大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

第7回関西花の寺

2017年09月29日 | 関西花の寺
昨日小雨の残る中、第7回関西花の寺へ。
難波集合8時30分、本日の予定は奈良方面の4か寺。
バスの車窓から色づき始めた稲穂が見え始めて間もなく、京都の南部木津川市加茂の岩船寺到着。
法話の後、シュウメイギクや白い曼珠沙華が咲きだしている境内を散策。

岩船寺
真言律宗。本尊阿弥陀如来(天慶9年・946年行基作、欅の一木造丈六・座高8尺、重文)

天平元年(729年)聖武天皇が行基に命じて阿弥陀堂を建立。その後弘法大師が灌頂堂として報恩院を建立。
さらに嵯峨天皇の皇后が皇孫誕生もあり弘仁4年(813年)堂塔伽藍を整備され寺号を岩船寺とされる。

境内の三重塔は承和年間(834~847年)建立、現存の塔は室町時代の建立。重文。
内部壁画は南都仏画の影響が色濃く、昇竜・降竜・十六羅漢図・五大明王像・真言八祖像等が色彩豊かに描かれている。

奈良市内に戻って昼食。
雨も上がり修学旅行中の小学生に混じって鹿と戯れた後、コスモス寺として有名な般若寺へ。
本堂にて法話を拝聴後境内を散策。

般若寺
真言律宗。

天平7年(735年)聖武天皇が平城京の鬼門を守るため大般若経を基壇に納め卒塔婆を建てられたのが寺名の起こり。
治承4年(1180年)平家の南都攻めにより伽藍は灰燼に帰した。
その後七堂伽藍も復興され、金堂本尊には西大寺叡尊上人により丈六の文殊菩薩がまつられ信仰の中心となった。

京街道に面する西側には、文永4年(1267年)叡尊上人らにより復興された際建築された楼門が残っています。
また本堂の前には建長5年(1253年)に再建された十三重石宝塔(高14.2m・東南西北に薬師、釈迦、阿弥陀、弥勒の顕教四仏が彫刻)がコスモスの中聳えている。

バス移動10数分で白毫寺へ。
山門まで坂道がしばらく、山門からは紅白の萩が咲いている参道を上り本堂で法話を拝聴。
高円山の中腹にある境内からは奈良市街が一望。

白毫寺
真言律宗。
天智天皇の皇子志貴皇子の離宮の山荘を寺とした。
鎌倉中期に叡尊上人が復興整備した。

本尊の阿弥陀如来(重文)をはじめ地蔵菩薩、閻魔王とその眷属たちの仏像八体(何れも重文)の他阿弥陀三尊、聖徳太子二歳像を安置。
春には、樹齢450年の五色椿(県天然記念物)をはじめ椿の花が境内を彩る。

最後の訪問地へバスで約30分、長岳寺へ。
参道に覆い被さるようなツツジの生け垣、満開時にはさぞ見事であろうことを思わせます。
ご住職も当寺は春のツツジと秋の紅葉がよいのですが・・・。
花の寺25カ寺を巡るのにはどうも酔芙蓉の咲いているこの時期にならざるを得ないようで、と残念そうでした。
酔芙蓉の花は、朝は白、夕方はピンク、夜には赤になり丁度お酒を飲んだ人の顔の変化に似る事から、そう呼ばれるようです。

本堂にての説法ですが、10月から公開される大地獄絵(狩野山楽画・3.5×11mに地獄への入り口から各種地獄絵・最後には聖衆来迎の図が精緻に描かれている)が展示されていますので、その絵解きをしましょう、と。
そのお話の面白いこと、話術も巧みでとても楽しく拝聴しました。
死後冥界に行った際人間界においての罪状が閻魔大王の前で明らかにされますが、私はお寺詣りをしたことの証明に朱印帳を持っています、と示せばすぐに信用される、従って亡くなった人には朱印を受けた笈摺を着せ朱印帳を持たせてあげましょう、との話には相棒と共に納得でした。
(下記写真は長岳寺HPより、大地獄絵の前で絵解き中のご住職と閻魔大王)

長岳寺
高野山真言宗。
天長元年(824年)淳和天皇の勅願により弘法大師が大和神社の神宮寺として創建。
本尊の阿弥陀三尊は仁平元年(1151年)の作で、玉眼を使用した仏像としては日本最古で重文。

毎年10月23日から11月30日まで大地獄絵の公開に伴い絵解き説法が行われます。

今回も美しい花々に出会ったお参りでしたが、どのお寺も真っ赤な彼岸花が見事でした。
次回で最終回となる花の寺参り、紅葉が楽しみです。
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第6回関西花の寺

