大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、平成17年リタイア後ブログをはじめました。

南東北の旅 その4

2018年06月01日 | 南東北の旅
今回の旅で特に印象に残った山寺のことを書いておきたいと思います。

宝珠山阿所川院立石寺(通称山寺)
一般的には山にある寺を山寺と呼んでいるが、山形では山寺と言えば、古刹「宝珠山阿所川院立石寺」と共にその歴史と文化を育んできた集落のことである。

開山の慈覚大師円仁は、794年下野の国(現在の栃木県)に生まれ、8歳にして仏門に入り、15歳で比叡山を尋ね天台宗祖最澄に弟子入りする。後に最澄の遺志を継ぎ第三代天台座主となる。
承和5年(838年)最後の遣唐使の一員として唐に渡り10余年中国の寺院を巡礼し天台仏教、密教の何たるかを学び、曼荼羅や経典、その解釈や修行法等を日本に持ち帰った。

830年前後、当寺この山里を仕切っていたのはマタギの頭領磐司磐三郎。円仁は磐司磐三郎に殺生を説き、この山里が如何に仏の御山に相応しいかを諭し、磐司磐三郎は円仁の想いを受け入れマタギをやめ山寺を明け渡し秋田阿仁へ去ったそうです。

864年円仁は比叡山で入寂、遺骸は比叡山を飛び立ち紫雲の雲に乗り出羽の国立石寺に向かった、との伝説を裏付けるように昭和23、24年にかけて慈覚大師が入定なされている立石寺境内開山堂脇下の入定窟の学術調査の際、中から五体分の遺骨と円仁そっくりの木造頭部が見つかった。この木造頭部は国の重文に指定。

5月26日12時50分山寺の入り口着。
石段76段で東北随一の根本中堂へ。さらに20段上って参拝。
根本中堂は、1356年の再建でぶな材の日本最古の建物。本尊は薬師如来坐像で50年に一度開帳される秘仏、伝慈覚大師円仁の作。比叡山から分灯された不滅の法灯は、ご本尊の両脇の燈籠内で灯し続けられている。

芭蕉・曽良像、日枝神社、鐘楼と念仏堂(写真下左)を通って山門へ。
山門から1015段とも1018段ともいう石段を上り始めます。

間もなく三途の川の番人奪衣婆(写真上右)のいる姥堂、石段脇には死者を弔う墓碑や慰霊碑が数多く立っています。
両側からの岩で道幅が極端に細くなっていることから四寸道と呼ばれるところを通ってせみ塚へ。
芭蕉が奥の細道で山寺を訪れた際、直感的に詠んだ句は、「山寺や 岩にしみつく 蝉の声」だったそうですが、後の推敲の末「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」となったそうです。
その句をしたためた短冊を埋めて石の塚を建てせみ塚と呼んでいる。

せみ塚の近くに弥陀洞があり、距離的には参道の中間くらいです。
弥陀洞とは、風雪に削り取られた岩塊の窪みや出っ張りが阿弥陀様に見えることから呼ばれており、この辺りには宗派を超えた祈りの岩塔婆が数多く見られます。

いよいよ仁王門です。
嘉永年間(1848~53年)に再建された仁王門は、間口4間、奥行き2間半あり左右に金剛仁王尊像が安置されている。
しばらく上りますと分岐点、石段をそのまま上って行くと奥之院へ、左手の坂道が五大堂へ向かいます。私は五大堂への緩やかな坂道へ。

五大堂の手前の開山堂と開山堂の左手の崖の上に写経を納める赤い小さな衲経堂(この崖の下が入定窟・現在は近づけません)。
開山堂の右手の狭い通路を上って行きますと五大堂。
薄暗い五大堂の先には明るく開けた空間、そこまで行きますと遠くの美しい山並みと眼下に山寺の街並みが開けています。
奥之院へ向かおうとしていましたら、相棒が追い付いてきました。

私は奥の院へ、相棒は下山。

開山堂前から坂道を上り、石段に戻りますと休憩所がありましたので、一息入れ見上げます奥之院が見えています。
すぐに奥之院13時30分着、所要時間40分。

奥之院(正式名如法堂)は、明治5年再建、本尊は慈覚大師がいつも背負っておられた三寸七分の釈迦牟尼仏と多宝如来坐像。
その左隣の大仏殿には像高5mの金色の阿弥陀如来像を祀っている。

大仏殿左手上の塔頭華蔵院の巌洞には三重小塔(高2.5m)があり、室町時代の永正16年(1519年)の銘があり、国の重文としては一番小さい。

石段を下る途中の塔頭中性院・金乗院・性相院・観明院を左手に見ながら仁王門まで下り小休止。
引き続き念仏堂まで下って駐車場へ。
伊賀上野の父の実家の宗派は、天台宗真盛派(真盛上人は伊賀上野出身)ですので今回の山寺訪問を天国から見ていてくれたのではないでしょうか。

