大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

太田博美コンサート

2017年03月31日 | 催事
昨日、スイスホテル南海大阪7・8階で産経新聞主催の「ハッピーエイジング&ソナエ博2017春」が終日開催。
私達は午後の催し「骨と関節の病気と治療」の医療講座に参加。
人工関節の技術は素晴らしく私の母も膝に人工関節を入れていましたが、日常生活をほぼ支障なく送れていたことを思い出しながら聞いていました。
印象に残ったのはカルシュームを適度に摂り、歩く際足の親指に力を入れてしっかり歩いていればサプリメントに頼ることもない、との言葉でした。
その後の太田博美コンサートへ。

医療講座の参加者は100人程度でしたが、太田博美コンサートの大会場は10倍以上の参加者で溢れかえっています。
第一部での車いすダンス(ジェネシスオブエンターテイメント)の妙技を目の前で拝見し、車椅子で社会に出ることに躊躇を覚えていた人が車いすダンスに出会って自分自身が楽しくなれただけではなく、見る人にも勇気を与えられていることを知って積極的に社会に出られるようになった、とのお話をお聞きし車椅子の人を含む障碍者の社会参加に無関心でいてはいけないと思いました。

いよいよ第二部のコンサートの開始です。
大きな拍手に迎えられ「赤いハイヒール」「雨だれ(デビュー曲)」「九月の雨」「金平糖」等々数曲を独特の舌足らずのような声が皆さんの手拍子と共に会場に響きます。

ご主人の出身地が南海高野線の奥地で、この難波は乗換駅として懐かしいとのお話もあり最後の曲「木綿のハンカチーフ」を歌い出しますとここでも手拍子が起こりました。
この歌は、都会へ出て行った彼氏が都会に染まって心変わりしていく様子を、田舎に残った彼女の切ない淋しい心情を歌っていると思っていましたので、手拍子には違和感を覚えながら聴いていました。
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十津川温泉

2017年03月29日 | 史跡
3月27・28日十津川温泉へ。
1ヶ月ほど前、相棒が近鉄上本町駅で十津川温泉のパンフレットをもらってきました。そこには「路線バス運賃キャッシュバックキャンペーン」の文字が躍っています。
相棒はまだ行ったことがありませんので、早速旅館へ予約を入れました。

27日、近鉄大和八木駅9時15分発のバスで十津川温泉へ。
日本一長い路線バス(終点の新宮まで167キロ・停留所数167)で十津川温泉まで4時間20分の旅の始まりです。

停留所には長い行列ができていて私達は座れましたが10数人立ったまま出発後、運転手さんが「御所バスセンターで増車が出来ると思いますのでしばらく我慢を」とのアナウンス、他人事ながら安心しました。

暖かい陽射しを受けながら車窓の葛城山の山並み・賀名生梅林・柿の木畑等を眺めているうちに谷瀬の吊り橋で20分の休憩。
皆さんと共に吊り橋へ。
谷瀬の吊り橋は、長さ297m・高さ54mの生活用吊り橋鉄線吊り橋としては日本一。
相棒もこわごわ挑戦、時々突風もあり橋は大いに揺れましたが何とか往復を果たし嬉しそう。

熊野川沿いにバスは進み13時40分十津川温泉着、4時間20分の旅を無事終え旅館へ。
相棒は源泉かけ流し温泉へ、私は美味しいビールを飲むため夕食前に入る事に。
泉質は龍神温泉に似て肌がツルツルになり、相棒は大喜び。
夕食は、鹿肉のタタキ・猪肉のミニ鍋・キノコ等地元の食材尽くし、地酒も頂き満腹。
就寝前に露天風呂へ、樹齢500年のカヤの木をくりぬいた風呂桶にも入って温もりました。

28日、10時ごろ出発して柳本の吊り橋と野猿の体験へ約30分のウオーキング。
柳本の吊り橋は、長さ90m・高さ10m。
谷瀬に吊り橋と比べれば見た目大したことがないだろうと感じ渡り始めました。
ところが揺れの激しいこと、しかも手すり部分は低く且つ隙間だらけでうっかりすれば落ちることもありそうで、恐怖感は谷瀬の吊り橋の比ではありません。
(谷瀬の吊り橋は手すりも高く、隙間は網で埋められていて落ちることはありません)
渡ってみて吊り橋の袂に満開の桜を発見、ここまで足を延ばしてラッキーでした。
また、この吊り橋は世界遺産の小辺路のルートにあたっていて私達も小辺路の一部を体験できました。

