続いて京の七口の一つ荒神口(コウジングチ)から滋賀県に抜ける、志賀山越(シガヤマゴエ)(私としては普段使ってる山中越(ヤマナカゴエ)の方が馴染みが有りますが)の回に移ります。
地図は又、増田潔「京の古道を歩く」からの無断掲載ですが、荒神口から青矢印の経路です。
写真で左右に走る河原町通りと前後の荒神口通りの交差する、ここが荒神口です。
私には大学や研修医・修練医時代におなじみの交差点ですので、この辺から出発します。
その前に荒神口通りを少し西に行った所にある、最近新しい校舎になった鴨沂高校(オウキコウコウ)を紹介します。
1872(明治5)年に開校、1923(大正12)年に京都第1高等女学校、1948(昭和23)年京都府立鴨沂高等学校になった、私の出身京都市立堀川高校より名門です。
最近は成績や人気に陰りが見えてたそうで、校舎を新しくし、制服を変えて又人気が出てきたようですが、新築前の土塀と立派な門のあった時代の方がいい感じでした。
山本富士子・田宮二郎・団令子、同い年の大信田礼子や中退ですが沢田研二と、昭和のスターを鴨沂高校は輩出させています。
ちなみに鴨沂は、鴨川のほとりの意味だそうです。
その隣にあるのがこの清荒神(キヨシコウジン)、そもそも荒神口の名は、京都七福神の一つで1600(慶長5)年にこの地に移された清荒神から起こってます。
江戸時代には護浄院(ゴジョウイン)(天台宗)の院号を賜り、今に至ってるそうなので、まあここが志賀山越(山中越)の起点でしょうね。
境内には第119代光格天皇の胞衣(エナ)(胎盤)を埋納した、この御胞塚(オンエナヅカ)が有ったので、天皇陵巡りでも紹介していましたね。
ルビ振らないと、読めない校名ですか、昭和の有名人多数ですね。
大信田礼子さん、懐かしい。
最近の俳優座や、歌手の名前覚えきれず、何とか坂の大勢のアイドルさんは、名前どころか、顔も判別出来ず。
最近の若い女性の顔はもう区別付きませんが、最近の私の贔屓は岸井ゆきのさんです。
岸井ゆきの?さん、知らないなあ…と思って調べました。やっぱり知らなかった。笑
最近は、少し個性のある顔の俳優さんの方が目立ちますね。私は、伊藤沙莉と北村匠海さん(顔は好みじゃない)が、お気に入りというわけではないですが、上手いなあ、と思って観ています。
この二人ぐらいなら、何とか顔想い出せますが、もう福山雅治の時代ではなくなったのですね、私のような老兵は消え去るのみですか。
老兵は消え去るのみ、、、で思いましたが、先生なんか、まだまだですよ!先生の頭が波平になるまで、がんばってください!てか、先生、ふさふさですよね?笑
最近髪をかなり短くしたら、かなり地肌が見えてきてました。それと私は鼻の下は長くないのですが、眉の下が長いことに今頃になって気づきました。
それで自動的に額が狭くなって、スターの顔から離れてしまったようです、まあ今更どうでも良いですがね。
そんな人、初めて聞いた!
けど、メガネはチャームポイントになりますね!
眼鏡かけてる方が男前のような気が最近はしてます。
マスクが無くなっていく御時世こうなったら、頬や顎の髭も伸ばして、なるべく顔を隠さなくては。