goo blog サービス終了のお知らせ 

大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

上方落語の会(第447回)

2024年09月07日 | 伝統芸能
9月5日、NHK大阪ホールでの第447回上方落語の会に相棒と出かけました。

本日の演者と演目は以下の通りです。

座席は、二階席のBLで二階左側の突き出た部分で少し遠いですがよく見える席でした。
今回の演目の内楽しみだったのは、桂文珍さんの「雁風呂」です。
内容は、
かの有名な黄門、水戸光圀公が諸国を漫遊中、東海道は掛川の宿に来かかった。
ある質素な、老夫婦二人だけでやっている茶店で昼食をとっていると、土佐光信の屏風絵があり、驚いた。
ただ、図柄が変わっていて、松の枝に雁。
松には鶴、雁には月を描くのが普通。
「ははあ、光信の奴、名声におごって、なにを描いてもよいと増長したか」
と光圀公。
そこへ相客。上方者らしい、人品卑しからぬ町人の、主従二人連れ。
主人の方は屏風絵を見て感嘆し、
「さすがに光信さんや、松に雁とは、風流の奥義を極めた絵やなァ。これは秋の雁やのうて、春の帰雁や。なにも知らん奴が見たら、雁頼まれたら月を描き、鶴なら松を描くと思い込むやろが、そんな奴は眼あって節穴同然や。もう、他に二人とない名人やなァ」
聞いた光圀公、自分の不明を思い知らされ、町人ながら風流なる者と感心して、近習に命じて男を呼ばせ、松と雁の取り合わせの由来を尋ねた。

初めは、えらいことがお武家さまのお耳に入ったと恐縮していた町人、たってと乞われて語り出したところによると、
「雁は海の向こうの常盤の国という暖国から渡ってきて、冬を函館の海岸で過ごし、春にまた帰っていくが、大きく体が重い鳥だから、海を渡る途中に墜落して命を落とすこともたびたびある。海上で体がくたびれると、常盤の国を出る時くわえてきた枝を海に落として、それを止まり木にして羽を休め、またくわえて、ようやく函館の松までたどり着く。松に止まると、枝をその下に落として、春まで日本全国を飛び回るが、その間に函館の猟師たちが、枝の数を数えて束にし、雁が南に帰る季節になると、また松の下に、その数だけ置いてやる。雁は自分の枝がわかるので、帰る時に各々それをくわえていく。猟師は残った枝を数え、ああ、またこれだけの雁が日本で命を落としたか、あわれなことだと、その枝を薪にして風呂を炊き、追善のため、金のない旅人や巡礼を入れて一晩泊め、なにがしかの金を渡して立たせてやる。これはその時の、帰雁が枝をくわえようとしている光景だ」
という。

すっかり感心した光圀公、身分を明かし、「そちの姓名はなんと申す」とご下問になる。
「私は大坂淀屋橋の町人で、分に過ぎたぜいたくとのおとがめを受け、家財没収の上、大坂三郷お構いに相なりましたる、淀屋辰五郎と申す者にござります」と言上。
昔、柳沢美濃守さまに三千両お貸ししたが、今日破産し浪々の身となったので、なんとかお返しを願おうと江戸までくだる途中、と聞いて、光圀公、雁風呂の話の礼にと、柳沢に、この者に三千両返しつかわすようにという手紙を書いてやり、その金でめでたく家業の再興がなったという、一席三千両のめでたい噺。

青森県津軽の外ヶ浜付近では、浜に打ち寄せられた木片を集めて風呂を焚く風習があり、これを「雁風呂(がんぶろ)」といいます。
この地方に伝わる民話によると、秋に雁が海を渡って来るとき、海面に浮かべて休むための小枝を1本くわえて来るそうです。浜に着くと小枝を落とし、次の春、また北へ帰るときに同じ小枝を拾って帰るのだそうです。ところが、雁たちが小枝を落とした浜には、春になっても拾われない小枝が残ります。それは冬の間に死んでしまった雁たちのもの。浜の人たちは供養のためにその枝で風呂を焚き、旅人たちに振る舞ったということです。じんわりと心に残るお話ですね。
「雁風呂」は春の季語や、落語の一席にもなっています。

終了後、ライトアップされた大阪城天守閣を見ながらエスカレーターを下って帰途に。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杜若能・大泉緑地公園

2024年05月05日 | 伝統芸能
5月の連休中は、どこも混んでいますので極力家にいるようにしていましたが、昨日もあまりに良い天気でしたので相棒とどこかへ出かけようと相談。
色々調べるうち大泉公園で杜若(カキツバタ)が見頃で4時からは能の上演もあるとことが判りました。

地下鉄新金岡駅から約1kmで新緑の美しい大泉公園へ。

公園事務所で地図をゲットしかきつばた園の場所を確認し、大泉池の周りを散策。

あちこちの花壇等では手入れされた美しい花々が今を盛りと妍を競っています。
園芸から遠ざかっていますので、花の名前もよく判りませんがきれいな花を見ますと心が休まります。
午後4時からの能上演までベンチで小休止。

羽衣国際大学・神戸大学の宝生流能楽部の皆様による上演の後、宝生流能楽師辰巳大二郎師による「経政」をカキツバタ園の通路上で演じます。
大学生たちの能は、シテ方と謡とも日頃の鍛錬を発表する良い機会なのでしょう、緊張の中精一杯頑張っておられる様子がよく判りました。

