大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

第2回大阪シティーウオーク

2019年11月25日 | 大阪シティーウオーク
11月23日、第2回大阪シティーウオークに参加。
花博記念公園鶴見緑地に集合、主催者の挨拶・準備体操を終え9時50分スタート。
今回は、ナンバ歩きを実践するためロングコース12.5kmに挑戦。

コースは、花博記念公園鶴見緑地⇒城北川⇒旭区民センター⇒城北公園⇒淀川河川敷⇒与謝蕪村生誕地碑⇒毛馬閘門⇒毛馬桜ノ宮公園⇒都島通り⇒蒲生公園。


花博記念公園鶴見緑地
昭和47年広域公園として開園。平成2年「国際花と緑の博覧会」の会場となり、博覧会終了後公園施設の再整備や新規開設をすすめ、現在では四季折々の草花と自然が満喫できる都市公園として市民の憩いの場所となっている。
当日は、ケヤキや桜の紅葉が見事でした。

城北川
寝屋川と旧淀川(大川)を結ぶ全長約5㎞、川幅40mの水路で、もとの城北運河のこと。昭和60年の河川改修事業を機に淀川水系の一級河川となり名称を変更。現在は、河川沿いが魚釣り場やジョギング・散歩コースになって数少ないレクリエーション・ゾーンのある河川として親しまれている。

城北公園
明治に行われた淀川付け替え工事で空き地となった旧淀川の河川敷を利用し、昭和9年に公園として開園し毎年初夏のショウブの見頃の時期には多くの市民が楽しんでいる。

淀川河川敷
淀川の河川敷にある国営公園。
昭和46年に淀川工事実施基本計画を改定、大幅な流量増に対応するため低水路の屈曲の是正や掘削拡張、堤防・護岸の補強等、ダム等の洪水調整等を推進した結果、ほとんど冠水しない安定した河川敷(高水敷)を確保。

広大で自然豊かな淀川の河川沿いに広がる当公園では、野球・サッカー、テニスなどの運動施設、バーベキュー広場があり、ジョギング、サイクリングなど幅広く利用できる。

与謝蕪村生誕地碑
享保元年(1716年)この地(毛馬村)で生誕。20才頃江戸に出て俳諧を学び、東国から丹後国を遊歴後43歳で画家として京都に定住。
この碑の「春風や 堤長うして 家遠し」は、この故郷への郷愁を述べた抒情詩「春風馬堤曲」の一句で蕪村の筆跡を刻んでいる。

毛馬閘門
明治43年新淀川が開削、この時毛馬で新淀川と分岐する旧淀川の水量調節と船運の便のために毛馬洗堰と毛馬閘門を建設。昭和49年、上流に新毛馬水門、閘門が築造、同57年に淀川大堰が完成され、その役割を終えた。

毛馬桜ノ宮公園
大川の毛馬洗堰から下流の天満橋まで、延長4.2kmのリバーサイドパークとして大正12年開園。右岸沿いには造幣局、泉布観などの明治初期を代表する建物が並び、大川の流れに沿ったプロムナードには、桜並木が続き多くの観桜客で賑わう。

蒲生公園
昭和11年開園。野球場もあり、4月にはハナミズキが咲く名所でもあり城東区民憩いの場所として親しまれている。
本日も第8回SARUGAKU祭りが開催されていました。

小春日和の中、久しぶりのロングコースをナンバ歩きで試してみましたが、普段と変わりない時速約5㎞で歩くことができ、足の疲れや痛みも感じることなくスムースに歩くことができました。
本日のウオーキング時間は2時間30分、歩数は、18622歩でした。
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三尾

2019年11月20日 | 史跡
先日の仁和寺観音堂拝観後、三尾を訪問。

三尾
京都の西郊に位置する栂尾・槇尾・高雄の地のことを総称して言い、合せて栂尾山高山寺・槇尾山西明寺・高雄(尾)山神護寺の各古刹の山号いずれにも尾(お)がつくことから三つの寺を指す。

