島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

徳島は阿波踊りか眉山

2022-06-12 | 

 義母の入退院があったりして、最近何度か徳島に行ってます。

京都-徳島は200Kmぐらいで橋も出来て陸続きですし、ほとんど高速を走るので、昔と違って今は楽な旅です。

  徳島市内の自動販売機の阿波和三盆使用カフェオレも阿波踊りです。

 徳島市内阿波踊り会館にある阿波おどりミュージアム(JAF割240円)の阿波盆踊図屏風(幕末期の吉成葭亭(キチナリカテイ)作)、幕末の阿波藩は裕福だったのですかね、私好みのぽっちゃり阿波女ですね。

 この中に入って写真も撮れますが、顔出し看板と違って、自慢の顔以外の部分ももろ出しになるので、投稿は控えました。

 徳島の町からはどこからでもこの眉の形の綺麗な山、眉山(ビザン)が見えます。

徳島は阿波踊りか眉山かですね。

 阿波おどり会館から眉山ロープウェイ(JAF割往復830円)で眉山に登りました。

昔乗った頃より新しく、2連のゴンドラ型になってた眉山ロープウェイ、ここにも阿波踊りです。

 眉山頂上からは徳島市内が一望できます。

吉野川が流れ、右は紀伊水道につながる海、中央のこんもりした森がJR徳島駅近くの徳島城址です。

ロープウエイ内の鬼滅の刃の声優による徳島案内放送で、明治期徳島が市に成った時には全国で10番目の大きさと言ってましたが、今は人口26万人ですが、100番目ぐらいですかね。

 *調べたら、1888年(明治21年)に定められた市制。その頃の人口順位は;

    1位;東京市139万人 2位;大阪市48万人 3位;京都市28万人

    4位;名古屋市16万人 5位;神戸市14万人 6位;横浜市12万人

    7位;金沢市9.4万人 8位;仙台市9.0慢人 9位;広島市8.8万人

    10位徳島市6万人  で、当時の徳島は大都市でした。

 徳島市は今やアニメの聖地らしく、眉山頂上のレストランには、アニメにちなんだ何かが食べられるのか、朝の開店待ちの若い男女の行列が50人ほど並んでいました。

 最後に、阿波は南国で開放的な街ですが、徳島駅近くの河川公園にあった男子トイレも開放的で、この便器で周りを見ながら小便をしましたが、周りが見えすぎて恥ずかしいぐらい。

どうも子供トイレだったようですが。

           返事

Toitennさん:我が家近くでも、鹿・鷺・蛍が遊んでいます。

    松ヶ崎は田舎です。

花水木さん:スマホで中島みゆきを大音量で流しながら歩きましたが、

    我がスマホは、大音量が小さすぎます。

コメント (3)
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106-5正親町天皇皇曾孫智忠親王妃富子

2022-06-09 | 天皇陵巡り

 秀吉政権下で五大老の一人であった前田利家の長男が利長(トシナガ)で、前田家の跡を継ぎましたが男子がなかったので、異母弟で父利家が56歳の時の子4男利常(トシツネ)(1594~4658)が3代目となりました。

この利常の正室として関ヶ原合戦の翌年1601年わずか3歳で江戸から金沢に嫁いできたのが、2代将軍秀忠と正室江(あの浅井3姉妹の一人)の子珠姫(タマヒメ)(1599~1622)です。

珠姫は4代目光高(ミツタカ)など3男5女をもうけ24歳で亡くなりました。

この利常と珠姫の間の4女富子が今回の主人公富姫(フウヒメ)(1621~1662)です。

  加賀藩主の墓所野田山の前田家墓地の看板の左のほうに富姫の名があります。

 1642年に22歳で第106代正親町天皇の曾孫にあたる八条宮智忠親王(トシタダ)(1619~1662)に輿入れした徳川家康の曾孫富姫ですが、子には恵まれませんでした。

加賀百万石の前田家からの援助で、桂離宮は修繕と増築が可能になったようです。

  金沢市のはずれの野田山墓地には、あまり人影がありませんでした。

クマ出没注意の看板があったので、愛妻家の私は家内を車に残して、急いで墓まで行って帰りました。

 皆様には人気の無い天皇陵巡りですが、私は命がけでやってますよ。

 夫の智忠親王が亡くなって2か月ももたず、後を追うように42歳で亡くなった富姫ですが、遺言によって遺体は前田家に戻され、夫とは別に故郷の前田家墓所(石川県金沢市野田町野田山)に葬られていますが、ここだけは宮内庁管理になっています。

 イメージ的には京都の生活はあまり合わず、幸せそうな生活ではなかった感じですが、どうでしょう?

 

        返事

花水木さん:羨ましいですね!

