島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

大原街道16.

2024-06-23 | 京都へ、京都から

 八瀬の里の地図です。

古くから八瀬で生活する人々八瀬童子と言い、天皇の大礼(タイレイ)・大喪(タイソウ)の時は、その輿(ミコシ)を担ぐ駕輿丁(カヨチョウ)の役を務めていて、これを誇っていたようです。

 大原街道は新しい道(367)とクロスするようにある旧道です。

 八瀬の駅前から少し北上し、大原街道沿いにあるこの石碑の道を入ると𥒎観音寺(カケカンノンジ)が有りました。

「𥒎」は「坂」を意味するようです。

 源義朝(頼朝・義経の父です)が平治の乱で平家に追われて逃げる時に、危機を乗り切れたお礼に、崖に鏃(ヤジリ)で観音菩薩を刻みましたが、その線刻された観音菩薩は周りの岩盤が砕けて立ち入れなくなっています。

その像を祀るように昭和になってできたのがこのお寺です。

 義朝の伝承は他にもあって、この高野川の河原には義朝が馬のまま飛び越えたと言う、義朝駒飛び石が有ると言うので、高野川を見ながら進みましたが、見つかりませんでした。

大原バイパスの為に架けた駒飛橋の下に隠れてしまったようですが、この橋は渡らずに旧道を進みます。

 私の年より若い時に出来た新興宗教らしい九頭竜大社(クズリュウタイシャ)が有りますが、バイパスが出来てからは前を通らなくなりましたが、信者さんはそれなりに多いらしいです。

 本殿を時計回りに9回廻って願をかける「お千度」と言う参拝形式が有るので、私は1回だけ(1分ほど)廻ってきましたが、願かけるのは忘れていました。

 ここからずっと、大原街道(若狭街道)もかなりバイパスやトンネルが出来て、小浜までは近くなってます(車なら家から2時間弱)。

自転車で家内がデイの間に回れるのはここら辺ぐらいまでなので、次回が大原街道の最終回になります。

コメント (4)
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