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南東北の旅 その3

2018年05月31日 | 南東北の旅
5月27日、南東北の旅の最終日。
本日の訪問地は、大内宿と鶴ヶ城。

出発前、青空の下相棒と共にホテル周辺の白樺林とタンポポが咲き乱れる草原を散策。
8時15分ホテルから福島県内の一般道を南下、バスで1時間40分大内宿へ。

大内宿は、南会津の1000m級の山々に囲まれた標高660m前後にある小規模な盆地の東端にあり江戸時代の下野街道の半農半宿の宿場町。
450mの街道沿いの両側に茅葺屋根の民家が立ち並び、重要伝統的建造物群保存地区に選定され福島県を代表する観光地の一つ。
民家全てが土産物店、飲食店や宿泊施設を営んでいる。

街道沿いの民家両側とも2~3m程前面には綺麗な流れの幅数10cmの溝があり、それに挟まれた幅5~6mの通りは多くの観光客であふれています。
通り中程に一際立派な茅葺屋根の民家、本陣で町並み展示館になっています。

町並みの奥の小山には、子安観音堂(写真上右)・弁天様と見晴らし台があり、階段が2カ所あり82段と97段ありました。
見晴らし台からは、当時そのままであろう町並みが一望できました。

街道沿いの建物の全てが茅葺き屋根、という素晴らしい景観を見ることができ江戸時代にタイムスリップできました。
最後の訪問地鶴ヶ城までバス移動50分。

鶴ヶ城は正式名若松城で、至徳元年(1384年)葦名直盛がはじめて館を築き、改修を経て天下の名城となった。
代々の城主は、葦名直盛・伊達政宗・蒲生氏郷・上杉景勝・蒲生秀行・加藤嘉明・保科正之と続き松平容保の際戊辰戦争で開城。

難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は、戊辰戦争で新政府軍の猛攻の前に籠城一ヵ月、城は落ちなかった。石垣だけを残して取り壊されたのは明治7年のことである。
昭和40年天守閣が復元、平成13年に南走長屋・干飯櫓が赤瓦により復元(写真上右)。
平成23年春には天守閣を幕末時代の瓦(赤瓦)に葺き替え、赤瓦の天守閣として日本で唯一となった。

城内の千利休の子・少庵が建てたと言われる茶室麟閣(県重文)や滝廉太郎作曲の荒城の月の碑を見学。
荒城の月の作詞は土井晩翠ですが、鶴ヶ城と青葉城(仙台)とをモチーフにされたようです。

3時間半のバス移動で上越妙高駅へ。
18時35分発、金沢で乗り換え、日本海が夕日に映え沈むのを見ているうちに定刻通り大阪駅着22時31分。

今回のツアーは、私の行きたかった山寺・大内宿・鶴ヶ城の見学があり、いずれも素晴らしく相棒と共に楽しい思い出になりました。
特に山寺の石段はこの先年齢のことを考えると行っておいてよかった思っています。
残念だったのは飯盛山に行けなかった事ですが、いつかの楽しみにとっておきましょう。


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南東北の旅 その2

2018年05月29日 | 南東北の旅
5月26日、南東北の旅2日目。
4時30分起床、宿泊者向けの夜明けの茶散歩に参加。相棒は本日の山寺の階段上りに備えて不参加。

5時ホテル前に集まった22名、昨夜同様先導のスタッフの熊除け鈴の後についてゴルフ場へ。
途中、足元にはドングリが一杯熊等が集まって来るのがよく判ります。
樹木(ナラの仲間が多いそうです)の下部が一様に曲がっているのが多く、理由は雪の重みで曲がったそうです。
又、林の上の方でタイサンボクのような大きな白い花が咲いています、ホウノキの花です。

14番ホールグリーン手前からコースの中へ、東方向に磐梯山が黒く聳えています。
スタッフの用意して頂いたハーブティーを頂いていると、磐梯山の右手中腹からご来光。
あっという間に太陽が顔をだし夜が明けました。
表磐梯山の穏やかな山容が美しいです。(裏磐梯山の険しい姿も楽しみです)

15番、8番、16番ホールを横断、ゴルフ場を横切るという貴重な体験をし、約40分の散歩を終えました。

朝食を終えた相棒と共にホテル裏のスキー場手前、熊の生活圏を散策後、8時出発。
行程は、上杉神社(米沢市)⇒昼食(天童市)⇒山寺(山形市)⇒五色沼(福島県北塩沢村)⇒裏磐梯東急ホテル泊。

