大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

四天王寺 賓頭盧尊者

2017年12月30日 | 四天王寺
12月28日、今年最後の四天王寺へ。
いつもの通りの納骨総祭塔と六時堂へお参りを済ませ、六時堂の前におられる賓頭盧尊者の左眼を撫でて、これ以上悪くならないようにお願いをしてきました。

賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)
釈迦の弟子で特に優れた代表的な16人の弟子を十六羅漢と呼び、その一人。

博識であり慈悲深く十善を尊重し、阿羅漢果を得て神通力を得た。
彼の説法が、他の異論反論を許さずライオンのようであったため獅子吼第一といわれるようになった。

古来撫で仏として多くの人々の信仰を集め、病あるものが患っている箇所と同じ尊者の部分を撫でると、その病が平癒する、と伝えられいる。

帰って来ましたら、今年11月5日の開催された四天王寺ワッソの記録映像(DVD)が届いており、相棒と共に懐かしく視聴。
私の扮した神話時代の夫乙那も大きくアップで写されていて良い記念になりました。
三井VNETさんをはじめ皆様方のお蔭で楽しい思い出がたくさん増えたことに感謝です。有難うございました。
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天人峡温泉

2017年12月26日 | 史跡
相棒との忘年会、今年は12月22日から25日まで、北海道のほぼ真ん中にある大雪山国立公園の一角にある天人峡温泉へ。

12月22日上本町発6時25分の空港バスにて伊丹空港へ。
出掛ける場合いつも相棒の朝食を摂るのですが、相棒の負担を軽くするため空港で朝食。
8時30分発JAL106便にて羽田経由旭川空港着2時15分着。
滑走路を除いて一面の雪景色、昼食後送迎バスで旅館天人閣2時過ぎ着。

空港から道の駅道草館に立ち寄り天人閣へ。
建物がまばらな市街地を抜けますと両側に林が広がる国有林、いくつかのトンネルを抜けて天人閣着。
その間、当然の事ですが見渡す限り雪景色、改めて北海道に着いたことを実感。
標高600mに位置する旅館からの眺めも山に囲まれ道路もここまでで行き止まり、と聞きますと秘境に来たとの思いを強くしました。

今回の旅は、観光はしないで旅館にて温泉を楽しむ湯治が目的でしたが、徒歩15分で羽衣の滝の立看板につられて行ってみることに。
ところが、道路が陥没で不通。やはり今回は湯治に専念せよ、との神のお告げであろうと断念。

天人峡
第一のシンボルは温泉です。
天人峡温泉
明治30年・旭川市で旅館を営んでいた松山多米蔵が、アイヌの人から滝と湧泉の話を聞き、案内を受けて忠別川をさかのぼり湧き出る温泉を発見。
明治33年・松山多米蔵翁が天人閣の前身にあたる松山温泉を開いたのが始まりです。
昭和11年・この地の地名が「天人峡温泉」と定まる。

自然湧出(ボーリングをしていない)100%の天然温泉は、かけ流し(加水・加温していない)の秘湯。

湧泉温度:約54℃
泉質・ナトリウム・カルシウム・マグネシウム等
効用・(浴用)神経痛、筋肉痛、関節痛、痔疾、慢性消化器病、動脈硬化症、疲労回復、健康増進、慢性婦人病、冷え症等。
(飲用)慢性消化器病、慢性便秘、糖尿病、痛風、肝臓病、性胆のう炎、胆石症、肥満症等。

この地のシンボルのもう一つは、柱状節理です。
柱状節理
大雪山国立公園の南東山麓、忠別岳から流れ出る忠別川の上流にある天人峡にあります。
約3万年前に起きた巨大噴火の影響が元となり、マグマ等が冷却固結する際や地殻変動の際に生じ、熱いマグマが約700~1000℃で固まって岩石になり,その後常温に冷える過程で体積がわずかに収縮したものが節理です。

天人峡温泉へは公共の交通機関がないため、旅館の送迎バスか車・タクシーを利用しますが、効用は素晴らしく、温泉愛好者からの評価が高い。
私達の滞在中にも、年に何度もこの温泉に来ています、という方がおられました。
冷え症に抜群の効用があることは相棒がすぐに眠れ且つ朝まで一回も起きなかったことで立証済みです。
また、老化予防にも効用があるそうですので、私達の寿命もきっと延びたことでしょう。

