21日 | 四天王寺
四天王寺西門を入ってすぐの極楽門の手前左手に見真堂・右手に布袋堂があります。

見真堂(写真上左)と親鸞聖人像(写真上右)。
浄土真宗の祖である親鸞聖人を顕彰し建立。堂の手前に立派な親鸞聖人の銅像。
本尊を阿彌陀如来とし向かって右に聖徳太子像、左に六字名号の掛け軸を祀る。

浄土真宗の親鸞聖人は「見真(けんしん)大師」というお名前がありますので、見真堂=親鸞聖人堂として浄土真宗信者が多く参拝。
一昨年の10月からは、毎月21日と22日限定ですが、見真堂の堂内にてご回向が出来る。

布袋堂(写真上)
大阪七福神めぐりの1番札所。
俗に「乳のおんばさんのお堂」と呼ばれる。一説には元来聖徳太子の乳母を祀ったのが始まりで、布袋の乳の豊かさと母乳がよく出ることを祈願することから結びついたといわれる。

ここの布袋尊は、豊かなお腹は福を呼び、背中の黄金袋は財を呼び、手に持つひょうたんは諸願成就が叶うといわれています。
毎月21日、布袋堂法楽が厳修。

昨日、母の三回忌の法要を六時堂と亀井堂で済ませてきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海紅豆

2017年06月17日 | 植物
先日、大阪女学院のヘールチャペル訪問の際、チャペルの南側で海紅豆に出会いました。

この樹には懐かしい思い出があります。
数十年前、購入した時のこの樹の状態は、高さ1m、径10㎝ほどで細い枝が一本のみで葉もなく、まるで丸太を植木鉢に差し込んだ状態でした。
付けられていた花の写真は、真っ赤で珍しい形をしていましたので購入しました。

春先に購入してから物干し場に置いて水だけは遣っていたのですが、なかなか芽が出ず枯れているのではないか、と思われ、とうとう父に愛想をつかされごみとして出されるため庭に降ろされていました。

数日後、ごみとして出す日相棒が「芽が出てます」と。
急遽、物干し場へ移動、その後開花し美しい真っ赤な花を見ることができました。

海紅豆(アメリカデイゴ)
マメ科、南アメリカ原産の落葉低木。江戸末期に渡来。
鹿児島県の県木であり、アルゼンチン、ウルグアイの国花。

日本では庭木や街路樹として使われる。寒さに弱いため関東以南で栽培可能。
日当たりのよい北風の吹かない暖かい所へ植え、肥料は与えすぎない様にする。

花期は6~8月頃,枝先の長い花序に深紅色の花をつける。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘールチャーチ 大阪女学院

2017年06月14日 | 史跡
大阪城の南、難波宮跡公園の東南に位置する大阪女学院の「ヘールチャーチ」が、今年5月登録有形文化財に指定され、記念講演会に参加して来ました。
この学校には、勤務時代の数年間毎年のように訪問をしたことがあり、また大阪城までのウオーキング時にも何度も正門前を歩いていましたので当時のことが懐かしく思い出されました。

ヘールチャーチ
昭和26年竣工。建築設計ウイリアム・メレル・ヴォーリズ。

昭和20年6月の大阪大空襲で大部分が瓦礫と化したキャンパス。
焦土の中、米国長老会教会の視察団が来日の際当時の西村次郎副院長は「あなたたちが焼いたのだから復興資金を出してほしい」とユーモアを交えて依頼。
その甲斐あって昭和24年に20万ドルの資金贈呈を受け校舎建設が一気に進み、昭和26年北校舎とヘールチャーチが竣工。
学院の創設に携わったA・D・ヘール宣教師一家を記念して「ヘールチャペル」と名付ける。

戦後復興期を代表する建築物として今年5月登録有形文化財に指定。
また、適切な維持保全で永年活用されている建物に贈られるBELCA賞も受賞している。

ウイリアム・メレル・ヴォーリズ
明治38年アメリカから伝道を行うため来日、太平洋戦争のさなか帰化し一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名。

建材やオルガンの輸入、メンソレータム(現近江兄弟社)の販売等を行った近江セールズ社を創立。
当時疎外されていた結核患者を救い続けた近江療養院を開設。
幼稚園から高等学校にまで及ぶ教育活動。

