大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

サマーコンサート

2018年08月29日 | 高齢者大学
相棒と共に、高大主催のサマーコンサートへ。
会場は、天満橋近くのエルおおさか内エルシアター。
座席700席は、ほぼ満席。

第1部 弦楽四重奏(ドルチェ・・相愛大学音楽学部卒業生四人組)

第2部 オペラ歌手(テノール・バリトン・ソプラノ・メゾソプラノ)を加えてオペラ曲から歌謡曲まで演奏。

それぞれ始めに楽器や声種の特徴と実演を示され、各曲目ごとに楽しい会話が入り楽しい時間が過ごせました。
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ビーチバレー

2018年08月26日 | 催事
森ノ宮遺跡を見学後、「ビーチバレー女子ドリームマッチ2018」が開催されているJR桜ノ宮駅から大川沿いのビーチバレー会場へ。対岸には帝国ホテルが聳えています。

ビーチバレー会場は中之島にあることは知っていましたが、桜の宮にもあることは知りませんでしたので一度見てみたくて行ってみました。
駅から徒歩数分の会場には、コートが三面ありそれぞれ水着姿の男女がビーチバレーを楽しんでいました。

大会は奥のコートで行われ、しばらく練習後試合開始。

ビーチバレー
バレーボールから派生した球技で、砂浜にネットを張ったコートで、2人1組のチーム同士で対戦する。21点先取(3セット目は15点先取)する3セットマッチ。

歴史は1920年代はじめ、アメリカ、カリフォルニア州サンタモニカのビーチレジャーとして始まったのが発祥とされる。(1914年ハワイアンが砂浜でバレーボールをしたのが始まりとの説もある。
1996年からはオリンピックの正式種目となっている。

しばらく観戦していましたが炎天下での見学は熱中症の心配もあり、若人の元気さを羨ましく思いながら早々に退散しました。
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森ノ宮遺跡

2018年08月26日 | 史跡
昨日、森ノ宮遺跡展示室へ猛暑の中出掛けました。
場所は、地下鉄中央線森ノ宮駅から徒歩1~2分の大阪市労働会館内ピロティホール地下室。

森ノ宮遺跡
昭和35年ごろ工事中に縄文・弥生時代の土器片が発見されたことをきっかけに調査が開始され、昭和46年大阪市労働会館新築に先立つ調査の際、大きな貝塚(50m×50m・西日本最大)が発見され、発掘されたものを展示。
(写真下左縄文土器・右弥生土器)

この地には縄文前期(5千年前)から人が住みはじめ、縄文後期(4千年前)にはマガキの貝塚がつくられ、縄文晩期(3千年前)には前面の海が淡水化し貝塚もセタシジミを中心としたものに変化していきました。

貝塚からは、マガキ、セタシジミや魚骨・漁具が多く発見されたほか、埋葬された10数体の縄文人の骨(約5千年前)・縄文と弥生の土器・豊臣秀吉の金箔を貼った瓦等(写真上)が出土。
展示されている人骨(写真下)は、身長148cmの30歳台の女性で「モリコ」と名付けられています。
膝が折り曲げられ、頭が胸の上にあることから屈葬であったことがうかがえます。

当時、環状線の東側は生駒山の麓まで海でしたので、住人の住まいは、この場所から西側の坂の上にあったようですが残念ながら住居跡は見つかっていません。

この貝塚の目玉は、発掘された人骨そのものが展示されている事でしょう。保存のための樹脂加工が施されているため、濃い茶色で照明に反射して見えるのもやむを得ないでしょう。

展示室は年に数日の公開されるのみで、今回は24日から26日までです。
折角の貴重な出土品ですので、もう少し立派な常設館にしてもらいたいものです。
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うえまち寄席(第25回)

2018年08月19日 | 伝統芸能
昨日、ご近所の大阪市立社会福祉センターでの「うえまち寄席」へ。
従来の教育会館から会場が変わり、今迄板に金色の紙を張り付けた高座後方の金屏風も本格的なものとなっています。
また、出囃子等を担当される三味線方も参加されており、あとは太鼓があれば申し分ないようです。

本日の演者は、桂佐ん吉と桂ちょうば。

演目は、
桂佐ん吉・・「阿弥陀池」と「崇徳院」
桂ちょうば・・「お菊の皿」

桂佐ん吉さん(写真上)の「阿弥陀池」は、先日和光寺(通称・阿弥陀池)での特別拝観に行ってきたところですので、より興味を持って聴くことができました。
また、百人一首の「崇徳院」の歌「瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ」の歌を題材にした恋煩いの男女が再会できるまでのドタバタを面白おかしく熱演。

桂ちょうばさん(写真上)が高座に上がられるやすぐに観客?の男性が傍へ駆け寄り、師匠の顔の横で小さなくす玉のひもを引きます、と中から「おめでとう」の短冊が現れました。
私達は何事が起きたかと思っていますと、師匠が「実は先日の若手噺家グランプリにて優勝をしました」と。改めて来場者からお祝いの拍手。

お二人とも若手とはいえ大活躍中で、何度も聴いている噺ですが今回も全て大笑いの内に終演。
徒歩数分の所での落語会、今後とも隆盛を期待し帰途に。



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四天王寺式伽藍

2018年08月15日 | 四天王寺
昨日、7時14分発のバスに乗りお盆の法要のため四天王寺六時堂(重文)へ。
昨年は六時堂の東西回廊を往復するほどの行列で長時間並んだことを反省、早朝の出発としました。
お蔭様で着いた時の行列は約20人程で、そんなに長く並ばずに堂内へ入ることができました。
写真下左ー六時堂・右ー稲田桃(長径5センチ位)

稲田桃は、日本古来の野生種で、江戸時代後期にはお盆の供え物として大阪市内や京都に出荷されるなど、東大阪市稲田地区で盛んに栽培されました。司馬遼太郎記念館の庭でも多くの実が生っています。

お盆の期間中は、中心伽藍建造物の耐震改修工事が終わった四天王寺中心伽藍内を無料公開。
暑い中でしたが内部を久しぶりに一回りして来ました。
写真下ー四天王寺式伽藍配置図(右が北)

四天王寺式伽藍
南から北へ向かって南大門と中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式の一塔一金堂式。
日本では最も古い建築様式の一つ。
その源流は中国や朝鮮半島に見られ、6~7世紀の大陸の様式を今日に伝える貴重な建築様式とされている。

写真下左ー南大門・右ー中門(仁王門)

7世紀前半に創建された四天王寺は真北にとっており、古代の寺院建築が軸線を真北に設定する基本に則っている。
写真下左ー五重塔と金堂・右講堂

当時の中心伽藍の建造物は、昭和9年の室戸台風と先の戦災で焼失し、現在のものは昭和30年代再建の鉄筋コンクリート造りですが建立当時の伽藍配置を正確に復元しています。

室戸台風の時、五重塔の倒壊するのを中学校の教室から見たと亡父から聞いたことを思い出しました。
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