島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

112‐1霊元天皇

2022-09-28 | 天皇陵巡り

 ちょこちょこ行ってる小浜のケーキ屋さんでハーゼルナッツがまぶしてあるこれを食べました。

アイスクリームでもありませんでしたし、冷たいケーキでもなく、食べるのには時間もかかって、不思議だが美味しかったこれはなんと言うんですかね。

と言うことで、月輪陵ですよ。

 第108代後水尾天皇(1596~1680)(在位1611~1629)の第19皇子で、母は若い園国子(1624~1677)の高貴宮(アテノミヤ)は、生後すぐに兄帝後光明天皇(1633~1654)(在位1643~1654)の養子となり、4歳で識仁親王(サトヒトシンノウ)と親王宣下され、9歳で第112代霊元天皇(レイゲン)(1654~1732)(在位1663~1687)となりました。

 これで後水尾天皇の子からは4人が天皇になったことに成ります。

 19男が早々と皇位継承者に成れたのは、園家の力なのか時世なのか、何故だったのでしょうね。

 そして霊元と言う追号が、古代の第7代孝霊天皇と第8代孝元天皇から一字ずつ取ってつけられたのですが、何故なんでしょうね。

 霊元天皇の中宮は鷹司房子(タカツカサフサコ)(1653~1712)でしたが男子は生まれず、他に14人の妃に18人の皇子と14人の皇女をもうけ、典侍松木宗子(マツノキムネコ)(1658~1732)の産んだ第4皇子朝仁親王(アサヒト)(1675~1710)が次の第113代東山天皇になっています。

 これは月輪陵(ツキノワノミササギ)を横から塀越しに眺めた写真ですが、たくさんの石塔のどれが誰のかは全く分かりません。

 霊元天皇の在位期間は25年ありましたし、最初の20年間は父後水尾上皇が院政を敷いていましたが、朝廷儀式の整備などにも力を注ぎ、歌道の方にも才能を発揮し、また徳川幕府に対しても強い態度で出ることが多く、これまで押され気味だった朝廷の面目を一新した功績は大きいようです。

 制札6番目に名前があります。

 高野山奥之院の弘法大師霊廟の手前の左手に、写真の 霊元天皇歯塔 以下二十四塔 が有ります。

高野山にお参りされる時は、頭に入れといて下さい。

コメント (4)
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