建築においては住宅から学校、教会、デパートからホテル、オフィスまで幅広く手掛け戦前だけで1500件を数える。
その建築物はクリスチャンマインドによっていて、依頼主の求めにふさわしい様式を選択し、住み心地の良い、健康を護るに良い、能率的建物を目指した。

四角い外観ですが内部には曲線が多く取り入れられていて、ステンドグラスも見た目には地味な色合いですが光線によって変わる色合いが落ち着いたやさしい感じを与え教会らしさを醸し出していました。
こんなに近くにヴォーリズの作品があるとは知りませんで、相棒とも良い時間を持つことができラッキーでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第4回関西花の寺

2017年06月10日 | 関西花の寺
昨日は、第4回関西花の寺、今回は兵庫県の3ヵ寺へ。
難波7時集合、梅田から中国道、舞鶴若狭自動車道、北近畿豊岡自動車道を経由して豊岡へ。

バスは、真っ青な青空から降り注ぐ明るい陽射しを受ける早苗や青々した山並みを望みながら約3時間のドライブ。
最初の参拝寺隆国寺に到着、石垣に囲まれた趣は城郭のようです。

隆国寺
曹洞宗。
室町時代、山名家の四天王垣屋隆国公の菩提寺として開基。
本尊は、聖観音菩薩で60年に一度開帳の秘仏。

本堂内の襖には、虎・孔雀・鶴(中にコウノトリも)等が画かれ岸派(江戸時代)の作品。
遣明使節団が持ち帰った牡丹を本尊に供え境内にも植えたことから、現在では但馬のぼたん寺として有名。

境内には白い花が満開、ヤマボウシでした。
また、花は小ぶりですが赤、青、紫と色とりどりに咲く山アジサイが見頃でした。

出石にて昼食。バスで小1時間、應聖寺へ。

應聖寺
天台宗。白雉年間天竺の法道仙人により開基。
播磨守護職赤松家の祈願所として七堂伽藍を整え再興。

法話の際、当寺は沙羅双樹の寺として有名で境内には200株程度あるが、今朝点検したところ咲いているのは樹の先端の一輪のみ、と。
境内には沙羅だけではなく色々な花が咲いていて、セッコク(写真下左)も見頃です、と。

一輪の沙羅の花の下には、涅槃の石像。(頭と足を造られ胴体部分にはサツキが植えられています)
先代のご住職が余命3か月を宣告されてから刻み始め、12年を要して完成後亡くなられたそうです。

バスで移動90分、鶴林寺へ。

鶴林寺
天台宗。
排仏派から逃れていた高句麗の僧恵便法師の教えを受けるため、この地を来られた聖徳太子が精舎を建立し四天王寺聖霊院と名付けられたのが当寺の始まり。

養老2年、太子の遺徳を顕彰するため七堂伽藍を建立、その後慈覚大師円仁が入唐の際立ち寄られ薬師如来を刻して国家の安泰を祈願され、以後天台宗となる。

天永3年鳥羽天皇から勅額を頂き、鶴林寺と改め隆盛を極めた。
今でも、刀田の太子さん・播磨の法隆寺と呼ばれ人々の信仰を集めている。

太子堂(平安時代)。本堂(室町時代)は、建立当時から残り何れも国宝である。
室町時代建立の三重塔は、江戸時代に大修理が行われ、仁王門と共に県の指定文化財。

ここでも沙羅はつぼみでしたが、菩提樹の花が満開で香りと共に楽しめ、広大な境内は往時の面影が偲ばれました。

海岸線道路の渋滞情報により中国道へ回って難波着7時30分。
梅雨に入った所でしたが、素晴らしい好天に恵まれ目的の沙羅の花には一輪出会え。また多くの花にも出会えた楽しい旅で相棒共々満足の一日となりました。

今回は、加古川上流の豊岡市から下流の加古川市までを旅しました。
ご住職のお話しの中に、つぼみに出会ったら「頑張って咲いてね」、また散った花に出会ったら「よく頑張ったね、ご苦労さん」、と心の中で声掛けをして花を見るように心がけたいと思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする