このgooのブログは一日に訪れた人と一日に何回見られた(開かれた)かの表示をしてくれます(どこもそう?)
一日何回見られたかは、過去に1000回(一日に千回この長い文章を読んでくれたと思うと・・・うれしい)を何度か超えたことがありました。
でも訪れた人はだいたい100人台をうろちょろしています、所が昨日のカウンター数は246人をしめしていました。246人が775回見てくれました、う~む何故増えたんだろう、でも心から感謝です。これからもザックリとしたブログ書き続けます。
さて表題二番目の「アール、ブリュット」とは1.11の朝日新聞に載っていた記事です。この記事を読んであることを思いだしたので、手帳に書き留めました。
書き留めた文を載せます:(途中省略しているところがあります)
あらゆるマイノリティーを誰も排除せず、「違い」をハンディーにもしない。そんなごちゃ混ぜの社会を目指す一般社団法人「get in touch」(GET)を設立した東ちづる(女優の)さん。
アールブリュットとは専門的な美術教育を受けていないアーテイストの作品で、日本では障害者アーテイストの作品を指している。
このアール、ブリュットを通じてGETの目指すものを実現。
3.11(東日本大震災)で感じたこと「今すぐ必要なのは、正しい知識より、誰も排除しないこと、一緒にいること」=生きづらさを感じているマイノリテイーに対し社会が対応できていないことに憤り「アールブリュット」(作品展で作品を購入できる)を
「施しでなく、チャンスをください」 障害者アートだから購入じゃなく、がんばっているから素晴らしい訳ではなく、そこにあるのは「いいものはいい」という気持ちだけ。 ・・略・・
障害者アートだから良いのでなく、作品それ自体が良いものはいいという風に判断して欲しい、と述べてる部分を読んだとき、私は約18年ほど前、西都青年会議所の事業(委員長は西山君だったと思う)で筋ジストロフィーの患者さんと霧島にキャンプをおこなったときのことを思い出しました。
私は確か担当副理事長でした、筋ジストロフィーとは何かから、調べ、ある施設に視察に行きました。
山下さんという女性の方が施設の代表をしており、山下さんから色々と話しを伺いました。
山下さんも筋ジスの患者さんですが、山下さんが若い頃(症状がまだ軽かったので)筋ジスの子どもの患者さんのケアをしていたそうです。
その時代は筋ジスの患者が身内に出ると、ひたすら隠すため奥の部屋にとじこめっきりということが多く見られたそうです。そして幼年時筋ジスにかかると成人まで生きられないと言われていましたし、事実多くは成人前に亡くなっていたそうです。
山下さんは子ども達の死に水をとるようなこと、つまりもう亡くなりそうだと連絡が入ると、その家に行き、筋ジスの子ども達の最後の話の相手をしていたそうです。
子ども達は亡くなるとき「どうして、こんな事に・・生まれてこなければ良かった」とか「こんな体に生まれ、お父さんお母さんに申し訳ない、親不孝をしてしまった」こんな言葉を言ったそうです。そのたびに心から理不尽な病への怒り、亡くなっていく子ども達のあまりの不憫さに泣けてしょうがなかったといっていました。
それで、山下さんはせっかくこの世に生を受けたのに、この世に生まれたことを後悔するような人生を送らせたくないと、病身の実ながらあらゆるつて、あらゆる補助金を、あらゆる可能性を信じ駆け回り、ついに施設と通所作業所を作りました。
そこに私たちは行った訳です、その通所施設は印刷会社をやっていました。筋ジスの患者さん達が車いすや親におくられて通ってきていました。そこで筋ジスの通所者が作ったカレンダーなど見せてもらったのです。
私はその時(もう昔のことで、細かい言葉は覚えていませんが)「このカレンダーは幾らで売っているのですか?(買ってあげようと言う、施し気味の言葉です)」といいました、が。
山下さんは「有り難うございます、でも可哀想だからとか、がんばっているから とか言う理由で買って欲しくはないんです。他の印刷所のものと比べて良いから、つまり良い仕事をしているからという理由で買って欲しいのです」
このやりとりは、ずっと心に残っており、前記の新聞記事を見て思い出した訳です。
ところで通所作業所に通い始めた患者さん達は、自分が働くことによって、賃金をもらい(これは、健常者に比較すると安いものです、そこにも山下さんのやさしい強さがありました、つまり甘やかさなかった訳です)ます。自分がこの世に生を受け、不自由な体だけれど、働くことができたという事にある種の「自己肯定感」が生まれました。つまり山下さん曰く「なかなか死ななくなったのよね~(うれしそうに)」
初めてもらったお給料で、お父さんやお母さんに贈る物をとてもうれしそうに買う姿を見ることができたとき、「がんばってきて良かったと思うの」。山下さんはその時私に言いました。
凄い人がこの世にいるものだと、至極感動した覚えがあります(私はその後何度か交流をしました)
さて財政破綻の街の件ですが(まだ書くの・・という声が聞こえる。)私が財政問題を調べているという話しは何度かしました(これは何回も研修を受けたいです、今は昨年の資料を読み返すことがしかできません・・)。
財政破綻というと北海道の夕張市の事がよく話題になりますが九州にも破綻した街(て、いうか全国結構破綻した自治体あります・・クワバラクワバラ)があるのです。その街が破綻したらどうなったかちょこっと書いてみますね。
場所はF県A町です。負債が32億円で破綻、その後水道料は12%UP、町営住宅家賃、町営プール、野球場使用料軒並み10~20%up。汚水処理費60%up、し尿処理代100%up、敬老年金は半分以下に、職員数は同規模自治体の87%、町長公用車は軽トラに、市道陥没したら職員自己補修、職員給与は自治体最低水準へ、庁内のクーラー買えず気分の悪くなる職員続出、町営プールがちょこっと壊れたので国に届けずに補修したら(金額10万程度)、国から始末書を提出するように指導される・・以下エトセトラ・・
破綻した街は大変だなと思った次第です。
西都モノクロームphoto