22歳で亡くなった第110代後光明天皇(1633~1654)(在位1643~1654)には、典侍庭田秀子(ニワタヒデコ)(?~1685)との間の孝子内親王(タカコナイシンノウ)(1650~1725)しか子はいませんでした。
大通りに面した一画にある般舟院陵(ハンジュウインノミササギ)に一歩入ると、写真のように静かです。
したがって、次の天皇には異母弟が成りましたが、孝子内親王は嫡流の皇女として重んじられ、またもしもの時の中継ぎ天皇として使えるかもしれないとの思惑があったのか、出家や摂関家に嫁ぐこともなく、生涯独身を通し76歳で亡くなり、この般舟院陵(上京区般舟院前町・千本今出川)に葬られました。
制札後ろから5番目に後光明天皇皇女孝子内親王墓とあります。