旅館の真ん前に「涙岩」の立看板があり尋ねてみますと、忠別川の対岸の山の斜面に全く木の生えていない場所があり、そこが一枚の大きな岩(一辺約30~40m)でいつもその斜面が水で濡れていて、まるで涙を流しているように見えることからこの名がついたそうです。
四日目、滞在中少し暖かかったからでしょうか、涙岩に積もっていた雪が一部滑落していました。
そう言えば、夕食時「ガシャ」というものすごい音がしたことがあり、スタッフさんに尋ねましたところ「屋根の雪が落ちた音です」と、雪国ならではの体験でした。

露天風呂から約2m位の見事な氷柱を見ることができ、スタッフに他に氷柱の見られるところはないですか?と尋ね、外に出て探してみました。
結局、旅館の屋根から垂れ下がる氷柱を見つけ、露天風呂の氷柱より少し細めでしたが約2mの立派なものでした。

滞在中の外出は、その時だけで毎日決まった時間に食事と昼食後・就寝前の温泉入浴。
その他の時間は、部屋でのインターネットができませんのでTVか読書。
「きょういく・今日行く所)」「きょうよう・今日の用事)」共無くなる近未来の私達の練習をしているようでした。
相棒は、娘とのラインの返事が来ず、どうしたのか心配していました。
娘も同じように心配して、温泉を満喫しているのかな?充電切れ?
帰ってきてからは、いまどき通信できない所があるんだね、楽しめて良かったね、と。
北海道らしい標識をいくつか見つけました。
交差点での停止線の標識・道路幅を示す紅白の棒と街路灯及び吊り下げられた矢印。

滞在中の天候は、小雪が舞ったり時たま晴れ間がのぞいたり。
最低気温は-2~-10度でしたが部屋の中は暖房が効き過ぎて暑いくらいでした。
25日の帰る日は午前中雨、午後から雪、夜からは暴風雪の予報。
なんとか飛行機が飛びますように、との願いが叶い予定通り13時5分発の飛行機で帰ってきました。

今このブログを書いていますと、TVでは爆弾低気圧が北海道の日本海上に発生し、旭川も台風並みの風と大雪と伝えています。
旭川空港は欠航も出ており、一日後であれば帰ってこれないところでした。
今回の旅について相棒は、まず出掛けることがなかったこと、温泉の効用が良かったことが気に入ったようで、良かったとのご感想。
最初は雪国?とあまり乗り気でなかったようですが、結果喜んでくれ一安心でした。




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野沢菜の碑

2017年12月12日 | 四天王寺
先日四天王寺へお参りに行った際、仁王門の右手に新しい碑が建てられており近づいて見てみますと、「野沢菜原種旅の起点」の碑とありました。
四天王寺蕪が信州へ渡り野沢菜となった事を思い出し、ここに碑が建てられたことに納得しました。

野沢菜
宝暦年間(1750年代)、長野県野沢温泉村の薬王山健命寺晃天園瑞住職が京都へ遊学の折、四天王寺発祥の天王寺蕪の種を持ち帰り自坊庫裡裏の畑で栽培したところ、野沢温泉村の地味により蕪は小さく大振りな葉柄の美味なる蕪菜に成長したものが野沢菜として世に広まったもの。

野沢菜伝来250年を記念して平成21年旧中山道経由で23日間・平成25年北国街道経由で30日間を要し、600キロに及ぶ工程を多くの村民と天王寺蕪の会有志とが踏破し、今年の11月1日健命寺大谷俊雄住職の許に種を届けることができ、先人の偉業を称え天王寺蕪原種の旅の起点として四天王寺境内に碑を建立。

別名、信州菜(シンシュウナ)。

茎と葉の丈は50~90cmにもなり、春には黄色い花を咲かせ菜の花畑となる。
高野辰之が長野県飯山市で教員をしていた際、同市で見た野沢菜(菜の花)畑が印象に残り、作った歌が「朧月夜」といわれている。

