大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

ナイター観戦

2019年08月24日 | 風景
昨日ゴルフレッスンの後、相棒と共にナイター観戦へ。
オリックスバッファローズのチケットプレゼントで京セラ大阪ドームでの対日本ハム(パーリーグ4位)戦へ。

試合開始時間の6時前に到着、上の方にしか空席が無く上から2番目の席に着席。
オリックスは最下位であり、最下位争いであれば観戦者も少ないとの思いは見事に裏切られ、思いのほか多くの観戦者でした。
着席してビールを注文、相棒が買っておいてくれたお弁当を頂きます。

国歌斉唱(石川麻奈さん・写真上)後間もなく試合開始、ほぼ満席(29千人・満席36千人)に近い観客の声援の大きさに驚いているうち、相棒もつられて入場時渡された応援グッズ(写真下左)を打ち鳴らし応援を始めています。

日本ハムが4回と5回に各1点を入れ、オリックスが5回に2点で追いつき、6回に1点を奪い逆転し7回には3点(吉田正尚2ラン・ロメロがソロの連続ホームラン)を奪って4点差の安全圏に。
時間は9時過ぎ、今日は勝つであろうと思って帰宅。
(写真下左吉田正尚のホームラン・右清宮選手)

京セラ大阪ドーム
大阪市が大阪政財界の建設を求める声に応える形でパシフィック・リーグの近鉄バファローズを誘致し、その本拠地として市主体の第三セクター・大阪シティドームによって建設された多目的ドームである。
後に大阪近鉄を事実上吸収合併したオリックス・バファローズがこちらを本拠地として使用している。
オリックスの他にも、阪神タイガース・読売ジャイアンツや福岡ソフトバンクホークスが、それぞれ主催試合を開催しており、他にコンサート・音楽イベント・展示会・格闘技等に使用されている。

大阪市による経営はうまくいかず破綻、会社更生法後オリックス不動産が再建に乗り出すと共に引き続きオリックスバッファローズの本拠地として使用中。
この件とは別に施設命名権の売却が行われ、現在は「京セラドーム大阪」を名乗っている。

亡父が近鉄バッファローズのファン(近鉄パールズ時代から)で子供の頃巨人のファンであった私に対し、「強い巨人を応援するとは何事か、弱い近鉄を応援しないでどうするのか」、と聞かされたことがついこの間のように思い出されました。
そのお蔭で、成人してからはパーリーグは近鉄を応援することとし、よく父と藤井寺球場へ出掛け、仰木監督の時に優勝した時の喜びようは忘れられません。

試合は日本ハムが9回に2点を入れましたが、6対4でバファローズの勝利で最下位脱出(日本ハムが5位・0.5ゲーム差)も目前、今後の活躍を応援しましょう。
久しぶりの夜遊びでのナイター観戦、しかもドームでの観戦は初めてで、とても快適で楽しい時間が過ごせました。
相棒もお弁当を球場で食べるくらいのつもりで来たのが、思いのほか応援も楽しくて、よかった楽しかったとのご感想。
オリックスさん有難うございました、引き続き応援させて頂きます。


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落語の落後の楽語

2019年08月20日 | 伝統芸能
昨日は、カルチャー仲間のKさんから頂いた情報での落語会「落語の落後の楽語」へ。
会場は、地下鉄肥後橋駅前の玉水記念館。
演者は、米朝一門の桂弥太郎・桂ちょうば・桂吉弥。

会場入り口前で、4月に高大同窓会カルチャーで催した落語会で来て頂いた桂ちょうばさんにご挨拶。

まず、桂弥太郎(桂吉弥の弟子・平成21年入門)が「阿弥陀池」で座を盛り上げます。
次いで、桂ちょうば(桂ざこばの弟子・平成13年入門)の「寄合酒」で会場爆笑。
トリは、桂吉弥(桂吉朝の弟子・平成6年入門)が「宿屋仇」で大爆笑。

今回の出し物は何度か聴いた噺でしたが、演者が変わりますと聴いた話も新鮮で大笑いをさせて頂き、いつも感じることですが落語家の話芸の見事さと経験年数の差(笑いの質と大きさが違います)には脱帽です。
クーラーの効いた会場で大笑いをさせて頂き有難うございました。
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太陽の塔 内部見学

2019年08月17日 | 史跡
昨日、相棒と共に太陽の塔の内部見学へ。
インターネットでの予約時間は10時30分でしたが、暑さを避け少し早めに出発し9時半頃には到着。
太陽の塔の裏側の黒い太陽を見ながら地下入り口へ。

地下入り口前には、10時予約組の行列。その後ろに並んで待ちます。
入館してすぐに地底の太陽(第四の顔)が照明によっていろいろな顔を見せてくれます。

地底の太陽は、万博当時太陽の塔の前段位置していた地下展示「過去・根源の世界」の雰囲気を体感する空間で、仮面・神像や映像・照明などを組み合わせてテーマ館の世界観を伝えます。