2017年08月02日 | 関西花の寺
7月29日、第6回関西花の寺。
難波発7時40分、梅田経由で京都花園、法金剛院へ。
ガイドさんから100段程度の階段があります、と案内がありましたので、手すりにすがってゆっくり上りました、
100段を過ぎてもまだ着きません、結局150段ほどありましたが、境内の池の前の多くの美しい蓮の花に出会ったとたん疲れも吹き飛びました。

法金剛院
律宗(唐招提寺派)。本尊阿弥陀如来(重文・秘仏)
天長の頃(830年)右大臣清原夏野の死後、その山荘を寺とし双丘寺と称した。
珍花奇花で知られ嵯峨・淳和・仁明天皇の行幸を得た。その後文徳天皇が天安2年(1130年)伽藍を整備天安寺とした。
その後衰退するも、鳥羽天皇の中宮待賢門院が復興し法金剛院とした。

待賢門院に恋こがれ想い叶わぬと知ると出家し、それでも彼女が亡くなるまで慕い続けた西行は歌を詠んでいます。
「なんとなく 芹と聞くこそ あはれなり 摘みけん人の 心知られて」
(芹摘む人・・后など高貴な女性にかなわぬ恋をすることを意味する)

法金剛院では、本堂において法話をお聞きし、蓮の花は4日の命で日毎の花の形が一日目は徳利、二日目は湯呑、三日目は茶碗、最後の四日目は皿となって散るそうです。
また、境内の蓮は約100種類あり、色も白・ピンク・黄・黄緑の四種類あるそうです。

その後、庭園の蓮池を巡ってみますとお聞きした花の形がそれぞれあり、ああこの花は何日目である、ということが判ったのは興味深く見学できました。

昼食は、南禅寺で湯豆腐を頂きました。
門前の蓮も見事で久しぶりの三門と共に、昼食後の一時がよい散策の時間でした。
この三門は、伊勢伊賀の領主藤堂高虎が大坂夏の陣で戦没した藩士の霊を弔うため寛永5年(1628年)に建立寄進したもの。

次は、六甲山系の麻耶山山頂の天上寺へ。
標高700m位あり涼しさを感じられました。

天上寺
真言宗。本尊十一面観音(釈迦自ら感成の一寸八分の秘仏)
大化2年(646年)孝徳天皇の勅願によりインド僧法道仙人により開創。
昭和51年不慮の大火により七堂伽藍全焼したが同60年には現在の形に復興。

俳句の寺としても知られており、蕪村の有名な句「菜の花や 月は東に 日は西に」は、麻耶詣での帰途山の中腹で詠んだものです。

本堂内で四国88カ所巡りが出来るようになっていましたので数年前の巡礼を思い出しながら相棒と共に巡拝を済ませた後、女性のあらゆる難病や苦しみを救い給う仏母麻耶夫人像にも丁寧にお参り。

本堂の周辺には、秋の七草の桔梗や女郎花が咲いていました。
今年の猛暑も異常ですが、季節は間違いなく移ろっています、頑張りましょう。

夏休みの土曜日ということもあって渋滞を覚悟していましたが、それほどでもなく難波には6時過ぎに着けたのはラッキーでした。

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第5回関西花の寺

2017年06月29日 | 関西花の寺
昨日は、第5回関西花の寺で久安寺(池田市)・観音寺(福知山市)・永澤寺(三田市)へ。
家を出る時には雨、難波出発7時45分、梅田経由して高速道を北上。
最初の訪問地久安寺へ。

小雨の中ご住職のお出迎え、立派な楼門の先にはアジサイの参道、受付前には秀吉お手植えのカヤの大木。
本堂の奥の舎利殿涅槃堂で法話をお聞きしましたが、本堂も舎利殿涅槃堂も素晴らしい建物で、堂内ではご住職の声が反響するのにも併せて感嘆の声が上がりました。

久安寺
高野山真言宗。神亀2年(725年)行基の開創。
本尊千手観音立像。楼門は重文。
弘法大師も再興に尽力、久安1年(1145年)近衛帝の祈願所として、楼門・金堂・塔等伽藍49院の坊舎を再興し久安寺と称す。

豊臣秀吉、三光神を祀り月見茶会を親しんだ。
その後衰退を繰り返す中で法灯を護持。昭和興隆事業により諸堂を造営し庭園の整備、旧伽藍跡に霊園および仏塔を造営。
関西花の寺第12番霊場。

境内の池には、モリアオガエルが産卵していて池にせり出した枝には大きな泡の塊を見ることができました。
思いがけず立派な寺院に出会い、満開のアジサイと沙羅(夏椿)の花を楽しみました。

