大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

坂東三十三観音霊場巡り・その1

2019年10月24日 | 坂東三十三観音霊場巡り
10月16日、坂東三十三観音霊場巡りで第1番杉本寺・第5番勝福寺・第6番長谷寺・第7番光明寺へ。
前日から上京し娘夫婦宅に23日までお世話になることになり、これを機会に坂東三十三観音霊場巡りを始めようと発願。

今迄に、西国三十三観音・秩父三十四観音と四国八十八箇所霊場へはお参りを済ませており、今回の坂東を巡りますと、西国・秩父と合わせて100観音霊場巡りが完成します。満願まで何回要するかわかりませんが頑張って巡りたいと思っています。
今回は、バスツアーがあり相棒と娘を伴っての参加。
季節外れの桜(冬桜よりも大きな花でした)やコスモスにも出会えました。

坂東三十三観音霊場巡り
大和長谷寺を開創された徳道上人が年老いて病のため心臓が止まり仮死状態にあった時、閻魔大王と出会い「今の世は悩み苦しんでいるものがあまりにも多く、皆地獄へ落ちてしまう。何とか極楽へ行かせてやりたい、その為には観音様の三十三の救いにおすがりすることが最も良い」として、養老2年(718年)西国の三十三ケ寺を選ばれたのが西国巡礼の初め。
その後、さびれた西国霊場を花山天皇が中興された。

花山天皇が関東に下向された際、各地を巡って観音霊場を創設された。また源頼朝が鎌倉に幕府を開いた際観音信者であった頼朝が各地豪族に有力寺院を推挙させ、その寺々を札所にしたとの説もある。
坂東は、鎌倉を出発点に相模・武蔵・上野・下野・常陸・上総・下総・安房を巡るおよそ1360キロの道程で徒歩では40~50日要する。

第1番 大蔵山 杉本寺
天台宗。ご本尊・十一面観世音菩薩(杉本観音)。
天平6年(734年)聖武天皇の后である光明皇后の御願により、行基によって建立。鎌倉最古の寺。
行基作・仁寿元年(851年)慈覚大師円仁作・寛和2年(986年)恵心僧都源信作の三体の十一面観音が安置。本堂正面には、源頼朝寄進の前立本尊十一面観音が安置。
三体の十一面観世音菩薩は、合計33のお顔(耳)を持ち33の願をお聴き届けてくださると言われている。

茅葺きの山門には運慶作の仁王像、本堂も茅葺きで、境内には苔むした石段や地蔵・五輪塔がまとめられていて鎌倉最古の寺の趣が感じられる。満願が叶いますよう念入りにお参り。


第5番 飯泉山 勝福寺
真言宗東寺派。ご本尊・十一面観世音菩薩(飯泉観音)。
唐からの僧鑑真が請来した観音像を奈良時代孝謙上皇の信頼を得た道鏡が、上皇の没後下野国薬師寺に左遷されることとなり、宝亀元年(770年)下野国へ赴く途中、上皇から賜った十一面観音を相模国足柄下郡に堂宇を建立して安置したのが始まり。
ご本尊は秘仏で33年毎のご開帳。

二宮金次郎が参詣時老僧が観音経を読みはじめ、それを聴いた金次郎が普段聞いている観音経と違うので再度読んでくれるように懇願し、老僧は訓読の観音経を読んだ。金次郎はその足で地元の寺へ行きそのことを話したところ、和尚は驚き自分の代わりにこの寺の僧侶となることを頼んだ、との言い伝えが残っていることから、境内には二宮金次郎の参拝姿が残っている。

第6番 飯上山 長谷寺
高野山真言宗。ご本尊・十一面観世音菩薩(飯山観音)。
神亀二年(725)行基の開創。ご本尊は行基作。

4月8日に境内の松(見合いの松)の前でお見合いをすると不思議と結ばれるので、縁結びの観音として信仰を集めている。

第7番 金目山 光明寺
天台宗。ご本尊・聖観世音菩薩(金目観音)。
大宝2年(702年)海女が海中より本尊(21センチ余りの金像)を得、霊験あらたかであったので道儀上人が、この地を選んで道場を建立し、30年後の天平年間に東国を訪れた行基が1.8mの聖観音像を刻み金像を胎内に納めた。
北条政子が参詣し安産であったことから、安産守護の観音として信仰を集めている。
境内には水琴窟があり、良い音色を聴かせて頂きました。

今回は、バスツアーを利用しましたが、今後は極力公共交通機関と徒歩で巡る予定ですので満願まで健康に留意しなければいけません。
特に相棒は「今回はパス」と言っていますので、相棒の分もお参りをして御朱印帳と笈摺への御朱印を頂く予定です。

コメント
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