島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

大原街道10.

2024-05-29 | 京都へ、京都から

 地図赤線の大原街道(若桜街道)に沿って、明治末までは無かった琵琶湖疏水支線をまたいで北上します、

 琵琶湖疏水支線を越えると、そこにもう賀茂波爾神社(カモハニジンジャ)(赤の宮神社)です。

下鴨神社の境外摂社で、波爾は高野川がかって埴川(ハニガワ)と呼ばれていたことに由来するとも言われていますし、江戸時代には赤宮稲荷大明神と呼ばれ、稲荷社ともされていて、鳥居が朱塗りにされていたので、赤の宮と呼ばれていたこともあったようです。

 境内には波爾井(ハニイ)清水と呼ばれる御神水があって、今もこの湧き水は豊富な水量が有ります。

 さらにもう少し街道を進み、曼殊院道と交差する角に、明治25年建立の「比叡山無動寺大弁財天道六十八丁」の大きな道標が立っています。

ここから曼殊院を通って雲母坂(キララザカ)を上り比叡山の上まで68丁(約7㎞)の山道を、この頃は結構お参りする人が多かったようです。

 上記の地図に青〇をつけた、十一屋が有りました。

寛永年間創業のナマズ料理専門店です。

私も友人夫婦と40年ぐらい前に食事をしたことが有りますが、ナマズ料理がどんなだったかの記憶が全く残っていません。

もう一度と思いつつも、2006年に十一屋は廃業されて、この塀だけ残してマンションになっていましたし、一緒に行った友人夫婦も二人共亡くなってしまいました。

 私も長く生きたものです。

 向かいにはまだ母屋だけが残されていましたが、雨戸も閉まっていました。

この辺りは前原誠司さんの地盤です。

コメント (4)
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