島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り 63

2009-06-03 | 奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り
     
 南越の一番端第62番霊場からは、また元の道を逆に帰って、田岸の三叉路に戻ります。
行きに通っ時にはあった家が一軒、解体工事中でした。最近あちこちで解体作業に出会うようになりました。
悲しいことに、人も建物も減っています。
       
 右折すると又元の相ノ浦方向に帰ってしまいますので、左折して船廻方向を目指します。
目指した途端、道路右側の崖下に、
  第63番霊場田岸公園前(道路横)のゴミ箱を見つけました。
    
 相ノ浦湾から船廻湾までは、この霊場を通る切り通しのような道で繋がっています。
両側が海でその間の陸地がくびれて細くなっている地形に、船を担ぎ上げて運ぶことから「船越」の地名を付けるそうですが、ここは「田岸」と言うより「船越」と付けるほうがぴったりするような地形です。
 しかし、奈留島の人も、ゴミ箱霊場に私が勝手に名前を付けるのは許してくれても、地名まで勝手に名前を変えたりすると、怒られるでしょうね。
     
 霊場の向かいには公園があり、ここはこの地区のゲートボール場になっています。

   返事
花水木さん;男が好きな小説と女が好きな小説があると思いますが、
  「神聖喜劇」はあまり女の人が好きにならない小説だと思います。
喜珍さん;ややこしかったが、何とかコメントできました。又訪問します。
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2 コメント

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Unknown (花水木)
2009-06-03 21:14:53
船廻りと言うと、島のターシャさんのお住まいがある所でしょうか?
何所を通っても海が見える景色は良いですね。

そちらの海に面した家では、アンテナや車の傷みが
激しいのでしょうか?
こちらでも海に面した地区では車の傷みが早くて
車屋さんの営業が盛んだと聞きました。
水道水にも海水が混じり、洗う回数が多いマメな人の
車の傷みが早いと聞きました。
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Unknown (喜珍)
2009-06-03 22:10:10
今回の解体現場の写真は、田岸の区長さん宅の隣でしょうか?
先日、車で通りかかった折に、更地になっているのを見て、僕も驚きました。

この辺りは、「柿浦(かくら)」と呼ばれる辺りで、田岸町内会の一部ではありますが、いわゆる「田岸」ではありません。
自分自身の目で見たことはありませんが、かつては、満潮時になると、船廻湾と相ノ浦湾が繋がって、南越の方は離れ島になっていたと聞いています。

先生もご指摘のように、海に限らず、水路と水路が接近している場所なども含めて、水面に挟まれて水路沿いに船を進めるよりも、陸越しさせた方が良いところを「船越」と言うようです。
対馬にも、「大船越」「小船越」の地名がありますし、佐世保や鞫≠ノも「船越町」の町名があります。
県内に限らず、そうした地形のところには「船越」の地名が多く残されており、川の上流に住んでいたから「川上」、田んぼの中に住んでいたから「田中」といった苗字と同様に、血縁の問題ではなく、「船越」と呼ばれるところの辺りに住んでいたから「船越」の姓を名乗ったのだろうと思われる方たちが点在するようです。

奈留島の「船越」姓は、永這と大串にあるとお思いの方も多いようですが、始まりは永這で、隠れキリシタンとして奈留島に住み着いた一人から始まっており、元をただせば親類ということになるようです。
大串の船越姓の方たちが住んでいる辺りは、いわゆる「大串」を挟んで、以前は「西江上」と呼ばれていたところです。
奈留島に住み着いた頃は、まだ苗字は許されていなかったということなので、恐らくは大村藩内の「船越」と呼ばれるところの近くから来たということなのだろうと思います。
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