島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

12≠R景行天皇皇子 日本武尊の4番外

2017-07-08 | 天皇陵巡り
  
 以前熱田神宮に行った時に、その横にもう一つの日本武尊の白鳥御陵を見つけてしまいました。
熱田神宮駅から少し歩いて、白鳥古墳と本居宣長歌碑の道標が目印です。
   
 民家の間の狭い道を通って行くと、6世紀初めころの全長74ⅿの前方後円墳が、かなり削られたまま残っていました。 
 伊吹山で亡くなった日本武尊は、その地能褒野から奈良の琴弾原、そして大阪古市の白鳥陵にと、次々白鳥になって飛んでいったのですが、最後ミヤズヒメが恋しかったのか、この熱田の宮近くに飛んできて、降り立ったのがこの陵だったとのことです。
   
 拝所も作られていましたが、どうもここは宮内庁公認の指定陵ではないようで、番外になりそうです。
  
 白鳥山法持寺の裏に残る小山がこの陵です。
この寺は30年間名古屋場所の三保ヶ関部屋の宿舎になっていたので、北の湖の記念碑がありました。
また、ここは東海道の道筋でもあったので(最近のブラタモリでやっていた、七理の渡しの船着き場に近い)、芭蕉や若山牧水の歌碑もありました。
   
 日本武尊、古事記最大級の英雄だと思っていましたが、武勇伝としてなら、何故天皇にも成れなかった皇子の日本武尊を主人公にしたのか、景行天皇の武勇記にしなかったのか、不思議に思います。
 また武勇記といっても、実の兄を平然とちぎって殺したり、女に化けたり、剣を木刀に替えるなど、マッチョの笹野高史のコマーシャルではないですが「ひっきょうだろう!」という手を使って征伐したりしています。
また、女の身代わりで難を逃れたり、計略にはまった時も人から貰ったもので助かったり、最後は伊吹山の神をあなどったために衰弱して、なんか英雄らしからぬ死に方をしています。
 それほど勇ましくない英雄伝を、こんなに長く記述した古事記や日本書紀の意味合いがなんか分かり難い、4回(四つも陵があったので)の日本武尊の話でした。
                     やっと終了

    返事
花水木さん:介護での尻拭き、
    トイレで用を足せる人は短時間なら立位可能なので、
    介護の人は立たして後始末をされていますよ。
和さん:自動水洗機能に慣れると、外でトイレを出た後、
    流したかどうか不安になって、戻って確認するときあります。
     1週間ほど前にTVで大瀬崎灯台を30分ほどやってました。
    懐かしくて、単に灯台が写ってるだけなのに、涙目になっていました。
    五島の皆さんにもよろしく!!
大雪男さん:私は体が固く、背中はまったくかけません。
    前に屈んだぐらいでは、手は肛門に届きませんよ。

コメント (3)
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