島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

九州旅行 平戸2

2016-03-05 | 九州本土
 
 「以後よく広まるキリスト教」と受験日本史で憶えた1549年、日本に初めてキリスト教を伝えたスペイン人のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸しましたが、次の年にはもうザビエルは平戸を訪れ、その後も3回平戸に来てるようです。
 坂道を登った山の上にある公園に、フランシスコ・ザビエル記念碑が建っていました。
 
 その約50年後、関ケ原の戦いのあった1600年、大分沖に漂着したオランダ船リーフデ号には、東京八重洲口の名前の由来となったヤン・ヨーステンや日本に初めて来たイギリス人であるウイリアム・アダムスも乗っていました。
ャ泣gガル・スペインのカトリック国から日本に来ていたイエズス会宣教師たちは、その頃戦争状態にあったプロテスタント国のオランダやイギリスの乗組員の即刻処刑を要求しましたが、徳川家康によって手厚く保護されたウイリアム・アダムスは武士となり、三浦按針と名乗り、日本人妻との間には子供ももうけています。
 
 アダムスはその後も平戸で働き、1620年55歳で平戸で没しています。
三浦郡(横須賀市)にも墓があるようですが、平戸にある1954年に建立された按針の墓は、その後イギリスに残された奥さんの墓近くの石を持ってきて夫婦塚にされていました。
 
 平戸和蘭商館跡地からは、湾をはさんで平戸城も目の前です。
 まだ娘の産まれていない35年ほど前に、家族4人で平戸に来ていますが、平戸のことはほとんど憶えていません。
唯一憶えていた井元コレクションという私設美術館はまだありましたし、ここで本当の春画をたくさん初めて見た記憶だけは残っていました。
でも今回は娘もいるので入りませんでした。
 
 35年前にはもちろん無かった、白い壁がまぶしい平戸オランダ商館が最近再建されていました。
 
 そしてその中に飾られていた、これがオランダからぐるっと太平洋を廻って大分沖に漂着した、ウイリアム・アダムスなどが乗っていたリーフデ号の模型です。
    もう1回平戸に続く

      返事

花水木さん:嬉野温泉は良かったので、そこの写真を出す予定です。
大雪男さん:ヒラメの刺身・ヒラメのカルパッチョ・ヒラメのパイ包み焼き・
     ヒラメのしゃぶしゃぶ・ヒラメのお茶漬でしたが、それぞれに味が変わって美味しかったですよ。
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1 コメント

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Unknown (花水木)
2016-03-07 09:25:09
当時は連絡のしようが無くて、三浦按針の残された奥さんのその後の暮らしが気になります。
異国の地に骨を埋める覚悟をした彼の思いも・・。

今なら、どこからでも連絡できて良いですが。

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