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三重県亀山の能褒野墓に葬られた日本武尊(ヤマトタケル)は、八尋もある大きな白鳥になって大和の方向に飛んでいって、ここ奈良県御所市の琴弾原(コトヒキノハラ)に留まったそうです。
民家の間の道にある看板に沿って左に曲がります。
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この民家の塀沿いの坂道を上がった所が、白鳥陵(シラトリノミササギ)と書いてあった二つ目の墓、日本武尊琴引原白鳥陵でした。
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今までの陵や墓と違って、ここの拝所は質素でしたし、宮内庁の看板も立札のみです。
前回書いたように、九州でクマソを退治して日本武尊となったヲウスノ命は、帰りに出雲に寄りました。
ここで武勇を誇る出雲建(イヅモタケル)と友達になったふりをして、お互いの剣を交換し(自分の剣は木刀に替えた後にです)、その後太刀合わせを申し出て、相手が交換した日本武尊の木刀でまごまごしてる間に、相手から交換された太刀で切り殺してしまうという、またまた卑怯な手で出雲建を退治したそうです。
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大和に帰ったとたんに休む間もなく、またもや父の景行天皇から、今度は東国征伐を命じられた日本武尊は、伊勢で叔母のヤマトヒメに父の薄情さを嘆き、今度は草那血?クサナギノタチ)と嚢(フクロ)を貰って東国へ出発しました。
続く
返事
花水木さん:ボケてきたのか計算できなくなっていますね。
本文も訂正しました、ありがとうございます。
息子が二人とも下宿で家を出てからは、
トイレを汚すのを息子のせいに出来なくなって、その頃(50過ぎ)から座っています。
最初の頃は、一緒に便が出ていましたが、今は小便だけ出来るようになっています。
しかしながら、そうしてからは男としての能力が低下していったような気がしますので、
若者には座位はお勧めできません。
和さん:今城塚古墳が高槻でしたね。
本文も訂正しています、ありがとうございました。
大雪男さん:つま先を上げてみましたが、効果は不明確ですよ。