12月25日松山着8時10分・12月27日伊丹着20時20分。
まるまる3日間松山に滞在、漱石・子規・秋山兄弟ゆかりの地と内子の町巡りを達成。
その上、地元ボランティアの方のお蔭で下記の場所をも訪れることができました。
萬翠荘
大正11年旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨伯爵が、別邸として建設。
純フランス風の建物は、当時最高の社交の場として各界名士が集まり、昭和天皇をはじめ皇族方がご来県の際は、必ず立ち寄られたそうです。
敷地内には愚陀佛庵(漱石の借家・子規が52日間同居)があり句会が行われていたが、平成22年の土砂崩れにより全壊、現在は跡地のみとなっている。
湯築城跡
二重の濠と土塁を持ち、その間に居住空間を有する平山城で現在の道後公園内に残っている。
伊予国の守護であった河野氏が南北朝期から戦国期まで約250年間にわたって居城とした。
河野通信の時、源平合戦で功績をあげ鎌倉幕府の有力御家人となり伊予国の統率権を得る。承久の乱で没落するも元寇で復権した1335年頃この湯築城へ本拠を移した。
その後、秀吉の四国攻めにより小早川隆景に城を明け渡し、400年に及ぶ伊予支配に終止符を打った。
時宗を興した一遍上人は河野通信の孫。
愛媛県庁
第4代庁舎。昭和4年竣工。設計木古七郎(萬翠荘も設計)
国内で3番目に古い庁舎・・1番大阪府庁舎(大正15年)・2番神奈川県庁舎(昭和3年)。
正面の青いドームの下の5階にはドーム会議室、その下の4階には正庁の間、その下の3階は貴賓室。
玄関上の愛媛縣廰の文字の下を潜ると正面には赤絨緞の階段。
坊ちゃんからくり時計
平成6年、道後温泉本館百周年を記念して制作。8時から22時まで1時間毎に時計がせり上がり、小説坊ちゃんの登場人物が現れる。
その時刻になると時計の前には人垣ができ、皆さん上を見上げています。
坊っちゃん列車
伊予鉄道開業から間も無い明治21年から活躍した蒸気機関車がモデル。
当時は黒煙をもくもくと出しながら走っていましたが、現在はディーゼルエンジンで走っています。当時の客車(写真上)は子規堂の前に保存されている。
小説坊ちゃんで「ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。」と記されている。
旅の終わりをむかえた頃、相棒から驚きの声があがり、何事か尋ねますと、1万歩を超えている、と。
私も歩数計を見てみました。
今回の歩数・・25日12351歩
26日17384歩
27日13722歩
合 計43457歩。
よく歩きました。
今回は二日目の早朝、傘もほとんど必要ないくらいの雨に遭いましたが、それ以外は良い天候に恵まれ相棒から楽しかったとの声も上がり思い出深い旅となりました。
まるまる3日間松山に滞在、漱石・子規・秋山兄弟ゆかりの地と内子の町巡りを達成。
その上、地元ボランティアの方のお蔭で下記の場所をも訪れることができました。
萬翠荘
大正11年旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨伯爵が、別邸として建設。
純フランス風の建物は、当時最高の社交の場として各界名士が集まり、昭和天皇をはじめ皇族方がご来県の際は、必ず立ち寄られたそうです。
敷地内には愚陀佛庵(漱石の借家・子規が52日間同居)があり句会が行われていたが、平成22年の土砂崩れにより全壊、現在は跡地のみとなっている。
湯築城跡
二重の濠と土塁を持ち、その間に居住空間を有する平山城で現在の道後公園内に残っている。
伊予国の守護であった河野氏が南北朝期から戦国期まで約250年間にわたって居城とした。
河野通信の時、源平合戦で功績をあげ鎌倉幕府の有力御家人となり伊予国の統率権を得る。承久の乱で没落するも元寇で復権した1335年頃この湯築城へ本拠を移した。
その後、秀吉の四国攻めにより小早川隆景に城を明け渡し、400年に及ぶ伊予支配に終止符を打った。
時宗を興した一遍上人は河野通信の孫。
愛媛県庁
第4代庁舎。昭和4年竣工。設計木古七郎(萬翠荘も設計)
国内で3番目に古い庁舎・・1番大阪府庁舎(大正15年)・2番神奈川県庁舎(昭和3年)。
正面の青いドームの下の5階にはドーム会議室、その下の4階には正庁の間、その下の3階は貴賓室。
玄関上の愛媛縣廰の文字の下を潜ると正面には赤絨緞の階段。
坊ちゃんからくり時計
平成6年、道後温泉本館百周年を記念して制作。8時から22時まで1時間毎に時計がせり上がり、小説坊ちゃんの登場人物が現れる。
その時刻になると時計の前には人垣ができ、皆さん上を見上げています。
坊っちゃん列車
伊予鉄道開業から間も無い明治21年から活躍した蒸気機関車がモデル。
当時は黒煙をもくもくと出しながら走っていましたが、現在はディーゼルエンジンで走っています。当時の客車(写真上)は子規堂の前に保存されている。
小説坊ちゃんで「ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。」と記されている。
旅の終わりをむかえた頃、相棒から驚きの声があがり、何事か尋ねますと、1万歩を超えている、と。
私も歩数計を見てみました。
今回の歩数・・25日12351歩
26日17384歩
27日13722歩
合 計43457歩。
よく歩きました。
今回は二日目の早朝、傘もほとんど必要ないくらいの雨に遭いましたが、それ以外は良い天候に恵まれ相棒から楽しかったとの声も上がり思い出深い旅となりました。