昨日小雨の残る中、第7回関西花の寺へ。
難波集合8時30分、本日の予定は奈良方面の4か寺。
バスの車窓から色づき始めた稲穂が見え始めて間もなく、京都の南部木津川市加茂の岩船寺到着。
法話の後、シュウメイギクや白い曼珠沙華が咲きだしている境内を散策。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/4e/bc2388873fd6a3db902a766b98a81d3d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/01/b9f8cadab0740c507010346af4ffdf40.jpg)
岩船寺
真言律宗。本尊阿弥陀如来(天慶9年・946年行基作、欅の一木造丈六・座高8尺、重文)
天平元年(729年)聖武天皇が行基に命じて阿弥陀堂を建立。その後弘法大師が灌頂堂として報恩院を建立。
さらに嵯峨天皇の皇后が皇孫誕生もあり弘仁4年(813年)堂塔伽藍を整備され寺号を岩船寺とされる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/0d/4faf26894ac45179c4d5dba8bf9d924c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/98/4fd79ce0783d1d536ac3f60a7fd0a880.jpg)
境内の三重塔は承和年間(834~847年)建立、現存の塔は室町時代の建立。重文。
内部壁画は南都仏画の影響が色濃く、昇竜・降竜・十六羅漢図・五大明王像・真言八祖像等が色彩豊かに描かれている。
奈良市内に戻って昼食。
雨も上がり修学旅行中の小学生に混じって鹿と戯れた後、コスモス寺として有名な般若寺へ。
本堂にて法話を拝聴後境内を散策。
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般若寺
真言律宗。
天平7年(735年)聖武天皇が平城京の鬼門を守るため大般若経を基壇に納め卒塔婆を建てられたのが寺名の起こり。
治承4年(1180年)平家の南都攻めにより伽藍は灰燼に帰した。
その後七堂伽藍も復興され、金堂本尊には西大寺叡尊上人により丈六の文殊菩薩がまつられ信仰の中心となった。
京街道に面する西側には、文永4年(1267年)叡尊上人らにより復興された際建築された楼門が残っています。
また本堂の前には建長5年(1253年)に再建された十三重石宝塔(高14.2m・東南西北に薬師、釈迦、阿弥陀、弥勒の顕教四仏が彫刻)がコスモスの中聳えている。
バス移動10数分で白毫寺へ。
山門まで坂道がしばらく、山門からは紅白の萩が咲いている参道を上り本堂で法話を拝聴。
高円山の中腹にある境内からは奈良市街が一望。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/04/1a9189fb1ed6371fdd42d0c6afd28153.jpg)
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白毫寺
真言律宗。
天智天皇の皇子志貴皇子の離宮の山荘を寺とした。
鎌倉中期に叡尊上人が復興整備した。
本尊の阿弥陀如来(重文)をはじめ地蔵菩薩、閻魔王とその眷属たちの仏像八体(何れも重文)の他阿弥陀三尊、聖徳太子二歳像を安置。
春には、樹齢450年の五色椿(県天然記念物)をはじめ椿の花が境内を彩る。
最後の訪問地へバスで約30分、長岳寺へ。
参道に覆い被さるようなツツジの生け垣、満開時にはさぞ見事であろうことを思わせます。
ご住職も当寺は春のツツジと秋の紅葉がよいのですが・・・。
花の寺25カ寺を巡るのにはどうも酔芙蓉の咲いているこの時期にならざるを得ないようで、と残念そうでした。
酔芙蓉の花は、朝は白、夕方はピンク、夜には赤になり丁度お酒を飲んだ人の顔の変化に似る事から、そう呼ばれるようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/25/642f8dcc24e3f5ec7d0ef43707de28ae.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/50/fed670eee3346431a36708a54d0696c4.jpg)
本堂にての説法ですが、10月から公開される大地獄絵(狩野山楽画・3.5×11mに地獄への入り口から各種地獄絵・最後には聖衆来迎の図が精緻に描かれている)が展示されていますので、その絵解きをしましょう、と。
そのお話の面白いこと、話術も巧みでとても楽しく拝聴しました。
死後冥界に行った際人間界においての罪状が閻魔大王の前で明らかにされますが、私はお寺詣りをしたことの証明に朱印帳を持っています、と示せばすぐに信用される、従って亡くなった人には朱印を受けた笈摺を着せ朱印帳を持たせてあげましょう、との話には相棒と共に納得でした。
(下記写真は長岳寺HPより、大地獄絵の前で絵解き中のご住職と閻魔大王)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/94/fbc8e28020e0436205b0b957500d5d1e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/93/9f827a351ee4a95b83d16ab8b8d2fee2.jpg)
長岳寺
高野山真言宗。
天長元年(824年)淳和天皇の勅願により弘法大師が大和神社の神宮寺として創建。
本尊の阿弥陀三尊は仁平元年(1151年)の作で、玉眼を使用した仏像としては日本最古で重文。
毎年10月23日から11月30日まで大地獄絵の公開に伴い絵解き説法が行われます。
今回も美しい花々に出会ったお参りでしたが、どのお寺も真っ赤な彼岸花が見事でした。
次回で最終回となる花の寺参り、紅葉が楽しみです。
難波集合8時30分、本日の予定は奈良方面の4か寺。