野猿は、木のつるを伝う猿に似ていることから名付けられ、、川の上に吊り下げられた一人用のやかたに乗って綱を手繰り寄せて谷を渡る人力ロープウエイ。
野猿近くで出会った夫婦連れから、野猿は一人では対岸まで行けず戻って来るのも一人では戻れず、途中で立ち往生していたが若者3人に引っ張ってもらってやっと戻って来ることができた、とのこと。
私も野猿に乗り込み、少し進んでは戻れることを確認することを数度繰り返し10m弱体験。
次に相棒を乗せて私同様の距離を体験させ、引っ張り戻しました。

相棒は度重なるスリルを味わい、やや興奮気味で「来てよかった」を繰り返しています。

最寄りのバスの停留所ホテル昴前11時59分発のバスもほぼ満員の乗客と共に4時間35分のバス旅へ。
車中では二人とも熟睡、二日間素晴らしい天候に恵まれ本当に楽しい体験ができた旅を提供頂いた今回の太っ腹企画に感謝。
有難うございました。

また、今回の旅で推理小説作家西村京太郎氏が十津川村の観光大使であること、その経緯は作品の主人公の警部の名前が思いつかず困っていていたところ、日本地図の中に十津川村を見つけて十津川警部としたことを知りました。
十津川村を題材の作品「十津川村天誅殺人事件」があります。
この主人公役を演じておられた渡瀬恒彦氏が先日亡くなられたことは本当に残念です、黙祷。
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京都迎賓館・旧三井家下鴨別邸・長徳寺オカメザクラ

2017年03月25日 | 史跡
昨日、三井V・NETさんのお世話で京都迎賓館と旧三井下鴨別邸へ。

10時15分京都迎賓館見学希望18名が二班に分かれて見学。
京都迎賓館については、こちらご参照

見学後、旧三井下鴨別邸まで約15分程度のウオーキング。
ここから参加の15名を加えて旧三井下鴨別邸2階にて昼食会。

旧三井下鴨別邸
下鴨神社の南に位置し、三井家11家共有の別邸として三井北家(総領家)第10代三井八郎右衛門高棟によって建築。
この地には、明治42年に三井家の祖霊社である顕名霊社(現在は東京向島の三囲神社内に鎮座))が遷座され、その参拝の際の休憩所とするため大正14年に建築。
建築に際しては木屋町三条上るにあった三井家の木屋町別邸が主屋として移築された。
昭和24年国に譲渡され昭和26年以降京都家庭裁判所」の所長官舎として平成19年まで使用されたが、近代京都で初期に建設された主屋を中心として、大正期までに整えられた大規模別邸の屋敷構えが良好に保存されており高い歴史的価値を有していることから平成23年に重要文化財に指定された。

昼食を終えた頃、ボランティアガイドのKさんから丁寧な説明を受けた後、3階の望楼見物。
望楼からは四方が望め北方向には、すぐ下に下鴨神社の鳥居、その奥には比叡山・東山如意ヶ嶽等が望め五山の送り火の時の絶景スポットであろうことが判りました。

主屋の前に広がるひょうたん型の池には、下鴨神社境内を流れる泉川の水を取り入れ、その周りには苔も敷き詰められ緑豊かな庭園を回遊できます。
庭園での記念撮影後、三井V・NETの関西サロンに参加後解散。

京阪出町柳駅近くの長徳寺門前の満開のオカメザクラを愛でて帰途に。

祖先を祀る祖霊社を保有していることやその祖霊社に参るための休憩所として建てた、別邸の見事さに感動すると共に三井家の財力の大きさに改めて驚く一日でした。
京都迎賓館・旧三井下鴨別邸とも初めて訪問の相棒は、四天王寺ワッソでご一緒した方との再会もあり大満足の一日だったようです。
幹事役のK氏、Aさん本当にご苦労様でした。お世話になり有難うございました。



