大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

四日目・松阪

2021年12月31日 | 伊勢の旅
伊勢の旅の最終日。
ホテルから伊勢市駅まで送っていただき、近鉄線で松阪へ。
駅前の観光案内所に荷物を預け、夕方までの名所を教えてもらいました。
コースは、三井家発祥の地⇒旧小津清左衛門家⇒本居宣長宅跡⇒旧長谷川治郎兵衛家⇒松坂城跡⇒鈴屋(本居宣長旧宅⇒本居宣長記念館⇒御城番屋敷。

三井家発祥の地 
元和8年(1622年)松坂本町に生まれた三井高利は、14歳で江戸に出て兄の店を手伝い28歳で松阪に戻り金融業を営みながら資金蓄積し江戸に店を持ち越後屋を開店。その後京都にて呉服店・両替商を営み、後世の三井グループの基礎を築いた。
この地は、三井グループが昭和57年に墓碑覆・門・井戸屋形を修理し門から奥まで石畳を敷き説明版を設置。

旧小津清左衛門家
承応2年(1653年)小津清左衛門長弘が江戸(現日本橋本町)にて紙商を開業(現小津産業㈱)。
現在、全国各地で漉かれている手漉き和紙や日本画に適する和紙を取り扱っている日本有数の紙問屋として営業を続けている。

本居宣長宅跡
この地で12歳から72歳まで居住された建物は、明治42年松坂城跡に移築された鈴屋として保存されている。
現敷地には、礎石と長男の居宅・土蔵が残っている。

旧長谷川治郎兵衛家
1675年、江戸(現日本橋本町)木綿商として創業。
伊勢商人の目玉商品であった木綿は、18世紀後期には松坂から55万反余を江戸に出荷、うち4万反余を江戸店が商っていた。
現存する古い商家としては国内ベスト10に入る。

松阪城跡
松阪城は、標高38mの独立した丘陵、四五百森に築かれた平山城です。
1588年、秀吉によって南伊勢約12万石を拝領し移封された蒲生氏郷が、夜を日に継いでわずか3年で完成させました。
壮大な石垣が残っており、往時の城の姿を現代に伝えています。(国指定史跡)

鈴屋(本居宣長旧宅)
明治42年松阪城内に移築された本居宣長旧宅。
宣長は鈴をこよなく愛したことから、鈴屋と呼んでいる。

本居宣長記念館
鈴屋の隣接地に昭和45年開館。本居家より寄贈された資料1万6千点が収蔵され、年4回の企画展で展示。
本居宣長は、1730年松坂本町に生まれ(家業は木綿商)、17歳で大日本天下四海画図(日本地図)を作成、23歳で京都にて医学修行併せて儒学を学ぶ。松阪で医者を開業。賀茂真淵に入門し古事記・源氏物語の研究に着手。1801年72歳没時の門人489名。

御城番屋敷
松坂は紀州藩の飛び地で、御城番屋敷は松阪城の警備を任務とする紀州藩士(田辺与力)とその家族の住居として文久3年(1863年)に建築。
1haの敷地内には当初20戸の主屋(現18戸)・畑地・土蔵・神社があり、現在も子孫の方々が維持管理し借家として利用されている。
(所有は明治維新時設立された苗秀社)

これらを続けて鑑賞し、遅めの昼食でカツ定食(松阪では牛です)を頂き、松阪駅に戻って4時過ぎの特急で帰阪。
列車内ではウトウトしているうちに大阪上本町着6時過ぎ。

4日間の伊勢の旅、連日強風でしたが好天に恵まれ、今まで知らなかった伊勢の旅が楽しめました。

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三日目・二見浦

2021年12月31日 | 伊勢の旅
三日目は、ホテル近くの二見浦へ。
徒歩で10分ほどで、セイウチ・アザラシ・イルカ・カワウソたちと触れ合える伊勢シーパラダイス、子供たちで賑わっていました。
土産物の売店の並ぶ店内を通って数分で夫婦岩・二見興玉神社方面へ。

