7月26日、長良川鵜飼からの帰り道、彦根に立ち寄り。
駅前の井伊直政の銅像に挨拶後、タクシーにて玄宮楽々園へ。
築城410年を迎える天守閣には何度も訪れていますが玄宮楽々園は初めてです。
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玄宮楽々園
江戸時代、4代藩主井伊直興が延宝7年(1679年)造営した槻御殿と呼ばれた彦根藩の下屋敷。
幕末の大老井伊直弼はここで生まれています。
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庭園の玄宮園は、玄宗皇帝の離宮をなぞらえて命名され、中国の瀟湘八景あるいは近江八景を模して作庭されたといわれる回遊式庭園です。
池に臨んで臨池閣、鳳翔台(茶室)などの建物が設けられ、彦根城を借景とする江戸初期の大名庭園として、国の名勝に指定されている。
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現在は、庭園部分を玄宮園、庭園部分を楽々園と称しています。
強烈な陽射しの中、木陰沿いに大きな池の周りを巡り借景の彦根城も望みながら庭園内を鑑賞。
その後、玄宮園前の屋形船乗り場へ。
彦根城屋形船
彦根藩は、近江の国第一の大藩で琵琶湖の水上交通を支配しており、藩主の井伊家は徳川幕府の譜代筆頭家臣であり、代々京都守備にも任じられ一朝事あらば速やかに帝を内裏から彦根に御移しするという密命を帯びておりました。
その為彦根藩には大小120艘の御用船が備えられており、彦根から京都御所まで3時間を切る高速船や大量の足軽を運ぶ大船等もありました。
彦根城屋形船は、その内の一艘で藩主が領内の視察、大名公家の接待、湖上での鷹狩等に使った藩主御好屋形船を当時の絵図面や幕末の古写真からほぼ当時の寸尺で復元したもの。
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屋形船は、岐阜からの子供連れ4人の同乗者と共に船頭さんの解説を聴きながら、天守閣を囲む内堀をゆったりと進みます。
船べりからは、烏鷺の競演も楽しめました。
解説では、彦根藩は参勤交代の提案を徳川家光にしたことから参勤交代を免除されていた、との説明でしたが、彦根藩は京都に近く幕府側の雄藩として政治・文化の中心であった近畿地方一帯に睨みを利かす為に相応の石高を軍事力として必要としていたから、というのが免除の正解でしょうか。
その為藩は裕福で、足軽でさえ庭付き一戸建てに居住していたそうです。
彦根城の石垣は、斜面の犬走りが特徴だそうですが、実は石垣の石を節約するためであったようです。
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堀の上は涼しく休養できました。
遅めの昼食後、彦根駅に戻って帰途へ。
新快速の中では二人ともグッスリ、楽しかった旅も無事終了。
駅前の井伊直政の銅像に挨拶後、タクシーにて玄宮楽々園へ。
築城410年を迎える天守閣には何度も訪れていますが玄宮楽々園は初めてです。
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玄宮楽々園
江戸時代、4代藩主井伊直興が延宝7年(1679年)造営した槻御殿と呼ばれた彦根藩の下屋敷。
幕末の大老井伊直弼はここで生まれています。
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庭園の玄宮園は、玄宗皇帝の離宮をなぞらえて命名され、中国の瀟湘八景あるいは近江八景を模して作庭されたといわれる回遊式庭園です。
池に臨んで臨池閣、鳳翔台(茶室)などの建物が設けられ、彦根城を借景とする江戸初期の大名庭園として、国の名勝に指定されている。
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現在は、庭園部分を玄宮園、庭園部分を楽々園と称しています。
強烈な陽射しの中、木陰沿いに大きな池の周りを巡り借景の彦根城も望みながら庭園内を鑑賞。
その後、玄宮園前の屋形船乗り場へ。
彦根城屋形船
彦根藩は、近江の国第一の大藩で琵琶湖の水上交通を支配しており、藩主の井伊家は徳川幕府の譜代筆頭家臣であり、代々京都守備にも任じられ一朝事あらば速やかに帝を内裏から彦根に御移しするという密命を帯びておりました。
その為彦根藩には大小120艘の御用船が備えられており、彦根から京都御所まで3時間を切る高速船や大量の足軽を運ぶ大船等もありました。
彦根城屋形船は、その内の一艘で藩主が領内の視察、大名公家の接待、湖上での鷹狩等に使った藩主御好屋形船を当時の絵図面や幕末の古写真からほぼ当時の寸尺で復元したもの。
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屋形船は、岐阜からの子供連れ4人の同乗者と共に船頭さんの解説を聴きながら、天守閣を囲む内堀をゆったりと進みます。
船べりからは、烏鷺の競演も楽しめました。
解説では、彦根藩は参勤交代の提案を徳川家光にしたことから参勤交代を免除されていた、との説明でしたが、彦根藩は京都に近く幕府側の雄藩として政治・文化の中心であった近畿地方一帯に睨みを利かす為に相応の石高を軍事力として必要としていたから、というのが免除の正解でしょうか。
その為藩は裕福で、足軽でさえ庭付き一戸建てに居住していたそうです。
彦根城の石垣は、斜面の犬走りが特徴だそうですが、実は石垣の石を節約するためであったようです。
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堀の上は涼しく休養できました。
遅めの昼食後、彦根駅に戻って帰途へ。
新快速の中では二人ともグッスリ、楽しかった旅も無事終了。