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第6回徳之島祭り

2017年03月20日 | 催事
3月18・19日、阪神尼崎駅前にて「第6回徳之島祭り」が開催されると長男からの情報。
18日の最高気温予想17度につられて相棒と共に出掛けました。

尼崎駅のすぐ前の広場にはテントが張られ多くの訪問客であふれていて、沖縄方面の言葉が飛び交っています。
徳之島は、奄美大島の南にあり鹿児島県で、朝潮太郎や長寿で有名だった泉重千代さんが出身です。
舞台の前には、見たことのない果実が置かれていて尋ねますと「アダン」といい食べられないそうです。

テントでは、徳之島の物産が販売されサトウキビを煮詰めて黒砂糖を作る実演もされています。
また、普通のジャガイモの3倍くらいありそうな島特産の赤土新ジャガイモやタンカン・パパイヤ・ハヤトウリも販売されています。

舞台では世話人たちの挨拶の後、ラジオ体操が島の言葉で始まり理解不能、なにやら異国へ来た感じを受けながらご一緒しました。
その後、三線による歌や踊りが披露され徳之島の雰囲気を満喫。

昼食は、赤土新ジャガイモたっぷりのカレーライスとアオサ入りのオムレツを頂き満腹。

お土産に、赤土新ジャガイモ・タンカンと落花生を購入、子供達にも送ろうとしましたら箱入りタンカンが売り切れだったのは残念でした。
風もなくとても温かく穏やかな中でのお祭りで多くの訪問客があり、尼崎市長さんの言われる尼崎での早春の風物詩として定着しているようで、楽しい一時でした。

追伸、赤土新ジャガイモをつぶして焼いたものが昼食の食卓に。
とてもモチモチしていて美味しかったです。

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亀井堂・亀井不動尊・南鐘堂

2017年03月17日 | 四天王寺
六時堂での父の十七回忌の法要、回向を済ませた経木を亀井堂で流します。
戒名の書かれた経木を流すことで、父は極楽往生(現世への生まれ変わり)ができるとのことです。
経木の流されるのを見ながら極楽への生まれ変わりを願いました。

亀井堂
亀井堂は戦火で焼失後、昭和30年に再建。
東西桁行は四間あり、西側を亀井の間・東側は影向の間と呼ばれ、左右に馬頭観音と地蔵菩薩を祀り、中央には、その昔聖徳太子が井戸にお姿を映され楊枝で自画像を描かれたという楊枝の御影が安置されています。
亀井堂の霊水は金堂の地下より湧きいずる白石玉出の水で、その水で供養した経木を流すと極楽往生できるとされます。
極楽は「あの世」ではなく「現世」で現世の阿弥陀如来が管理している世界で、そこに生まれ変わります。
仏教には霊は無く、死後は別のなにかに生まれ変わります。その生まれ変わる場所として「極楽=現世」だとよいというのが「極楽往生」です。

亀井不動尊
近畿36不動尊霊場の1番札所で、本尊は水掛け(亀井)不動尊。
左右に子育て地蔵尊、延命地蔵尊を祀る。

境内を散策、南大門の東側に南鐘堂があり、中から「鐘を撞いてみませんか」とのお誘い。

南鐘堂
正式名称は、鯨鐘楼。
戦前までは聖霊院の内にあった鐘楼で、聖徳太子が民衆を仏道に導き入れることを願ったことを「太子引導」といい、その御誓願に因んで太子引導鐘とも呼ばれる。
その鐘の音は遥か極楽浄土にまで通じると言われ一度撞けば良き供養となる。

鐘を撞かさせて頂きました。鐘楼の鐘は見えず、また撞くといっても撞木ではなく太めの綱が下がっていて、その綱を下に引くのです。
相棒と共に綱を引きますと、少し低めの良い音が響きました。

父は子供の頃養子に出され母と違って実親の愛に薄かった苦労もあったようですが、生まれ変わっても教職についているのかと考え、又父の亡くなった年まであと10年健康に気をつけながら頑張ろうと思いながら帰途に。
六時堂後方の梅は満開で、植木の好きだった極楽の父も観梅を楽しんでいる事でしょう。
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