今は367号線となっている本道とクロスするようになってる旧道を、進みます。
この辺りの山間の細長い集落が、八瀬童子と言われる人々の住居、本来の八瀬だと思います。
八瀬(矢背)の地名の由来になってる、ちょっと疑問符の付く、第40代神武天皇の矢傷を治したと言う竃(かま)風呂の実物が有りました。
まるで大きなお饅頭ですね。
このかま風呂は、青木・青松葉を焚き、頃合いを見て火を引き塩水を撒いて、菰を敷いて中に入る蒸し風呂です。
正面のこの小さな入り口から暗い中に入るのは(今は補強の柱が入っていますが)、小さなサウナでは時々恐怖感が出てくる閉所恐怖症の私には、入ってゆったりすることなどは無理でしょうね。
前述の平八茶屋にも、これより大きく開放的なかま風呂が有り、食事した人は入れましたが、私は入りませんでした。
祭神として菅原道真(845~903)を祀る八瀬天満宮社(ヤセテンマングウシャ)、道真が若い頃に自己研鑽の為に比叡山に通う折に、此の地で休息したと言われています。
山裾のある天満宮社に上って、逆に八瀬の集落や大原街道を見下ろします。
静かで誰もいませんでした。
ここから恋に疲れたら行く、京都~大原三千院♪の
大原を通り抜け、途中峠・花折峠を越えて、朽木・熊川宿から小浜へ抜けるのが大原街道(若狭街道)です。
車ではしょっちゅう通てますが、今回の大原街道探索はこの辺りまでが限度ですので、終了します。
次からは京の七口の一つ荒神口から滋賀に抜ける志賀山越(山中越え)を始めます。