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高大AS歴考忘年会

2017年12月06日 | 高齢者大学
昨日は高大AS歴考忘年会、近鉄奈良駅集合10時、例によって定刻前に11名集合。
徒歩とタクシー組に分かれて、吉城園へ。

吉城園
興福寺古地図によれば、同寺子院の摩尼珠院があったところとされていますが、明治になって正法院家の所有となり大正8年に現在の建物と庭園が造られた。
企業の迎賓館としての後、昭和の終わりから奈良県の所有となり、平成元年から庭園鑑賞・茶会に広く利用する目的で一般公開。

敷地面積2700坪、大正期の近代和風住宅としての趣を残す建物は県の有形文化財。
自然の起伏、曲線を巧みに取り入れた庭園は、池の庭・苔の庭・茶花の庭からなり何れも素朴で潤いがあり閑静なたたずまいを呈しており、特に新緑の春・紅葉の秋が美しく来園者が絶えない。
また茶室は、かや葺木造平屋建で、野点も楽しめ茶会のために有料で利用可。

ほぼ終盤を迎えたこの時期でしたが、所々まだ美しい紅葉も楽しめ紅白の山茶花も美しい庭園を堪能、以前N氏と相棒とで訪れた時は夏の暑い時期でしたので園内の一部の鑑賞で終えましたが、今回は三つの庭をすべて巡ることが出来ました。

その後、希望者で東大寺周辺を散策、今年最後であろう紅葉を楽しんで昼食場所へ。

1年前に佐保川の畔から移転してきたという夢窓庵での美味しい和食の数々と美味しいお酒のひと時、満足でした。
食後は、奈良駅前まで戻ってティータイム。
初詣・総会の打ち合わせ等に花が咲き、いつもの如く店員さんがあきれるほど腰を据えて後帰途に。

今回の幹事役第3班の皆様、楽しい企画をありがとうございました。
また、皆さんには今年も色々お世話になり有難うございました。
来年もよろしくお願い致します。
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ぶどうの木オーナー

2017年12月04日 | ぶどうの木オーナー
昨日、ぶどうの木の植樹祭に相棒とともに参加。
JR河内堅上駅(午後5時からは無人駅)9時30分集合、本日の参加者は27名。

ぶどう畑まで坂道をアップダウン、ぶどう農家の奥野さんの畑を見学しながら約20分で私達のぶどうを植える畑に到着。
ぶどう畑のオーナー奥野さん(4代目)から、ぶどうの苗の植え付け方について詳しく説明と共に実演があります。

一通り聞いた私達の作業開始です。
以前に穴掘り作業に参加された方達のお蔭で植え付ける穴はすでに掘られていますので、私達はほんの少し広げる程度で植え付けに入ります。
元気そうな苗を選び、近くにおられた3代目に再確認しながら接ぎ木部分を10数センチ地上に出るように土を山状に盛り上げ、そこに根を広げて土を掛けましす。
また、当地でのぶどう作りは甲府よりも古いそうです、それはぶどうの苗木を甲府に販売していたことからも判るそうで、かつて大阪がぶどう生産量日本一であったことが偲ばれるお話でした。

植え付けた苗の周りに水が溜まりやすい様に環状の溝を作って麦藁をかぶせ、ネームプレートを取り付けて植え付け終了、作業を終わって体力の衰えを感じながら記念写真を撮ってもらって完了です。

皆さんの植え付け終了を待って昼食タイム、4代目夫人の手作りのおにぎりやゆで卵、お味噌汁を頂き冷えた体が温まりました。
食後、ぶどうの枝を使ったリース作りを皆さんと共に楽しみ、作ったリースをお土産に帰途に。

途中、金山彦神社に参拝。
金山彦神社は、平安時代の延喜式神名帳に記載された式内社。
御祭神の金山昆古神は、イザナギ・イザナミから生まれた神で火の神様との関係深く古代当地は製鉄で栄えていた事もあり、炊事を司る婦人の健康と安全を守る神として信仰を集めている。
境内には伊勢神宮遥拝所もあり由緒正しき神社です。

素晴らしい好天の中行われたぶどうの植樹祭、奥野オーナーご家族のご準備のお蔭で久しぶりに土に触れることもでき、大変楽しい一日を過ごすことができました。
ぶどうの木に実が生るまでには、4~5年要するそうですが、この苗に実の生るのを元気で見たいものです。
本当に有難うございました、大したお手伝いもできませんが今後ともよろしくお願い致します。
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