最後には、明るいうちですが薪に火も入り「杜若」を辰巳満次郎師(杜若の花の精)、笛・貞光訓義師が演じます。(何れも重要無形文化財総合指定保持者)
杜若の花の精の装束はきらびやかで、しっとりとした舞は、とても美しく思わず引き込まれる思いがしました。

杜若(カキツバタ)
アヤメ科。日本では北海道から九州まで自生。
花は、1本の花茎に2~3花咲く。原種の花の色は紫ですが突然変異で白い花もある。
アヤメは乾燥地、ショウブは池畔や湿地に咲くが、カキツバタは池畔などの水湿地で咲く。

広大な大泉緑地のウオーキング。
本日の歩数計、14507歩、最後はフラフラしながらの帰宅となりました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワッハ上方・講談会

2023年08月20日 | 伝統芸能
昨日、難波の「ワッハ上方」へ久しぶりに出かけました。
「ワッハA講談会」が催されており、素人の講釈師3名の熱演を聴いてきました。

演目は、「播州皿屋敷」(天神堂梅英)・「お紺殺し」(天神堂梅太)・「耳成し芳一」(天神堂一葉)。
各々素人離れした講釈ぶりで久しぶりの講談を楽しませていただきました。

終了後、会場であったワッハ上方の常設展示場を観賞。

入り口には、桂文枝のビデオがお出迎え、展示場には昔懐かしい落語家、漫才師、松竹新喜劇の面々等の展示があり、桂枝雀、ダイマルラケットや藤山寛美の話芸や演技にテレビの前で笑い転げたことを懐かしく思い出しました。
下は、ワッハ上方殿堂入りされた名人の方々。

難波界隈は、中国観光客等が一気に目立っていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

来ぶらり寄席

2023年01月22日 | 伝統芸能
昨日、中之島図書館での「来ぶらり寄席・社会人落語」へ行ってきました。
社会人落語の文字にひかれて申し込みました。

本日の出演者と演目は、下記の通り。

社会人落語ということで、あまり期待をしていませんでした、が聴いてみて驚きました。
社会人生活ではベテランの部類に入りそう、と思われるどの出演者も素人離れした語り口で、予想外の出来栄えは満足できました。
皆さん相当な研鑽を積んでこられているようで、また機会があれば聴きに行きたいと思いながら帰宅。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

越中八尾・おわら風の盆祭

2022年09月04日 | 伝統芸能
9月2日から一泊で、越中八尾おわら風の盆祭のバスツアーに参加。
途中の車窓からは刈り取り間近の稲田や青空に浮かぶ雲により秋の近いことを思いながらのバスの旅。

現地到着したのは17時半、井田川を渡って八尾の街へ。
最初に西町公民館二階での踊りが目に入りパチリ。

街中を散策するうち日本の街道100選に選ばれている諏訪町通りに大勢の人が集まっていて、もうすぐ町流し踊りがやってくるとの情報でしたので、最前列に陣取りました。
待つこと90分、胡弓と三味線の音色が近づいてきて目の前で諏訪町の町流しを見ることができました。

越中八尾・おわら風の盆祭
起源は江戸時代の元禄の頃とされ、豊作を祈る行事として始まったそうで、立春から数えて二百十日の9月1日、風の厄日に風神鎮魂の意味をこめて唄い踊り始めたと言われています。

古い町並みの中で浴衣を着て編笠をかぶり、胡弓や三味線調べに合わせて踊りながら練り歩きます。 派手でにぎやかな感じの祭りではありません。にぎやかなのは観光客が大勢いるからです。本来はしっとりと静かな祭りです。
ですので、踊りは種まきや稲刈りなど農作業の身ぶりが基になっています。その素朴な踊りが三百年をかけて発展していったのです。
おわら・・豊作祈願からでしょうか大藁からきているようです。

八尾町でも旧町と呼ばれる「東新町、西新町、諏訪町、上新町、鏡町、東町、西町、今町、下新町、天満町、福島」の11の町でおわら風の盆は行われます。
それぞれが自主的に行っているので町によって微妙に唄や踊りに違いがあるようです。

風の盆の町回りが始まった当初は、照れや恥ずかしさから人目を忍び、手ぬぐいで顔をかくして踊ったといわれますが、それが編笠に代わったといわれており、男踊りは粋な法被姿で力強くきびきびした勇壮な踊りで、女踊りは優しく静かに舞われます。

顔の数センチ先を男の踊り手の手のひらがシュッと通過するのを体感し終えた後、屋台で美味しいつまみと地酒を頂いての帰り道、東町通りで浴衣を着た男の方がいましたので聞きますとこれから踊り始めようと思っているとのことでしたので、しばらく待ちますとこれまた目の前で町流しが始まりました。

屋台の女性店員さんによりますと、この踊り手は、女性は未婚で25歳までと決められているそうです(男性の制限はなし)
八尾の町の人口は5千人ですが、今年の9月1日から3日の訪問者は16万人(例年は20万人)に膨れ上がるそうです。
3年ぶりのおわら風の盆祭を相棒と共に堪能してホテルへ。温泉とビールでで疲れを癒しバッタンキュー。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする