大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

第3回大阪シティーウオーク・赤レンガ倉庫

2018年10月29日 | 大阪シティーウオーク
昨日、大阪シティーウオーク第3回ショートコース約7キロに参加。
ロングコース1約2キロ組と合わせて約600名が大阪港近くの赤レンガ倉庫横に集合。

本日のコースは、
赤レンガ倉庫⇒みおつくしモニュメント(大阪港)⇒海遊館⇒明治天皇観艦之所碑・西村捨三像(天保山)⇒天保山二等三角点⇒八幡屋公園⇒三津神社⇒港住吉神社⇒赤レンガ倉庫

ショートコース組は10時出発、準備体操後ゲストのパラアーチェリーの上田友裕選手が、今年のアジア大会で獲得した銀メダルを披露。東京パラリンピックでは金メダルと会場を一杯にすることを目標に頑張っておられます。
メダルを触らせて頂きましたが、思ったより軽かったのは驚きでした。

赤レンガ倉庫・・大正12年大阪港第1岸壁沿いに住友倉庫が建設(平成11年大阪市へ移管)。2階建てと平屋の二棟が残っており現在は飲食店やクラシックカーの展示販売所(ジーライオンミュージアム)として利用中。

みおつくしモニュメント・・「みおつくし(澪標)」というのは、その昔、難波江の浅瀬に立てられていた水路の標識のこと。「みお」は、漢字で「澪」または「水脈」と書き、水路という意味で、「くし」は漢字で「串」、即ち「杭」の意味です。古歌では「身を尽くす」という意味で、掛詞として用いられている。
大阪市の市標はこれをデザイン化したもの。

海遊館・・屋内水槽の規模に関しては世界でも上位五指に入るほどの世界最大級の水族館。ジンベエザメが遊泳する様は雄大で美しく一見の価値ありです。

天保山・・淀川が運ぶ大量の土砂を浚渫した土を盛り上げた築山(約20m)。その後灯台建設に際し削ったり、地盤沈下により現在は4.53m。平成26年仙台の日和山(3m)が認定されるまで日本一の低山であった。

明治天皇観艦之所碑・・戊辰戦争中の慶応4年(1868年)3月26日、大阪・天保山沖で明治天皇による「軍艦叡覧(日本初の観艦式)」が行われた。

西村捨三像・・彦根藩士。明治30年広く政財界の信望を得て初代大阪築港事務所長に推された西村は資金集めに奔走、工事全般を指揮する等の偉業をたたえ建立。

八幡屋公園・・大正12年大阪市立運動場(当時東洋一)として建設され、昭和39年長居陸上競技場が出来るまでの大規模競技大会を開催。現在は大阪プールと大阪市中央体育館を併設。

三津神社・・石田新田開発の際、工事の安全と成功を祈り守護神として、明和五年(1768年)此の地に天照皇大神を奉斎して石田皇大神宮を創祀。昭和7年、社号を三津神社と改称。

港住吉神社・・祭神:住吉大神・神功皇后。天保13年(1842年)大阪港に出入りする船の航海安全や漁労安全を祈って、摂津一の宮なる住吉大社より四座の御分霊を天保山に勧請。

12時、10459歩にて無事ゴール。
ジーライオンミュージアムでクラシックカーの展示を見学して海遊館近くで昼食して帰宅しました。
本日の歩数は18057歩、素晴らしい好天と共に気温も20度位の中のウオーキングは汗をかくことも少なく大変気持ち良く歩けました。



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唐招提寺・釈迦念仏会

2018年10月27日 | 史跡
10月22日、藤原京跡で3万本のコスモスを見学後、近鉄西ノ京駅から唐招提寺へ。
目的は、「釈迦念仏会」に参加するため。

法要開始の2時には1時間程ありましたが、法要の行われる礼堂(重文)内部を拝観。

金亀舎利塔(国宝)が正面に安置され周囲には釈迦如来立像(重文)・解脱上人貞慶和尚像等宝物が多く配され荘厳とした雰囲気の中ゆっくりと拝観できました。
2時前から最前列で法要の開始を待機、収容スペースは30人程でした。
(写真下礼堂)

釈迦念仏会
鎌倉時代に解脱上人貞慶が始めた、鑑真大和上請来の仏舎利を本尊とし、釈尊の宝号「南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)」を唱えるこの法要で、800年の伝統がある行事。
早朝(午前4時)・昼(午後2時)・夜(午後7時)と、1日に三度の法要が礼堂で営まれる。

唐招提寺の長老は念仏会の願文が読誦できさえすればよい、といわれるほど当寺にとってもっとも重要な法会である。
(写真下釈迦念仏会・右金亀舎利塔、インターネットから)

法会は、毎年10月21日から23日。
特に21・22日の昼の法要後には、国宝の金亀舎利塔を間近に拝観することができる。

日本国内の仏舎利は、当寺と東寺(京都)に伝わったものが本物だそうです。
(写真下左回廊に出された金亀舎利塔)

鑑真・・ 688~763年。唐の揚州に生まれ14歳で出家し江南第一の大師と称された。
天宝元年(742年)、第9次遣唐使船で唐を訪れていた留学僧栄叡・普照から、朝廷の「伝戒の師」としての招請を受け、渡日を決意。その後の12年間に5回の渡航を試みて失敗、次第に視力を失うこととなりましたが、天平勝宝5年(753年)、6回目にして遂に日本の地を踏まれました。
以後、76歳までの10年間のうち5年を東大寺で、残りの5年を唐招提寺で過ごされ、天皇を始めとする多くの人々に授戒をされた。
来日時持参された仏舎利は3000粒ありましたが授戒の都度一粒渡したため、現在では少なくなっているようです。
(写真下金堂・右講堂)