栂尾山 高山寺
真言宗。本尊 薬師如来坐像(鎌倉時代・重文)。世界遺産。

宝亀5年(774年)光仁天皇の勅願により開基され、神願寺都賀尾坊と称した。
建永元年(1206年)明恵上人が後鳥羽上皇より、この地を与えられ「日出先照高山之寺」の勅額を賜り、高山寺とする。

明恵上人は、華厳宗興隆を実践し、その徳行は皇族・公家・武士及び民衆など多くの信仰を集め、鳥獣人物戯画絵巻に代表される数多くの文化財が同寺に蓄積された。また、上人は栄西禅師から宋より持ち帰った茶の種を贈られ、栂尾の地で栽培したことから茶発祥の地とされる。

境内の石水院は、明恵上人が後鳥羽上皇より学問所として賜ったものもので、明恵上人時代の唯一の遺構で国宝。

槇尾山 西明寺
古義真言宗。本尊 釈迦如来像(運慶作・鎌倉時代・重文)

天長年間(824~34年)弘法大師の高弟智泉大徳が神護寺の別院として創建。正応3年(1290年)神護寺より独立。
幾多の興亡を経、慶長7年(1602年)明忍律師により再興。現在の本堂は元禄13年(1700年)桂昌院の寄進。

高雄山 神護寺
高野山真言宗。本尊 薬師如来立像(平安時代初期・国宝)。

和気氏の私寺であったと思われる神願寺と高雄山寺という2つの寺院が天長元年(824年)に合併してできた寺。
神願寺は、和気清麻呂により8世紀の末頃創建。寺号は、宇佐八幡の神意に基づいて建てた寺という意味。
和気清麻呂の墓は同寺にある。

高雄山寺は、現在の神護寺の地に古くから存在した寺院であり、山岳修行を志す僧たちの道場として建立。
最澄はここで法華会を行い、弘仁3年(812年)には空海が高雄山寺に住し、ここで灌頂(空海自筆の灌頂歴名は国宝)を行った。

天長元年(824年)神願寺と高雄山寺の寺地を交換し、寺号を神護国祚真言寺(略して神護寺)と改名。
厄除けで知られる、かわらけ投げはこの寺が発祥。

三尾の寺院は、古来から清滝川のせせらぎと共に、春の桜、つつじ・初夏の新緑・秋の紅葉・冬の雪景色と四季を通じて豊かな自然を見ることができる場です、また時期を変えて来てみたいものです。
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仁和寺 観音堂特別公開

2019年11月16日 | 史跡
11月14日、高大歴考仲間で仁和寺へ。
阪急梅田駅に集合の7名(内相棒を含む女性3名)、例によって集合時間前に出発。
観音堂の平成大修理(平成24年から6年をかけ半解体修理)完遂を記念して、再建当時の美しいお堂が甦り厳粛な修行の場所として普段非公開の内部を初めて特別拝観。

仁和寺
真言宗御室派の総本山。
平安時代、第58代光孝天皇が西山御願寺として着工され、仁和4年(888年)に宇多天皇が仁和寺を完成。
以来、明治維新まで皇子皇孫が門跡を務められ、御室御所と呼ばれ親しまれてきた。

二王門や五重塔(何れも重文)などは江戸時代に建立され、 同時期に植えられた御室桜は4月中旬に見頃を迎える。
仁和寺創建当時の本尊、阿弥陀三尊像(国宝)をはじめ、愛染明王坐像(重文)・増長天立像 (重文)・悉達太子坐像(重文)など多くの国指定文化財を有し、世界遺産。

観音堂
延長6年(928年)造営。現在の建物は江戸時代初期1640年頃再建(重文)。

本尊千手観音菩薩立像、その両脇の不動明王・降三世明王像、その眷属の二十八部衆立像、風神・雷神像の33体を祀る須弥壇(写真上)、それらを囲むように描かれた障壁画(木村徳応ら絵仏師画・写真下)には32観音像や補陀落浄土図・六道図等が彩色鮮やかに描かれている。

