島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

114-1中御門天皇

2022-11-30 | 天皇陵巡り

 秋真っ盛りの頃に、栗と芋のパフェと言うことで食べましたが、下の方はスポンジケーキとコーンフレークが詰まってるパフェで、ちょっと残念。

そして皆様にもちょっと残念な月輪陵です。

 

 第113代東山天皇(1675~1709)(在位1687~1709)と典侍(ナイシノスケ)櫛笥賀子(クシゲヨシコ)(1675~1710)との間には、5皇子1皇女が産まれていますが、上3人の皇子は早世、4番目の皇子で東山天皇としては第5皇子にあたる長宮(マスノミヤ)は、生後すぐから皇位継承者として扱われていました。

  泉涌寺内にある月輪陵(ツキノワノミササギ)の正門です。

 そして長宮は1707年儲君治定(チョクンジジョウ)にて親王宣下、慶仁親王(ヤスヒトシンノウ)となり、1708年には立太子して、1709年に父東山天皇が譲位し9歳で即位、第114代中御門天皇(ナカミカド)(1702~1737)(在位1709~1737)となりました。

  月輪陵正門右側の写真の門扉をそっと開いて、民墓へお参りする人のふりをして陵の右横に廻ります。

 譲位して院政を敷こうとした父東山上皇は、半年後にあっけなく痘瘡で亡くなり、母賀子も2週後には亡くなったので、祖父になる霊元上皇(1654~1732)が院政を敷いています。

  たくさんの石塔が並び、どれが誰のか判りませんが、これが月輪陵の内部です。

 中御門天皇の27年の在位期間中は、徳川幕府は6代将軍家宣(イエノブ)から8代将軍吉宗の在職期間であり、朝幕関係は非常に良好でであり、徳川幕府ブレーンの新井白石の勧めによって、東山上皇の第8皇子で中御門天皇の同母弟である直仁親王(ナオヒト)が、新たな親王家閑院宮(カンインノミヤ)を創設、後日これが皇位がつながる結果を産んでいます。

 中御門天皇は朝廷の儀式の復旧にも関心を示し、「公事部類(クジブルイ)」などの撰著も残して37歳で没し、月輪陵に葬られました。

  制札8番目に中御門天皇月輪陵とあります。


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4 コメント

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Unknown (花水木)
2022-12-01 13:48:32
新井白石、先見の明がありましたね。

栗と芋のパフエ、なんだか胸焼けしそうです。
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花水木さんへ (島の医者になって、)
2022-12-01 19:40:49
 何故新井白石がこんな提案をしたのか?知りません。
 下の方のスポンジケーキとコーンフレークは腹に来ますが、上の方の芋や栗はすっきりと収まりましたよ。
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Unknown (Toitenlabee)
2022-12-01 22:21:59
パフェのコーンフレーク、反対〜!
歯ぐきに、ささりそうなもの、嫌いなんです。
皿うどんも苦手です。
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Toitennさんへ (島の医者になって)
2022-12-02 08:21:52
 歯ぐきに刺さらないように、コーンフレークは牛乳にたっぷり浸して、皿うどんは固麺ではなく柔らか麺で、食べてください。
 コメントは歯ぐきではなく心に刺さるものを、そのままお願いします。
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