大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

第26回菜の花忌

2023年02月13日 | 司馬遼太郎記念館
昨日、第26回菜の花忌が開催されました。
会場は、記念館から徒歩数分の東大阪市文化創造館(近鉄線八戸ノ里駅前)。
八戸ノ里駅、河内小阪駅から記念館への道路沿いには、ご近所やボランティアの方たちのご協力で育てられた菜の花が街中を明るくしています。

今年は、司馬遼太郎氏生誕100年にあたり、シンポジュームのテーマは「生誕100年 司馬作品を未来に」。
また、昨年実施されたアンケートで、「好きな司馬作品」の結果が発表され、1位は「坂の上の雲」・以下「竜馬がゆく」「燃えよ剣」「街道をゆく」「峠」「花神」「国盗り物語」「菜の花の沖」「関ケ原」「世に棲む日日」。(女性の1位は「燃えよ剣」)

パネリストの皆様からは、司馬遼太郎氏の偉大さについての各々の思いが縷々語られ、改めて司馬遼太郎氏の作品の影響力の大きさに触れることができました。
終演後、司馬遼太郎氏のお好きだった菜の花を手に帰途に。

頂いた菜の花は、お雛様の横へ。我が家には一足早く春が来ました。



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『峠・最後のサムライ』

2022年08月11日 | 司馬遼太郎記念館
昨日は久しぶりの映画観賞、相棒と共に『峠・最後のサムライ』を見に行ってきました。

ナンバパークスシネマでの上映は、9時40分開始。
映画は、徳川慶喜の大政奉還によって終わりを迎えた徳川幕府、諸藩は旧幕府側の東軍と明治新政府側の西軍に二分され、やがて戊辰戦争が勃発する。
話し合いによる和平の道を模索しスイスのような武装中立を目指す継之助だったが長岡藩も否応なく戦渦に巻き込まれていく。

河井継之助訳の役所広司さんが正義と信念に生きる継之助を人間味豊かに力強く演じられ、共演の松たか子(妻すが役)・仲代達矢(藩主牧野役)・香川京子(母役)・榎木孝明(友人役)たちの脇役陣も豪華で、「役人は民のしもべである」を自負し庶民の暮らしを守るため戦争を回避すべく奔走した継之助が見事に演じられ見ごたえがありました。

司馬遼太郎氏は、この作品で侍とは何かを考えてみて、その典型を長岡藩の非門閥家老河井継之助に求めたことは、書き終わってからも間違っていなかったとひそかに自負している、と作品『峠』のあとがきで述べています。

この作品で一躍有名になりました継之助は戦いで戦死しましたが、あとに残った妻すがのその後が気になり、帰って調べてみました。
すがは、長岡に戻りましたが藩論を主戦に導いた継之助が全責任を負わされ家族もまた怨嗟の的となった。河井家の墓は壊され、すがとその家族は外出もままならなかった中、舅は失意のうちに死んだ。
遺族の窮状を憐れんだ旧主の牧野忠恭は、藩士・森源三(札幌農学校二代目校長)に100石を与えて、すがたちの扶養を命じ、ようやく露命をつなぐことはできたが、明治5年、石もて故郷を追われるように、すがは森に従って東京へ出た。
さらに転職した森について北海道に居を移した。
激変する境遇に耐えながら、すがは密かに河井家の再興を願い、明治17年に願いは叶えられた。
実子がなかったので、森の子の茂樹を養子に迎えている。
明治22年には、長い間、苦楽をともにした姑が他界し、5年後の明治27年、すがも北海道江別で没した。
戊辰戦争で長岡藩を率いた河井継之助の妻として生き抜いた半生は想像以上の苦労をともなったようですが、継之助に尽くした生涯は武士の妻らしく終えたのでは、と思いました。







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龍野・室津・美作

2022年04月12日 | 司馬遼太郎記念館
司馬遼太郎記念館のボランティアツアーに参加。
コースは、龍野(作品「貂の皮」の主人公脇坂安治が治めた城下町)⇒室津港(同「街道を行く9播州揖保川室津みち」で描かれている)」⇒美作・宮本武蔵の里(同「宮本武蔵」の冒頭に登場)
何れも司馬遼太郎氏の作品ゆかりの地を訪ねる旅です。