御殿では宸殿や黒・白書院や庭園を、また霊宝館では阿弥陀如来坐像(国宝)や徳川家光像(応仁の乱後再興)・織田信長安堵状・等を拝観しました。
今回は、仁和寺の歴史や遺物に触れられましたが、中でも観音堂内の33体の諸仏像や障壁画を間近で観賞することができ、その威厳と迫力に満ちた姿は圧巻でした。

昼食後、折角来たので紅葉見物に行こうと衆議一決、高尾方面へ。
バスで栂ノ尾下車、高山寺・西明寺・神護寺へ。
高山寺では、久しぶりに鳥獣人物戯画にも会えました。

神護寺へは、私一人階段約350段を上って参拝。
全山紅葉には少し早かったようですが、紅葉の進んだカエデが青空に映える光景に満足し帰宅。
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第71回正倉院展

2019年11月13日 | 催事
昨日、相棒と共に「第71回正倉院展」へ。

昭和21年に初めて開催された正倉院展は、昭和時代に40回、平成時代に30回を数え、今年令和の新時代に御即位を記念し第71回を迎えます。

正倉院
奈良・平安時代の中央・地方の官庁や大寺には,重要物品を納める正倉が設けられていた。このような正倉が幾棟も集まっている一廓が正倉院と呼ばれ歳月の経過とともにいつしか亡んでしまい,わずかに東大寺正倉院内の正倉一棟だけが往時のまま今日まで残ったものが正倉院宝庫である。

正倉は、檜造り,単層,寄棟本瓦葺きで,高床式に造られています。間口約33m,奥行約9.4m,床下約2.7m,総高約14mの大きさをもち,床下には直径約60㎝の丸柱が自然石の礎石の上にどっしりと立ち並んで,巨大な本屋を支えています。

倉は、北倉,中倉,南倉の三倉に仕切られ、北倉と南倉は校倉造りで,中倉は板倉造り。北倉は主として光明皇后奉献の品を納め,その開扉には勅許を必要としたので勅封倉とよばれ,中倉(勅封倉)・南倉(東大寺別当の封)はそれ以外の東大寺に関わる品々を納めた倉で,明治以後は南倉も勅封倉となった。

正倉院宝物が現在もなお極めて良好な状態で残されているのは,一つには勅封制度によってみだりに開封することがなく,手厚く保護されてきたこと。
また、建築の上からみると宝庫がやや小高い場所に巨大な檜材を用いて建てられ,床下の高い高床式の構造であることが,宝物の湿損や虫害を防ぐのに効果があったものと思われ、その上,宝物はこの庫内で辛櫃に納めて伝来され櫃内の湿度の高低差を緩和し,外光や汚染外気を遮断するなど,宝物の保存に大きな役割を果たしたことによる。
宝物の約90%は、日本製。

宝庫の建築は,文献記事から天平宝字3年(759年)以前であり、最初から現在の姿で建築されたと見る説が有力。国宝で世界遺産。

今年の正倉院展は、41件の宝物が出陳(うち4件は初出陳)。
天皇陛下の御即位を記念し、正倉院宝物の成り立ちと継承に関わる宝物や宝庫を代表する宝物が顔を揃え、正倉院宝物の精髄が味わえる内容となっている。

聖武天皇・光明皇后ゆかりの品を伝える北倉からは「国家珍宝帳」の筆頭に掲げられた袈裟のうちの一つである「七條刺納樹皮色袈裟」、歴代天皇に継承され聖武天皇・光明皇后自身にとって大切なものを納めていた「赤漆文欟木御厨子」、樹下美人図として知られる「鳥毛立女屏風」などが出陳されている。
また、天皇即位儀礼に関わった礼冠の一部を伝える礼服御冠残欠も多く出陳されている。

鑑賞後、正倉院の見学へ。
また、県庁屋上の展望台へ立ち寄り大仏殿・興福寺や国立博物館・正倉院等を上から眺め、日本人の新しいものへの順応力の高さ(ただ真似するだけではなく、自国のものを使って自分のものにして受け入れる)に改めて感動しつつ帰宅。
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丹波篠山もみじ三山

