島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

12≠R景行天皇皇子 日本武尊の3

2017-07-05 | 天皇陵巡り
  
 九州の熊襲退治から帰るやいなや、日本武尊は父景行天皇の命で、東国の蝦夷征伐に旅立ちました。
前回書いたように、伊勢で叔母に愚痴を述べていましたが、尾張ではちゃっかりミヤズヒメをナンパして、結婚の約束もしています。
 相模の国では、国造(クニノミヤツコ)に誘いだされた日本武尊は、野原で火に囲まれた時、叔母に貰った草那血?クサナギノタチ)で草を薙ぎ払い、貰った嚢から火打石を取りだして向火を付けて難を逃れました。
その後は逆に国造一族を滅ぼして、その地に火を付けて焼き払ったので、この土地を焼遺(ヤキヅ)と言うそうで、今の静岡県の焼津の地名の由来になりました。
  
 東国征伐で他の有名な話は、一行が浦賀水道を船で渡っている時に、急に暴風雨に襲われ、その時突然一行に加わっていたかの如く出てきた后のオトタチバナヒメノミコトが、身代わりとなって入水し嵐をおさめたそうで、その場面を日本画で見たことがあります。
 また、オトタチバナヒメノミコトの死を日本武尊は嘆いて、「あずまはや」(ああ我が妻は)と言ったので、この辺りの国を「あずまの国」と言うようになったそうです。
  
 三つ目の日本武尊の墓 白鳥陵古墳(前の山古墳)は、長さ190ⅿの立派な前方後円墳で、古市古墳群の一つで古墳時代後期の築造です。
 前回の奈良県御所市の琴引原白鳥陵から飛び立った白鳥は、ここ大阪府羽曳野市まで飛んできてここに降り立ち、陵となりました。
今までの日本武尊の三つの墓を合わせて、白鳥三陵と言うそうです。
   
 大きな周濠もある立派な前方後円墳の白鳥陵(シラトリノミササギ)、天皇でもなく単なる皇子なのに、前回の御所市とここだけは墓ではなく、例外的に 陵 と書いてありました。
  
 拝所の周りは綺麗に整備されていますが、普通の新しい家がすぐ近くまで迫っていて、路地を抜けていくような感じです。
さすが大阪郊外、土地は有効活用されています。
 この東国征伐の後尾張に帰った日本武尊は、行きにナンパしたミヤズヒメが生理中でもあるのに寝所に入ったり、もひとつ意味不明の事があったりした後、伊吹山で神のたたりがあったように死にました。
                   もう一回続く

      返事
花水木さん:同時に出たから自分は外人と思わず、
    遠慮してハーフと言うところに、花水木さんの謙虚さが出ていますね。?
     格調高い私からの疑問ですが、
    私は腰を便器から浮かして中腰でないと、尻を拭けません。
    座ったままではどこから手を入れていいのか、隙間がないからです。
    それをおかしいと言う人がいます。
     皆さんは大便後尻を拭く時、洋式便器から腰を浮かして拭きますか?
    浮かして拭く派の私は、我が家の新しくなった自動洗浄トイレだと、
    拭いてる間に水が流れ出して、いつもあせっていますよ。
和さん:謙虚な人と格調高い人との鰍ッ合いを、
    楽しんでいただいている和さんは、どんな人ですかね?
大雪男さん:立ってしても、排尿後のすっきり感乏しくなっています。
     今の阪神の味方は、雨だけです。

コメント (2)
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