    京都に住みながら、桂離宮も修学院離宮も行ったことがありません。

    予約の苦手な私です。

Toitennさん:なんのこっちゃ、、抹茶に、紅茶、、

    ちゃちゃいれマンディー、コーヒーも飲みたいですね。

コメント (2)
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106-4正親町天皇皇曾孫智忠親王

2022-06-05 | 天皇陵巡り

 第106代正親町天皇の第1皇子誠仁親王(サネヒト)は天皇になることなく亡くなり、その第1王子が第107代後陽成天皇となりました。

その第6王子であった智仁親王(トシヒト)は八条宮(桂宮)を起こしました。

 この智仁親王と丹後宮津藩主京極高知(タカトモ)の娘常子との間に産まれたのが、今回の八条宮智忠親王(トシタダシンノウ)(1619~1662)ですので、正親町天皇の曾孫になり八条宮家(桂宮家)2代目です。

  写真の桂宮東ノ墓地は上京区相国寺門前町にあるので、年末の全国高校駅伝女子が折り返す辺りです。

 智忠親王は1642年に加賀藩の前田利常の娘富姫(フウヒメ)(1621~1662)を妻にしてますが、子供には恵まれませんでした。

 智忠親王の功績は、父智仁親王が造営したが荒廃していた桂の別荘、独人ブルーノ・タウトなどが絶賛した桂離宮を改修整備し、今に残したことです。

 

 制札にあるごとく、智仁親王墓以下七墓ですので、智忠親王もその七つの一つだと思いますが、門扉の隙間から辛うじて見えた墓のどれかかは分かりませんでした。

         返事

Toitennさん:つっ込んでほしい時につっ込んでくる、

    しかも今回はノリツッコミ!意味不明も、ありがたい限りです。

花水木さん:悩んだときに一瞬でも救ってくれないと、

    信者にはなれませんよね。

    でも、信者になったら、

    その後はもう救ってくれないのが新興宗教でしょうね。

コメント (2)
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ミホミュージアム

2022-06-01 | 趣味

 滋賀県信楽の山の中にあるミホミュージアムに行ってきました。

エントランスから電気自動車に乗せてもらって、このトンネルをくぐって本館まで数分です。

このトンネルは季節によって色が変わり、桜の時には抜群らしいですが、今は出口に近づくと新緑です。

 着きました。

ここは宗教団体「神慈秀明会(シンジシュウメイカイ)」が造ったものなので、豪華です。

 展覧会は「懐石の器」。

日本の陶器も基本は懐石から成ってるなあと思う器の展覧会です。

展示された器と一緒に展示されてる、器に入った写真の刺身の美味しそうなこと!

食べる時は島や港の大きく切った刺身が美味いですが、見た目はこじんまりと薄く切った刺身が盛り付けてあるほうが美味そうですね。

 この建物の設計は、ルーブル美術館のガラスのピラミッドの設計で有名なI.M.ペイさんですので、ちょっと納得。

 信楽の緑が綺麗です。 

10年以上前に来た時より、緑は増えてる感じです。

山の向こうに建つのが、救世教から分離した神慈秀明会の神殿で、開祖小山美秀子(ミホコ)さんの美術品を集めたのがこの美術館らしいです。 

 と、ここまでは上品な話ばかりですが。

美術館内で、私は地味なあんバターのパンと冷たいコーヒーを、家内はこの苺の甘酸っぱいケーキとコーヒー。

 その横で、一人座った大学生ぐらいの大きな青年は、ケーキとあんバターパンと和菓子まで頼んで、すべてきっちり食べていました。

若いのにすごいですねえ!声をかけてお友達に成りたかったです。

 美術館内の男子トイレの小便器はフランスのALLIA社製で、かっこ良かったですが、この建物が1997年に出来たのと日本製便器でないので、ちらっと見た大便器はウオッシュレットではありませんでした。

女子便所に入った家内は、便器がすごく高かったと申しておりました。

 帰りはトンネルを歩いて帰りましたが、向こうから来た電気自動車の後から歩いて現れたのは、見たことある人?!

なんと!娘夫婦でしたので、こんな山の中でと驚きました。

 ケーキもあんバターパンも売り切れていたので、彼らは和菓子を食べたと、後でLINEしてきました。

         返事

Toitennさん:甘海老は多くても食べられますよ。

    13人のこと、自分で書いていたこと忘れての返事でした。すみません!

花水木さん:私たちの中高年時代は30年前に終わってますよ。

   今はどこから見ても老アベックです。

    八重さん死んでびっくりしました、狂言回しの主人公と思ってたのに。

    頼朝との子が殺されたときに入水したとも、義時との間に泰時を産んだとも言われてますが、

    うまく折衷した話に三谷さんはしたのですかね。

    佐藤浩市もあっけなく殺されましたが、今後もどんどん死んでいきそうですね。

     13人の後のドラマ「今度生まれたら」録画して見てますが、

    設定年齢が我々にぴったり合致、二人で観てると重苦しい雰囲気になります。

コメント (2)
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