2019年11月12日 | 史跡
昨日、サンケイツアーズで相棒と共に「丹波篠山もみじ三山」へ。

8時50分、難波集合、阪神高速⇒中国道⇒舞鶴若狭自動車道を経由して春日で降り、遠くから紅葉が望める大国寺へ。
紅葉はまだ一部でしたが、この時期としては十分楽しめました。
寺務所前で住職のお話をお聴きし、本堂へ。

安泰山 大国寺
天台宗。
飛鳥時代の大化年間、空鉢上人が国家安泰を祈願され自作の薬師如来像を安置し開創。

鎌倉時代末期、花園天皇のご帰依により本堂を再建、また「安泰山大國寺」の称号を賜る。
当時の最新技法であった唐様と和様の折衷様式。以来広く地元住民に親しまれ崇敬されて今日に至っております。
兵庫県観光百選・新丹波七福神大黒天霊場(大黒天)。

本堂・・室町時代初期に建立、重文。
仏像・・薬師如来坐像、大日如来坐像、阿弥陀如来坐像、持国天立像、増長天立像。何れも藤原時代作で重文。

早めの昼食を終えバス移動、ゆるやかな坂を上って高蔵寺へ。
境内のモミジのトンネルも紅葉が進んでいて楽しめました。

宝橋山 高蔵寺
天台宗。
大化二年(646年)、法道仙人が黒頭峰の山腹に一宇を建立して開創。

盛時は七堂伽藍を備え、僧坊は二十一を数えたが、天正年間(1573~1592年)明智光秀の丹波攻めによって焼失。
文禄元年(1952年)、現在地に本堂と西蔵坊、光源坊、泉蔵坊が再建。
山号の宝橋山は、法道仙人が高頭峰に金銀珠玉の架け橋を見たことから名づけられたのだといわれています。
新丹波七福神霊場(弁財天)。

本堂・・兵火に遭った後、本堂は、聖徳2(1714)年再建。
山門・・明和7年(1771年)建立、左右の仁王像と共に篠山市内有数の楼門。
十一面観世音菩薩・・明智軍の兵火の際、村人が雑兵にまぎれて守ったのが、現存本尊十一面観世音菩薩と伝えられている。奈良の長谷寺の観音像と同木同作と伝えられ、33年毎のご開帳。
釈迦八相涅槃軸・・鎌倉時代作、絹本着色、兵庫県指定文化財。

次の文保寺へバス移動、山門をくぐり、しばらく坂道が続き最後に石段を上って本堂へ。
今年4月に着任との住職からお話をお聴きした後拝観。境内の紅葉は今一歩でした。

松尾山 文保寺
天台宗。
大化元年(645年)、法道仙人自作の聖観世音菩薩を本尊として安置し開創。最盛期には堂舎21坊を数えた。
開基より聖備山長流寺と称したが、天暦の乱(947年)に堂舎悉く焼失、正和年間(1312~1317年)花園天皇の御代に慈覚大師作という千手観世音菩薩を安置し再興。文保年間(1317~1319年)宝鏡寺の宮門跡一品親王真筆の勅額を下賜されて以後、文保寺と称す。

明智光秀の丹波攻めで再び全山悉く灰燼に帰し、江戸時代中頃になって復興、現在に至る。
楼門・・元中2年(1385年)、鎌倉五山のひとつ建長寺の楼門を模して建立。天正の乱で焼失後、現在の楼門は天正末期に建立。仁王像は、永和3年(1378年)作。篠山市内の楼門の中では最大規模のもので、仁王像と共に篠山市文化財。
聖観世音菩薩・千手観世音菩薩・・本堂に祀られ秘仏。文保寺700年を期して公開(写真上・公開時の住職のスマホ写真)

最後に、めんたいパークに立ち寄り5時過ぎ帰阪。
丹波の古刹にお参り出来、この時期にしては紅葉も楽しめ付録の「もみじ三山御朱印」を手に帰宅。





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