約90分の乗車で上杉神社着、長い参道の脇には上杉謙信・鷹山の像。
上杉神社は、米沢城址に位置し藩祖の上杉謙信を祀り、併せて米沢藩中興の名君である上杉鷹山を合祀。

山寺近くの天童まで移動して昼食。

いよいよ山寺、千余の石段に挑戦です。(拝観時間1時間25分)
山寺は通称で、正式には「宝珠山阿所川院立石寺」、開山は慈覚大師円仁(第三代天台座主)。
山寺とは、奥羽山脈の付け根の山峡に営まれてきた小さな九つの集落からなる山寺(地名)にあり、古刹「宝珠山阿所川院立石寺」と共にその歴史と文化を育んできた集落のことを言う。

まず、70余段で根本中堂(写真上)・本尊は薬師如来で両脇には千二百余年灯し続けられた「不滅の法灯」が灯る一対の燈籠が吊り下げられている。

根本中堂でお参り後、日枝神社・芭蕉、曽良像・鐘楼・姥堂(写真上左)・弥陀洞・せみ塚・仁王門(写真上右)・開山堂・五大堂・衲経堂・奥之院、大仏堂を順に巡ります。
姥堂では、あの世の入り口に立つ奪衣婆がいますので二人でよく拝んでおきました。

相棒は、五大堂までを目標に上ります。
私は奥之院まで行くつもりですので姥堂で相棒と別れ、途中で写真を撮りながら上り五大堂で眼下の山寺の街並みを眺めながら涼を入れていますと相棒が到着。(写真上五大堂とそこからの眺望)
(五大堂までで約800段位でしょうか)

五大堂から奥之院へ向かってすぐ茶店がありましたので一休み。
そこからは奥之院まではすぐでした。
(石段数1015段とも1018段とも言われている・所要時間40分)

奥之院・大仏殿(像高5mの金色の阿弥陀如来)で献灯をし家族の安全をお願いして下山。

次の観光地五色沼へバス移動、山形自動車道・東北自動車道・磐越自動車道を乗り継ぎ約2時間半。

五色沼とは五つの沼ではなく約30の沼ごとに五色の色を見ることができることから名付けられた。
私達が行ったのは、五色沼の内で一番大きな毘沙門沼で今はエメラルドグリーンでしたが季節ごとに色も変化するようです。
唯一ボート乗り場があり、険しい岩山の様子の裏磐梯山を沼越しに望むことができます。
表と裏の磐梯山の全容を見ることができる僥倖に感謝です。

見学後ホテルまで15分、17時45分着。

本日の宿泊は、裏磐梯グランデコ東急ホテル。
夕食後、温泉へ。
よく歩き、バスの移動距離も長かったので、酔いも手伝いバタンキュー。

本日のバス移動距離 310キロ。
歩数計 10045歩。

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南東北の旅 その1

2018年05月28日 | 南東北の旅
5月25日から二泊三日で南東北の旅へ。
主な訪問地は、山寺・鶴ヶ城・大内宿でいずれも行きたかったところです。
5月25日、8時10分大阪駅発サンダーバードにて金沢駅・乗り換えて北陸新幹線はくたかにて上越妙高駅12時58分着。

車窓には青空の下、滋賀県内では早苗が風に揺れ、福井県では麦が金色に輝いています。
石川県・富山県に入ると穏やかな日本海、雪の残る妙高山を望める頃には新潟県上越妙高駅に到着。



そこからは、宿泊地の福島県の磐梯山清水平温泉へ約4時間のバスの旅。
宿舎の星野リゾート磐梯山温泉ホテル到着は17時。
ホテル右手奥には磐梯山が迎えてくれています。こんなに頂上まで美しく見えるのは珍しいそうです。

温泉で一汗流して夕食、ビールの後地酒で良い気持ちに。
ホテル内で郷土玩具の赤べこや起き上がり小法師を見て回り後、20時から宿泊者向け磐梯星歩きに参加。
相棒は、明日の山寺の階段上りに備えて不参加。

磐梯星歩き参加者26名が、スタッフの熊除け鈴の後に続きホテル前のゴルフ場を散策し、出発間もなく西の空低くよく光っている星が金星との説明、また今夜は月夜のため明るく少し見にくいかも、と。
移動して16番ホールの池の横で夜空を見上げます。
スタッフの北斗七星が見えますか?、の言葉で皆さん上を見上げ、見つけた!!の声。
北斗七星の写真は「星座を見つけよう」から拝借。

その指差す方向に良く光る星で柄杓の柄の部分の三つの星が見つけられ、その後も大熊座・北極星等の説明がありました。
私の視力ではそれ以上は見えず、又カメラにも納められませんでした。

約40分真っ暗闇のゴルフ場を散策、池の周りでは水のみにやってきた鹿の赤い目を見た人もいて山の中にいることが実感できました。

はじめて北斗七星の一部を見ることができたことに感激の星歩きの後、温泉に入ってぐっすり。
天候に恵まれるであろう明日からの旅が楽しみです。

初日の移動距離 列車436キロ+バス250キロ=686キロ
        歩数計5775歩

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