優勝
1962年(昭和37年)中学2年の夏、小学校の同級会で保津川に泳ぎに行きました。
阪神は藤本監督で優勝、小山・村山の両輪と、吉田・三宅・鎌田の内野で勝ちましたが、日本シリーズは東映に負けてます。
1964年(昭和39年)高校1年のクラス写真。
阪神は藤本監督で2回目の優勝、夏休みに小豆島に友達とキャンプに行ってる間に、大洋から首位を奪い返した記憶が有りますが、この年は東京オリンピックで、なんかそれまでにプロ野球は終わらせたいと、あわただしい日本シリーズで南海にあっさり負けた気がします。
1985年(昭和50年)、阪神優勝の年に生まれた末の娘は、指導のかいあって今も阪神ファン、次の年の年賀状はいつもの版画でなく、この子供の写真にしました。
阪神は吉田監督(ショート牛若丸の時からファンです)ですが、優勝の瞬間は臨時手術中で観られませんでした。
西武との日本シリーズも勝って、阪神が初めて日本一になったのは、私が37歳の秋、前途未定の消化器外科医の頃です。
2003年(平成15年)星野監督で21世紀初の優勝。日本シリーズはダイエイに敗退。
私はもう55歳、長く親しんだ煙草も止めて、手術の腕に進歩が無くなってきたのを実感してる頃でした。
天皇陵巡りを始めていましたが、20年後にブログでこれが完成するとは思ってもいませんでした。フークも若いです。
2005年(平成17年)岡田監督で優勝、毎日新聞まで一面トップです。
これで阪神の天下かと思いましたが、岡田監督の男気と責任の取り方でその後辞任。
日本シリーズはロッテに負けたんですね。
この年私は57歳、奈留島に赴任、島の生活にはすぐ慣れましたが、ソフトバンクだらけの九州で、ともに喜ぶ人もなく、放送も少なく、寂しく優勝を味わいました。
昨日2023年(令和5年)9月14日20時49分、1点差の9回表2死3塁で、岩崎の投げた球を巨人の選手が内野に打ち上げました。
岡田監督が願ったAREが優勝だったことが判明した瞬間です。
私はとうとう後期高齢者75歳になっていました。
無料テレビ中継がサンテレビさん以外無かったのですが、BS朝日がソフトバンクと西武の中継をほぼ阪神戦に変えてくれたので、AREの瞬間も観ることが出来ました。
一夜明けて、毎日新聞の1面も阪神優勝でしたが、昨日の第2次岸田改造内閣の顔ぶれ写真よりもずっと良いですね。
10月18日からのCSファイナルまでは、ラグビーW杯の日本を心置きなく応援して、10月28日の日本シリーズ第1戦の時に、丁度W杯決勝で日本が戦っていたりする奇跡が起こってたら、もう死んでも良いですね。
阪神リーグ優勝 感謝!!