8時バス二台で出発。
好天に恵まれ、バスは高速道路を順調に快走、当初の車窓からは散り始めた桜が望めましたが、西へ進むごとまだ満開の桜にも出会い、また菜の花等も美しく楽しめました。

龍野では、自由に散策ということでしたので私は旧脇坂屋敷跡から龍野城址を巡り、創業1901年という伏見商店(書店)・醤油の郷大正ロマン館を見て回りました。

室津港は1300年の歴史を有し、平安時代の遣唐使船、江戸時代には北前船や参勤交代の船も立ち寄った歴史ある港町。

大変こじんまりした港ですが、本陣跡が4つ神社仏閣(賀茂神社・見性寺他)も多数残っており、大坂城の石垣として積み出されなかった石(残念石)も残されています。

賀茂神社の歴史は平安時代にさかのぼり、京都の上賀茂神社からの分社で元禄12年(1699年)に建て替えられたとされる檜皮葺の社殿は国の指定建造物。

司馬遼太郎氏の作品「街道をゆく」の一節が郵便局の前に書かれていたり、訪問時の料理旅館が車窓から見えたりでこの地を氏が訪問されたことが偲ばれました。

最後の訪問地宮本武蔵の里では、宮本武蔵記念館前の宮本武蔵像・生家跡(立派な石碑が建てられています)・讃甘(さのも)神社(武蔵幼少期この境内で遊んだ)を見学。
宮本武蔵の二刀流(二天一流)は、讃甘神社の神主の太鼓を打つさまを見て、二本のバチを以て左右の音が等しいに感得し編み出した。

その後、近くの智頭急行線の日本で唯一個人名を冠した駅である宮本武蔵駅を見学後、一路大阪へ。

八戸ノ里駅着19時半、新型コロナ対策万全の上での司馬遼太郎氏の偉業を再認識できた大変楽しいツアーを有難うございました。
ここ数日の温かさで開きかけていた近所の八重桜が、本日の五月並みの暖かさで一気に開花が進み、ほぼ満開です。



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ヤマモモの実

2021年06月21日 | 司馬遼太郎記念館
司馬遼太郎記念館の玄関横のヤマモモの実が、近年では珍しいくらい多く生っていて熟した実の落下が始まっています。
10数年前には、この実でヤマモモ酒をつくった、と聞いたことがありました。
実が生りますので花は咲きますが、目立たないのでしょう、見たことがありません。

ヤマモモ
ヤマモモ科。中国大陸や日本を原産とし暖地に生育し暑さには強い。関東以南の低地や山地や、本州南部以南では海岸や低山の乾燥した尾根などで自生し、痩せ地で森林を構成する重要樹種である。

常緑広葉樹の大高木で樹高20mほどになる。生長は遅く幼木は日陰を好むが成木は日なたを好む。
山に生えモモのような果実をつけることからヤマモモと呼ばれ、雌雄異株で花期は4~5月中旬。数珠つなぎに穂状の小さな桃色の花弁4枚の目立たない花をつける。
雌株につく果実は直径1.5~2 cmのほぼ球形で、6月頃に紅色から暗赤色に熟し食べられる。

木の下枝には、熟した実が衣服につくと汚れますので、「落下する実に、ご注意」の札が下げられています。
街路樹にもよく利用され、自宅近くの上町筋にも植えられていて、この時期樹下の道路が真っ赤に染まっているのを見かけます。

先週つぼみだった、キキョウやクチナシが満開です。



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雨上がりの庭

2021年06月14日 | 司馬遼太郎記念館
雨上がりの司馬遼太郎記念館の庭、緑濃い樹木の葉やアジサイの花にも昨夜来の雨の水滴がつき、その一つ一つの中に小さな世界ができています。

例年になく早い梅雨に入り日本全国夏日や真夏日到来の報道がなされ、玄関先に立っていますと蚊や蝿がまとわりついてきたり、庭のツユクサの花は盛りを迎えクチナシの花につぼみが付き夏本番の近いことが思われます。

雨に濡れた庭園も趣があり、活動を楽しくさせてくれていました。
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