久賀島の東海岸に出ました。
蕨の集落と奈留瀬戸、そしてその向こうには懐かしの奈留島が見えてきました。
奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場の総本山である清巣Zンターの白い建物も拝めます。
目の前の小さな島は蕨小島と言って、日本一小さい有人島らしいですが、立派な家が建っています。
今回久賀島を歩く楽しみと目的の一つは高麗地蔵、首が長いのでくび長地蔵とも呼ばれているお地蔵さんに遭うことです。
久賀島の説明のために同行していただいた女性が案内してくれなければまったく判らない、小さな民家のような大師堂が墓地の中に有りました。
その一角に高麗地蔵が祭ってありました。
お供え物も新しく多く、豪華な袈裟?も着ていて、この地区の住民の信仰の厚さがうかがえます。
民俗学者柳田国男も伝える「高麗島の伝説」
昔、高麗島という富裕な小島がありました。そこに祀られていた地蔵様が信仰深い人の夢枕に立ち、
「余の顔色が変わった時は、この島に一大事が起こるので、島から逃げ出しなさい」と告げられました。
その話を聞いた心善からぬ者が、いたずらで地蔵様の顔に赤絵具を塗りつけて、皆を驚かそうとしました。
それを見た島民は驚いて用意した船でお地蔵様と共に逃れたその後、
島は海底深く沈んでしまったそうです。
脱出した人々は久賀島の海老の養殖所近くの大野浜にたどり着き、その後この蕨に移り、
その人々が使用した井戸は「高麗井戸」と言われ、今もその子孫の「高麗直り」と言う一団の人々が
この大師堂周辺に住んでおられるそうです。
以前福江の歴史講座で貰った何も着けていない高麗地蔵の写真を見ると、お地蔵さんと言うより弥勒菩薩のような感じがします。
女性的ですので、一時はマリア観音として使用されていた可能性も有るそうです。
この高麗島伝説には続きが有ります。
五島列島の北西30~40㎞の沖に高麗曽根と言う、突然海の真ん中に水深5mぐらいの浅瀬があって、その底には人工の建造物のように見える巨岩があるようです。
奈留島の漁師さんに尋ねたら、「大潮の時は本当に浅くなり、底が見える所がある」と、知っていました。
この高麗曽根が、沈んだ高麗島の跡だと言われているそうです。
返事
喜珍さん:奈留町から五島市に変わって、奈留島ゴミ箱霊場は均一化される危機に立たされているのですかね!
残してもらう為にも最後まで霊場巡りをしておくつもりです。
花水木さん:花水木さんも第2の弾圧者にならないように、
優しくしてあげてくださいね!