先週は小学校の同窓会で、京都へ帰りました。
私の小学校は、その頃、い・ろ・は組の3クラス、一学年約160名程。
その約3分の一が集まりました。
手術したとか、薬が離せないとか、癌になったとか、そして死んでしまった子も・・・。
都市のドーナツ化現象で児童数が減り、ずっと前に廃校になってしまった母校の見学会もありましたし、
こんな漫画の歴史本も貰いました。
京都市の真ん中、烏丸御池の角にあった小学校は、在校中の50年前に、
「この地下を地下鉄が走って、ここで東西南北の線が交差するのです。」と説明されていたとおりに、地下鉄も出来、便利になり、なんと世界で一つの、
京都国際マンガミュージアムになっていました。
京都へお越しの時には、神社仏閣だけではなく、ぜひ一度訪れてください!
昔の教室は事務所になっていて入れませんが、あっちこっち懐かしい物がまだ残っていて、皆と喋っているとだんだん記憶がよみがえり、楽しかった。
褒められ好きの子供だった私が、聡恣又ヤでずっと磨いていた玄関の真鍮の飾り(看板の下)も、まだ有りましたが、すっかり錆びついていました。
校庭もこうしてみると狭くて(奈留小学校の三分の一ぐらいか)、6年の時の遊び時間は校庭に出られなくて、屋上で遊ぶように決まっていました。
そう言えば、放課後のソフトボールも、御所やまだ車も少ない御池通りでしていました。
又、この3階の窓から、先生に足首を持たれて逆さまに吊り下げられた記憶があります。
やめろと言われた雑巾投げを続けていたためで、高所恐撫ヌの私ですが、その時には以外と恐くなく、地下の窓ガラスがやけに輝いていたのを憶えています。
そうです、もう半世紀前の話なんですね!!