そこから福知山まで約1時間、昼食後観音寺へ。
雨は上がり青空も覗き日焼け対策が必要かと思えるほどの上天気の中、門前の山肌には一面のアジサイを見ながら山門へ。
アジサイの花に囲まれた山門をくぐり、参道脇のアジサイの花の道を進み本堂へ。

観音寺
高野山真言宗。
本尊十一面千手千眼観世音は、33年毎に開帳される秘仏。
養老4年(720年)インドの帰化僧法道仙人が十一面千手千眼観世音菩薩を刻んで草堂に安置されたのが開基。
応和元年(961年)空也上人が七堂伽藍を建立。
鎌倉時代、北条時頼、貞時の庇護を受け繁栄、しかし明智光秀の焼き討ちで全て灰燼に帰した。

江戸時代には本堂を再建され、現在はアジサイ100種1万株が全山を覆い丹波のアジサイ寺として知られる。
関西花の寺第1番霊場。

境内のアジサイの山を上って見晴らし台へ行ってみましたが取り立てて言うほどの景色でもありませんでした。
が、そこに書かれていた「何もない事=無事」の言葉が印象的でした。人生何もないのが一番、と添えてありました。

ご住職の話しの中に銀杯草が咲いているとのことでしたので見に行ってみました。
真っ白で径2~3センチ位の花が地面間近で咲いていました。

益々陽射しが強まる中、永沢寺へ。
3カ所ある入口の真ん中は勅使門。

永沢寺(ようたくじ)
曹洞宗。応安年間(1370年頃)後円融天皇の五州の太守細川頼之卿が七堂伽藍を建立したのが開創。
本尊釈迦三尊。
摂津と丹波両国にまたがっていた所から、通称摂丹境と呼ばれる。
この辺りの地名は、漢音での発音通り「えいたくじ」と呼ばれる。
関西花の寺第11番霊場。

この寺のこの時期の花はショウブで、土、日曜日には近郷からの見物者が押し寄せ歩くのもままならないとのことです。
ご住職の法話の際、本寺は標高560mの高地にある為植物の開花が少し遅いとのこと。
1万坪の敷地に約650種・300万本のほとんどが咲いている状態のショウブ園を散策。
ショウブ園は回遊式になっていて、満開のショウブの中を板敷の通路伝いに巡りますので、花は触れる距離で見ることができ途中の東屋や水車も趣を増していて、大変気持ちの良い時間が過ごせました。

大阪に向け5時30分出発、梅田に着くのは7時を回るかと思っていましたら梅田着6時40分、難波には7時着。
まったく渋滞に遭わず極めて順調に帰ってきました。

今回は満開のアジサイとショウブ、それに沙羅と銀杯草の白い花にも出会うことができ、また雨も上がるという幸運にも恵まれた素晴らしい旅で、相棒共々心が満たされた一日となりました。
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第4回関西花の寺

2017年06月10日 | 関西花の寺
昨日は、第4回関西花の寺、今回は兵庫県の3ヵ寺へ。
難波7時集合、梅田から中国道、舞鶴若狭自動車道、北近畿豊岡自動車道を経由して豊岡へ。

バスは、真っ青な青空から降り注ぐ明るい陽射しを受ける早苗や青々した山並みを望みながら約3時間のドライブ。
最初の参拝寺隆国寺に到着、石垣に囲まれた趣は城郭のようです。

隆国寺
曹洞宗。
室町時代、山名家の四天王垣屋隆国公の菩提寺として開基。
本尊は、聖観音菩薩で60年に一度開帳の秘仏。

本堂内の襖には、虎・孔雀・鶴(中にコウノトリも)等が画かれ岸派(江戸時代)の作品。
遣明使節団が持ち帰った牡丹を本尊に供え境内にも植えたことから、現在では但馬のぼたん寺として有名。

境内には白い花が満開、ヤマボウシでした。
また、花は小ぶりですが赤、青、紫と色とりどりに咲く山アジサイが見頃でした。

出石にて昼食。バスで小1時間、應聖寺へ。

應聖寺
天台宗。白雉年間天竺の法道仙人により開基。
播磨守護職赤松家の祈願所として七堂伽藍を整え再興。

法話の際、当寺は沙羅双樹の寺として有名で境内には200株程度あるが、今朝点検したところ咲いているのは樹の先端の一輪のみ、と。
境内には沙羅だけではなく色々な花が咲いていて、セッコク(写真下左)も見頃です、と。

