大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

子規ゆかりの地巡り

2018年12月29日 | 松山の旅

松山出身の子規ゆかりの地は松山全てといっても良いと思いますが、今回訪問できたところのみ記載します。

生家・・子規の菩提寺であり文学仲間であった正宗寺住職仏海禅師が業績を記念して、子規が17歳で上京するまでの住まいを寺の敷地内に復元した。現在は子規堂として保存され子規の直筆原稿や遺墨・遺品・勉強机などを展示。
正宗寺の境内墓地正面には子規の埋髪塔があり、その後方には正岡家のお墓がある。
上京の途次奈良法隆寺にて詠んだ句「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」

伊佐爾波神社・・松山藩主松平定長が流鏑馬の成功のお礼に寛文7年(1667年)建立。日本に三つしかない八幡造りの社殿は国の重文。石段135段を子規も上ったであろうと思いながら参拝。
参道沿いの宮司宅の立派な門構えを読んだ句「柿の木や 宮司か宿の 門がまえ」

松山城・・加藤嘉明が海抜132mの勝山山頂に建てた連郭式平山城。慶長8年(1603年)居を新城下に移し松山と命名。我が国最後の完全なる城郭建築。
(写真上左の中央大天守と左小天守、右一ノ門櫓・写真右大天守と玄関多門櫓)
日清戦争の従軍記者として赴く前に詠んだ句「春や昔 十五万石の 城下哉」 

坊ちゃんスタジアム・・JR市坪駅前に本格的野球場を建設し漱石の小説に因んで坊っちゃんスタジアムと命名。
駅名市坪の下にの・ボール(野球)と記載されており、子規への思い入れがよく判りました。
野球という言葉は子規の幼名升(のぼる)を、のとボールに掛けて子規が創作。
その功績で野球殿堂入りをしています。
子規の句「夏草や ベースボールの 人遠し」

道後温泉本館・・漱石も良く通った温泉ですが子規も一緒に入浴を楽しんだことでしょう。
三階から見えた風景を詠んだ句「柿の木に とりまかれたる 温泉哉」

子規記念博物館・・正岡子規の世界をとおして、より多くの人びとに松山や文学について親しみ、理解をふかめていただくために開設された文学系の博物館で道後公園内に建設。

同じ年(慶応3年・1867年)に生まれ、親友だった俳人・正岡子規と、小説「坊っちゃん」他を書き残した文豪・夏目漱石。
彼らは、互いにその才能を認め合い、友情を育み、やがて日本の近代文学に大きな足跡を残した。松山「愚陀仏庵」で過ごした52日間は、日本文学の発展に大きな影響を与えた。

ふたりの友情を伺い知る俳句が残されている。
御立ちやる可 御立ちやれ 新酒菊の花 (漱石)
行く我に とどまる汝に 秋二つ   (子規)
漱石は、子規が愚陀仏庵を去り上京する折に「気を付けて行ってらっしゃい」と送別の句を送った。子規は「二人二様のそれぞれの秋を過ごす事になるだろう」と、漱石の句に応えている。
没年は、子規明治35年(35歳)・漱石大正5年(49歳)。
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