二見浦
夫婦岩とそこから西に弧を描いて延びる砂浜のあたりを指し、背後に音無山がそびえ前面に伊勢湾を隔てて知多、渥美半島があります。
二見の名の由来は、倭姫命がこの地を訪れた時、あまりの美しさに二度も振り返り見られたことから呼ばれるようになったという伝説がある程の景勝地で、神宮参拝前の禊の地としての役割も果たしてきました。

夫婦岩
夫婦岩は、大小2つの岩を大注連縄で結んでおり、海中に沈む猿田彦大御神の興玉神石と、日の大神(日の出)を拝する鳥居の役割を果たしており、夫婦円満や良縁の象徴と言われています。
大注連縄は縄の長さ35m、男岩に16m、女岩に10mが巻かれ、その間の長さは9mあり、五月五日、九月五日、十二月中旬土日曜日に張り替えられます。
5月から7月は、夫婦岩の間から昇る朝日を見ることができ、11月から1月の満月の頃は、夫婦岩の間から昇る月を見ることができます。
条件がととのえば、昇る日の光が富士山を際立たせ、なんとも神秘的な光景を作ることもあります。

二見興玉神社
導きの神である猿田彦大神を祀り、縁結び・夫婦円満・交通安全などにご利益がある。
古くより神宮参拝の前に二見浦の海水で心身を清める禊をする「浜参宮」という習わしがあり、現在でもまず神社に参拝し、お祓いを受けてから神宮へ向かう参拝者も多いです。
神使は蛙で、境内には二見蛙(無事にかえる、貸したものがかえる)が多数奉納されています。
天照大神が隠れ住まわれたと伝わる天岩戸もあります。

相棒が歴代諸皇族が宿泊された賓日館を見学している間に私は音無山に登ってきました。結構急こう配のところもあり相棒がパスしたことは正解でした。

音無山
標高119.8m。
二見興玉神社の近くから遊歩道を約15分登ると日の出展望台があり、展望台からは伊勢湾が一望でき志摩半島の山並みから昇る初日の出は絶景です。春には2,000本の桜が見事に咲き誇りたくさんの花見客で賑わいます。
展望台からの伊勢湾の眺望は満喫していましたら、あとから登ってきた地元の方から11月2日にここから富士山が見えました、と。

下って相棒とともにホテルへ向かう途中、1300年前僧行基が創建された太江寺がありましたので相棒と別れて寄って帰ることに。
由緒あるお寺でしょう、山門には立派な仁王がにらみを利かしていました。

本日もおいしい料理を肴に一杯飲んで、温泉に浸かってグッスリ。
明日は松阪へ立ち寄って帰阪。


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二日目・相差

2021年12月30日 | 伊勢の旅
二日目は、相差へ。
9時50分ホテルから二見駅まで送っていただきJRで鳥羽駅からバスに乗り継ぎ相差へ。
バス停から案内通りに海の方向へ数分、海女小屋へ。
中には先客が三組と海女装束の海女さん(現役で午前中潜ってきた)が二名、私たちも奥の席へ。

まず本日の焼き物の貝一式が提示され、伊勢エビを追加注文。
最初にアジの干物が焼き上がり運ばれてきた後、ヒオウギ貝・カキ・大アサリ・サザエそして伊勢エビと、次々に焼きあがります。

私は、炭火で焼かれた美味しいアジの干物に、つい日本酒を注文。
海女さんの話を聞きながら、次々焼きあがる貝類・伊勢エビに大満足。締めのウニ飯もおいしく頂き満腹。
海女には、一人で素潜りをする海女(徒人・5~8m潜水)と男性(夫)が船を操り女性(妻)が海に潜る海女(舟人・10~15m潜水)との2種類ある。
海女さんの頭を覆う布に刺繍されたマーク2種類(写真上右)は、星形は一筆書きで無事に戻れるように、格子状の形は目が沢山あり多くの目で魔物を見張ってくれるように、といずれも海女さんの無事を願うお守りになっているそうです。