一輪の沙羅の花の下には、涅槃の石像。(頭と足を造られ胴体部分にはサツキが植えられています)
先代のご住職が余命3か月を宣告されてから刻み始め、12年を要して完成後亡くなられたそうです。

バスで移動90分、鶴林寺へ。

鶴林寺
天台宗。
排仏派から逃れていた高句麗の僧恵便法師の教えを受けるため、この地を来られた聖徳太子が精舎を建立し四天王寺聖霊院と名付けられたのが当寺の始まり。

養老2年、太子の遺徳を顕彰するため七堂伽藍を建立、その後慈覚大師円仁が入唐の際立ち寄られ薬師如来を刻して国家の安泰を祈願され、以後天台宗となる。

天永3年鳥羽天皇から勅額を頂き、鶴林寺と改め隆盛を極めた。
今でも、刀田の太子さん・播磨の法隆寺と呼ばれ人々の信仰を集めている。

太子堂(平安時代)。本堂(室町時代)は、建立当時から残り何れも国宝である。
室町時代建立の三重塔は、江戸時代に大修理が行われ、仁王門と共に県の指定文化財。

ここでも沙羅はつぼみでしたが、菩提樹の花が満開で香りと共に楽しめ、広大な境内は往時の面影が偲ばれました。

海岸線道路の渋滞情報により中国道へ回って難波着7時30分。
梅雨に入った所でしたが、素晴らしい好天に恵まれ目的の沙羅の花には一輪出会え。また多くの花にも出会えた楽しい旅で相棒共々満足の一日となりました。

今回は、加古川上流の豊岡市から下流の加古川市までを旅しました。
ご住職のお話しの中に、つぼみに出会ったら「頑張って咲いてね」、また散った花に出会ったら「よく頑張ったね、ご苦労さん」、と心の中で声掛けをして花を見るように心がけたいと思いました。
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第3回花の寺 子安地蔵寺・金剛寺・船宿寺・当麻寺西南院

2017年04月26日 | 関西花の寺
昨日、難波発8時40分、参加者47名が満員のバスで阪神高速湾岸線経由和歌山へ。

まず、行基開基の子安地蔵寺へ、門前の藤も咲きだし藤娘と共に出迎えてくれます。
藤の寺で有名らしく境内は藤の樹が多く白花は5分、藤色は3分、珍しいピンク色はまだつぼみでした。
しかし、ツツジ・アヤメ・白や黄の山吹、シャクナゲやミヤコワスレ、日本タンポポ等草花は満開で八重桜もまだ重たげに花を垂らしていました。

相棒は、タブレットで撮影に夢中です。
少し早目の昼食、今回も皆さんから歓声が上がるほどの料理の数々。
相棒は、オカズが多く御飯はほんの少し手をつけただけ、私も満腹でした。

食後奈良県へ戻って、立派な茅葺の庫裏(元禄4年再建)を有する金剛寺(平重盛創建)へ。
仏教伝来と共に施薬として輸入された牡丹を、江戸末期薬草として境内に植えたのが牡丹寺としての始まりです。
牡丹と共に大手鞠の薄緑の花や藤の花も咲きだしていて、もう初夏が間近い事を感じさせます。
また、開花直前の黄色の木蓮に出会えたのはラッキーでした。

次は、山の斜面に建つ行基開基の船宿寺へ。
小堀遠州作の庭園を有し、このお寺の大手鞠の枝を挿し木して広めたという原木にも薄緑の花がたわわにつき、満開の霧島・久留米ツツジやシャクナゲ・シャガが山腹に望めました。

最後は、当麻寺の裏鬼門を守る寺院として創建された塔頭西南院。
庭園の水琴窟の発する澄んだ音に耳を澄ませ見晴らし台へ行ってみましたが、手前の西塔が屋根吹替え中で見ることができず東塔のみ望んできました。途中の脳天仏では脳梗塞の再発防止をお願いして来ました。

庭園には、日除けの番傘を被った色とりどりの満開の牡丹の花やシャクナゲと共に珍しいハンカチの木やハナイカダをゆっくり鑑賞して帰途へ。

今回も各寺院にてご住職から法話をお聞きしました。
印象に残ったのは西南院でお聞きした、
「阿字(仏)の子が 阿字の古里 立ち出でて また立ち帰る 阿字の古里」
人間死は平等に訪れる、寿命を全うしてあの世へ往くまで勉強、勉強は会話をするすべての人の良い所を学び良くないところは学ばない。学んだことは他人にも伝える(徳を積むこと)、ことを実行することにより世の中は良くなる、とのことでした。

今回のガイドさんの時間配分は素晴らしく、各寺院では見るべきところは全てゆっくり見学することができました。
有難うございました。
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