バスの車窓から色づき始めた稲穂が見え始めて間もなく、京都の南部木津川市加茂の岩船寺到着。
法話の後、シュウメイギクや白い曼珠沙華が咲きだしている境内を散策。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/4e/bc2388873fd6a3db902a766b98a81d3d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/01/b9f8cadab0740c507010346af4ffdf40.jpg)
岩船寺
真言律宗。本尊阿弥陀如来(天慶9年・946年行基作、欅の一木造丈六・座高8尺、重文)
天平元年(729年)聖武天皇が行基に命じて阿弥陀堂を建立。その後弘法大師が灌頂堂として報恩院を建立。
さらに嵯峨天皇の皇后が皇孫誕生もあり弘仁4年(813年)堂塔伽藍を整備され寺号を岩船寺とされる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/0d/4faf26894ac45179c4d5dba8bf9d924c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/98/4fd79ce0783d1d536ac3f60a7fd0a880.jpg)
境内の三重塔は承和年間(834~847年)建立、現存の塔は室町時代の建立。重文。
内部壁画は南都仏画の影響が色濃く、昇竜・降竜・十六羅漢図・五大明王像・真言八祖像等が色彩豊かに描かれている。
奈良市内に戻って昼食。
雨も上がり修学旅行中の小学生に混じって鹿と戯れた後、コスモス寺として有名な般若寺へ。
本堂にて法話を拝聴後境内を散策。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/e6/f90afa340994235a7ca4a68e5c5a1bb1.jpg)
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般若寺
真言律宗。
天平7年(735年)聖武天皇が平城京の鬼門を守るため大般若経を基壇に納め卒塔婆を建てられたのが寺名の起こり。
治承4年(1180年)平家の南都攻めにより伽藍は灰燼に帰した。
その後七堂伽藍も復興され、金堂本尊には西大寺叡尊上人により丈六の文殊菩薩がまつられ信仰の中心となった。
京街道に面する西側には、文永4年(1267年)叡尊上人らにより復興された際建築された楼門が残っています。
また本堂の前には建長5年(1253年)に再建された十三重石宝塔(高14.2m・東南西北に薬師、釈迦、阿弥陀、弥勒の顕教四仏が彫刻)がコスモスの中聳えている。
バス移動10数分で白毫寺へ。
山門まで坂道がしばらく、山門からは紅白の萩が咲いている参道を上り本堂で法話を拝聴。
高円山の中腹にある境内からは奈良市街が一望。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/04/1a9189fb1ed6371fdd42d0c6afd28153.jpg)
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白毫寺
真言律宗。
天智天皇の皇子志貴皇子の離宮の山荘を寺とした。
鎌倉中期に叡尊上人が復興整備した。
本尊の阿弥陀如来(重文)をはじめ地蔵菩薩、閻魔王とその眷属たちの仏像八体(何れも重文)の他阿弥陀三尊、聖徳太子二歳像を安置。
春には、樹齢450年の五色椿(県天然記念物)をはじめ椿の花が境内を彩る。
最後の訪問地へバスで約30分、長岳寺へ。
参道に覆い被さるようなツツジの生け垣、満開時にはさぞ見事であろうことを思わせます。
ご住職も当寺は春のツツジと秋の紅葉がよいのですが・・・。
花の寺25カ寺を巡るのにはどうも酔芙蓉の咲いているこの時期にならざるを得ないようで、と残念そうでした。
酔芙蓉の花は、朝は白、夕方はピンク、夜には赤になり丁度お酒を飲んだ人の顔の変化に似る事から、そう呼ばれるようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/25/642f8dcc24e3f5ec7d0ef43707de28ae.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/50/fed670eee3346431a36708a54d0696c4.jpg)
本堂にての説法ですが、10月から公開される大地獄絵(狩野山楽画・3.5×11mに地獄への入り口から各種地獄絵・最後には聖衆来迎の図が精緻に描かれている)が展示されていますので、その絵解きをしましょう、と。
そのお話の面白いこと、話術も巧みでとても楽しく拝聴しました。
死後冥界に行った際人間界においての罪状が閻魔大王の前で明らかにされますが、私はお寺詣りをしたことの証明に朱印帳を持っています、と示せばすぐに信用される、従って亡くなった人には朱印を受けた笈摺を着せ朱印帳を持たせてあげましょう、との話には相棒と共に納得でした。
(下記写真は長岳寺HPより、大地獄絵の前で絵解き中のご住職と閻魔大王)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/94/fbc8e28020e0436205b0b957500d5d1e.jpg)
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長岳寺
高野山真言宗。
天長元年(824年)淳和天皇の勅願により弘法大師が大和神社の神宮寺として創建。
本尊の阿弥陀三尊は仁平元年(1151年)の作で、玉眼を使用した仏像としては日本最古で重文。
毎年10月23日から11月30日まで大地獄絵の公開に伴い絵解き説法が行われます。
今回も美しい花々に出会ったお参りでしたが、どのお寺も真っ赤な彼岸花が見事でした。
次回で最終回となる花の寺参り、紅葉が楽しみです。