唐招提寺
南都六宗の一つである律宗の総本山。

多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真和上は、東大寺大仏殿の前に戒壇を築き聖武天皇をはじめ400余人の僧俗に戒を授けた、これは日本初の正式授戒。
東大寺で5年を過ごした後、大和上の称号を賜り、新田部親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、天平宝字3年(759年)に戒律の専修道場を創建。

「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まった当初は、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけでした。
金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により完成。
現在では、奈良時代建立の金堂、講堂が天平の息吹を伝える、貴重な伽藍となっています。
(写真下左鼓楼・右宝蔵・経蔵)

建造物の内、金堂・講堂・鼓楼・宝蔵・経蔵(日本最古の校倉造)は国宝で、礼堂・東室・御影堂は重文。

参加者が、回廊に出された金亀舎利塔を拝観して約1時間の釈迦念仏会は終了。
相棒と共に秋の気配の深まった境内の金堂・講堂・鑑真の御廟・戒壇等を拝観して帰途に。
(写真下左御廟・右戒壇)



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藤原京跡とコスモス

2018年10月25日 | 史跡
10月22日、素晴らしい秋空との報道、相棒と共に藤原京跡のコスモス園へ。

近鉄大和八木駅からバスで橿原市藤原京資料館前下車。
目の前にコスモス畑が広がり、多くの見物客で賑わっています。

藤原京
694年から710年の間、持統・文武・元明天皇三代に亘る都で日本で最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城である。
藤原京は5.3キロ四方(平城京・平安京よりも大きい)で中心の藤原宮(900m四方)は耳成山・畝傍山・天香具山の大和三山が見渡せる景勝の地であり万葉集にもこの地に関する歌が数多く詠まれている。
(写真下左耳成山・右天香具山、畝傍山は家並みの陰で見えなかったのは残念)

平城京に移った後は田園に変わり1300年もの間地中に埋もれていたが、昭和9年から18年の発掘により大極殿・朝堂院の位置や規模が明らかになった。
その後の調査で門・大垣・役所の一部もはっきりした。

大極殿や朝堂院等の柱跡には赤い模造柱が建てられ、その位置が判るようになっている。

コスモス畑には、丁度見頃の約3万本の赤・白・ピンクのコスモスが風に揺れており、万葉人はこのように変わった宮を見て何と詠んだことでしょう。

相棒と共に遠い時代の想いを馳せながら次の訪問先唐招提寺へ。
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中之島バラ園

2018年10月21日 | 風景
昨日、朝日フェスティバルホール12階にての講演会終了後、相棒と待ち合わせて中之島バラ園へ。

秋バラを楽しみに行きましたが、バラ園内のバラの成長にはまだ時間を要するようで以前のような輝きには今一歩であったのは残念でした。
それでも、バラ達は懸命に咲き自己主張をしていて個々には見応えはありました。


バラ園の西から入って、多くの来園者と共に見学をして中之島公園の東の先端、剣先の手前から退園。
夕陽に照らされた土佐堀川の川面は美しく映え、剣先の噴水が私達を見送って大きく吹き上げてくれていました。
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アルパ演奏会

2018年10月15日 | 高齢者大学
10月14日、高大同窓会カルチャーの行事でのアルパ演奏会、会場は旧三井家下鴨別邸。
アルパとは、スペイン語でハープのこと。
京阪出町柳駅11時50分集合の34名(1名不参加)。

借り切った旧三井家下鴨別邸の二階で昼食。
開け放した窓から少しひんやりした風が吹き抜け深まってきた秋を感じながら、色とりどりに盛り付けられた泉仙の仕出し料理を皆さんと共に美味しく頂きました。

食後、スタッフから別邸の由緒をお聞きしたあと邸内を見学。
2時過ぎ、本日メインの岩佐しおりさんによるアルパ演奏会。

岩佐しおりさんは、大学4回生の時アルパに出会い、その魅力にはまってアルパの本場パラグアイで単身修業を経てプロに。
日本でのアルパコンクールにて銀賞の他数々の賞を受賞、南米各国からの招待演奏も重ねられ、2016年パラグアイ日本人移住八十周年記念式典では秋篠宮眞子様の前でも演奏。
現在は豊中にてアルパ教室を開かれ、今年のアルパ演奏会では最年少の生徒さんが4位で奨励賞と毎日新聞社賞を受賞され嬉しそうでした。

演奏会は、アルパの曲(ご本人作曲「私の宝」も演奏)と日本の叙情歌(浜辺の歌・荒城の月・ふるさと等)で構成されていて、私達観客も馴染みのある曲を爪で弾くシャープな音色やハープよりも大きな共鳴箱での音階の広さ、響きに聴き入ってしまいました。
また、アンコールにもお応え頂きコーヒールンバを最後に演奏会終了。

重要文化財の日本家屋でのアルパ演奏会、皆さんからは素晴らしかった、感動した等の声が多く聞こえてきていました。
階下のお客様や別邸スタッフの耳にも届いたようで帰り際、良かった、との声も頂きました。

今回お手伝い頂いたカルチャーの皆様、有難うございました。



http://shioriarpa.owlogic.net/
コメント (4)
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