いよいよ内部の生命の樹へ。
真っ赤な照明の空間の真ん中に巨大な樹(柱・41m)が天に向かって伸び、その樹木の周辺にアメーバからクロマニョン人まで(33種類の生物)が下から配されています。(写真撮影はここまで)

樹の上へは階段(254段・万博時はエスカレーター)を利用。
登るにつれ原生類から哺乳類へと進化していく過程を見ることができ、アメーバが下等で人間が最上級を訴えているのでなく、根源から未来に向かってふきあげる生命のエネルギーを表しています。

ほとんどの造形物は補修がされていますが、途中のゴリラの頭部分が壊れたまま展示されていて当時は頭部分に顔が動く駆動部分が入っていたそうですが壊れたまま展示し、50年の経過を伝えたかったようです。
当時は、ブロントザウルス(25m)の口が開いたり、マンモスが動いたりしたそうです。
以下の写真はHPより

254段の階段を上った所が太陽の塔の左腕部分、内部は空洞で中央に階段があり上り詰めたところから大屋根(地上30m)に出られ、当時の非常階段の役割をしています。
私達は、別階段で下へ。

太陽の塔
1970年、アジア初の万国博覧会を開催。来場者は万博史上最多の6421万人。
テーマの、「人類の進歩と調和」を表現するテーマ館として建設された。生み出したのは前衛芸術家岡本太郎。
高さ70m・基底部の直径20m・腕の長さ20mの塔は、何を表しているのか作家本人が何も語っていないため、よく判っていません。総工費約6億3千万円(テーマ館全体では約25億9千万円)。
しかし、特徴的な三つの顔については判っています。
腹部の「太陽の顔」は現在を、頂部の「黄金の顔」は未来を、背面の「黒い顔」は過去を表し、大阪万博テーマ館が過去⇒未来⇒現在を巡る構造であったことに加え、作者の岡本太郎が「人間の身体、精神の内にはいつでも人類の過去、現在、未来が一体となって輪廻している」と考えていたからです。

万博終了後の1975年永久保存が決まり、1993年大規模改修工事完了。2016年耐震補強工事・内部再生着工、2018年同工事完了塔内部公開開始。

相棒は、長女(4歳)の手を引き長男(1歳)をおんぶして見学に行ったそうですが、すごい行列を並びアメリカ館での月の石だけを見て帰ったそうです。
が、残念ながら二人に記憶は無いようです。

今後は、常時公開されているようですから一度は見てみる価値はあると思いつつ帰途に。
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永代祠堂施餓鬼法要

2019年08月14日 | 四天王寺
本日、四天王寺・六時堂(写真下左)での永代祠堂施餓鬼法要(お盆回向)へ。
毎年の行事ですが、今年は8時受付の前に到着しようと相棒と共に早起きをし、7時35分に法要の行われる六時堂着。
すでに並んでおられる方が3名。

8時前には、お堂西側の回廊に入れて頂き椅子席でしばらく並んで待った後、内部で回向の受付を済ませ東側の控室へ。
名前を呼ばれ、祖父母と両親の回向を済ませた後、頂いた経木を亀井堂(写真上右)で流して頂きます。
これで令和初めてのお盆の回向も無事終了、祖父母・両親も極楽往生が叶っている事でしょう。

この後、納骨総祭塔(写真上左)でのお参りを済ませました。
青空の下の五重塔の左手南大門奥には、遠くあべのハルカスが望めます。
今年は早く並んだお蔭で例年よりは並ぶ時間が短く済み、早起きは三文の徳を実感しつつ帰途に。

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離宮八幡宮

2019年08月06日 | 史跡
先日の山崎散策時、利休の茶室待庵見学後昼食会場へ行く途中の西国街道で、離宮八幡宮の前を通りました。
この神社は、司馬遼太郎作品「国盗り物語」で有名になった製油発祥の地であることを知っていましたので、昼食後の時間を利用して行ってきました。

離宮八幡宮
平安時代、清和天皇が国家鎮護のため、九州宇佐八幡宮より八幡神を京へ御遷座されたのが石清水八幡宮。
ここは嵯峨天皇の離宮である河陽宮の跡地であったため、後に社号が「離宮八幡宮」と改称され、応神天皇・酒解大神(別称大山祇神)・比売三神をお祀りしています。

貞観年間、時の神官が神示を受けて「長木」(写真上右)という搾油器を発明し荏胡麻油の製油を始めました。
当初は神社仏閣の燈明用油として奉納されていましたが次第に全国にこの業が広まり、離宮八幡宮は朝廷より「油祖」(写真上左)の名を賜りました。
また、荏胡麻発祥地で油の製造と販売を始め、油座として離宮八幡宮は油の専売特許を持ち栄えてゆき、諸国の油商人は離宮八幡宮の許状無しには油を扱うことはできませんでした。

現在は油の神様として親しまれており、平成22年には創建1150周年を迎えました。
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