食事後、近隣の海女文化資料館と神明神社(石神さん)へお参り。
海女文化資料館には、海女さんの潜っている実物大の人形とともに素潜りの道具等が飾ってありました。

神明神社の境内に祀られている石神さんは、女の人の願いを一つだけかなえてくれる、とのことですので相棒は何か願っていました。(叶いますように)
海女さんの労働はきつく、漁期間が終わると体重が10キロほど減るそうです。
現在日本には、約2,000人の海女が現存し、そのうち鳥羽市・志摩市には、全国でも最多となる約750人の海女が操業しているそうです。

帰りのバス停で待っていますと、青空から白いものが降ってきました、雪です、昨夜の天気予報では大阪のほうにも雪が降るようでしたが、こちらの方に聞きましたら、ここはめったに雪は降りません、との回答でしたが外れました。アロエの花との対比が面白く感じました。
満腹でホテルへ戻り温泉で疲れをいやし、本日もバタンキュー。


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第一日目・伊勢

2021年12月29日 | 伊勢の旅
12月25日から三泊四日で伊勢方面へ、目的は今年1年お世話になった相棒の慰労と今年の垢を温泉で落とすこと。
25日、近鉄大阪上本町駅8時10分発の特急で伊勢市駅へ。

9時54分伊勢市駅着、観光案内所で訪問先を相談、伊勢神宮(内宮・外宮)へは何回か訪れていますので、その他の名所を希望。
回答は、伊勢市駅周辺の伊勢神宮の別宮である倭姫宮・月読宮・月夜見宮への参拝。

倭姫宮・・内宮の別宮。御祭神は垂仁天皇の皇女、倭姫命が約二千年前天照大神の御神教(*)を受けて、五十鈴川のほとり現在の場所に皇大神宮を創建。
     (*)神宮所属の宮社や禰宜、大物忌などの奉仕者の職掌やお祭りの仕方を定められ、これが神宮神職の奉仕の指針となり世に広まった。
神宮式年遷宮は平成25年両正宮とそれぞれの第一別宮で行われ、倭姫宮の式年遷宮は平成26年に行われた。

月読宮・・内宮の別宮。御祭神は、月読尊・月読荒御魂社と天照大神と月読尊の御親神である伊弉諾尊と伊弉冉命。創始については詳細不明なるも奈良時代には月読社と称され平安以前に月読宮の宮号を有していた。伊弉冉命は姉神の天照大神に高天原を、弟神の月読尊に夜之食国を治めるよう御委任。月夜見尊の光彩は天照大神に次ぐとされ太陽に次ぐ月になぞらえている。平成26年に式年遷宮が行われた。

月夜見宮・・外宮の別宮。御祭神は、月夜見尊・月夜見尊荒御魂(何れも月読宮の御祭神と同じですがここでは月夜見尊の文字を使用)。創始についての詳細は不明なるも延暦23年(804年)に撰述された「止由気宮儀式帳」に豊受宮の所管宮等の筆頭として月夜見社が記載され、奈良時代には第一別宮である高宮(多賀宮)に次ぐ重い処遇の社として信仰を集めていた。式年遷宮は平成27年に行われている。
(写真上右は、境内の大楠)

皇大神宮(内宮)には十の別宮、豊受大神宮(外宮)には四つの別宮があり、ほかに百九の摂社、末社所管社が伊勢を中心に鎮座している。
別宮とは正宮(本宮)に対する別宮であり、正宮に次ぐ重要な宮です。現在も年間の様々なお祭りや式年遷宮は正宮に準じて行われている。
下の写真は、(左・伊勢市駅前のお木挽車と駅前商店街の飾り花)

巡った三宮とも小規模ですが参道の両側にはうっそうとした樹木が覆いかぶさっていて、周りの喧騒が嘘のように静まり併せて本宮と違って参拝する方も少なく静寂感が素晴らしく、厳かな気持ちで参拝できました。

伊勢市駅へ戻り、2時の迎えのバスに乗って二見浦近くのホテルへ。
温泉に浸かってゆっくり就寝、第一日目終了。

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