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島原外港でオーシャンアローの乗船を待つ間に、熊本県の観光パンフレットを見ていたら、「そうだ!突然ですが山鹿に行こう」と予定変更。
熊本港から山鹿まで走って、豊前街道の古い街並み沿いの100円パーキングに車を停めて、近くで入ったこのピザの店も美味しかったです。
そこで、「八千代座物語」のパンフレットが目に入り、時間も丁度良かったので行くことに。
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国指定重要文化財「八千代座」、明治43年(1910年)に、旦那衆と呼ばれていた山鹿の実業家達によって作られた芝居小屋が、ほぼ元のように修理復元されています。
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第12代景行天皇(日本武尊の父親です)の一行が濃霧で道に迷ったときに、松明の明かりで迎えたことから始まったと言われる山鹿の灯籠。
「よへは節」の歌詞を染めた浴衣の美女が、頭に紙製で卵3個分の重さしかない灯籠を乗せて、「よへは節」に合わせて踊る山鹿千人灯籠踊りの実演もありました。
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中の灯がろうそくの灯なら燃えないか心配しましたが、栗ぜんざいを食べた店の人の話では、昔は手に持って踊っていたし、頭に乗せてからは豆電球で、今はLEDですと、教えてくれました。
この形式の祭りの歴史は明治以降のようですね。
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八千代座の天井には地元の店の宣伝広告が、紙に書かれて貼られていたそうで、それも再現されていました。
今もまだある店が数軒あることや、電話番号が2番の店とか、長電話と書かれている電話は市外にもかけられる電話だったことや、玉三郎さんがずっと来てくれていることなどを、八千代座のおじさんが丁寧にしかも面白おかしくじょうずに説明してくれたので、説明中飽きなかったです。
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二階席から回り舞台や枡席を見下ろしますが、このシャンデリアは1枚残っていた写真から再現されたようで、出来た当時は山鹿には電気は来ていなかったので、これはガス灯だったようです。
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外の光を上手に入れるようにした舞台裏の楽屋や、人力(男4人)で回す回り舞台の装置も、舞台の下に入って見ることが出来ました。
予定外の数時間の山鹿滞在でしたが、来たかいがありました。
返事
花水木さん:普賢岳、今はもう近くまで登れるそうですが、
近くで見ると斜面はかなり急、いつも見上げてる人は不安でしょうね。
大雪男さん:誤審のこともあるので、CSは広島が行くべきでしょう。
和さん:五島に来てからは、
船は乗ったら寝るものとの習慣が付いてしまいました。
トッピングはシラス?それとも白魚でしょうか?
八千代座って知らず、ネットで検索しました。
歴史があるのですね。
天井に広告は面白いけど、読むほうは大変。
首が痛くなりそう。それとも寝て見るのでしょうか?
遠目には内容が解りませんが、なんか、お洒落に見えます。
そうそう・・ラグビーが又も勝ちました。
凄いですね。