西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

第4回西都市議会定例会 開会しました。そして東京巡礼

2012-09-03 21:03:41 | 日記

本日より9月議会です、9時から会派会議、議会運営委員会そして10時から本会議となりました。

まず議長報告がありました。7/5西之表市での「小規模市の地域戦略を考える地方議会ネットワーク議長会」、そして「宮崎県市議会議長会臨時総会」についての内容です。

その後今議会の会期が決定されました。会期は本日9/3より10/1までです。

一般質問は9/10.11.12の3日間、質問者は10名です。ちなみに私は初日の3番目に決定しました。

いつもと違って会期が長いのは、後半決算委員会が行われるからです。

さて本日は15議案と一つの報告がなされました。15の議案の内3つが一審議(委員会に付託されず本日採決)です。どういった内容だったか紹介すると、(明日には新聞等で発表されると思いますが)西都名誉市民の称号を贈ることを議題としました。弥勒祐徳先生への名誉市民称号です、討論無く勿論異議無く全員一致で議決しました。弥勒先生おめでとうございます。

2つめは人権擁護委員候補の推薦の件でこれも異議無く全員一致で決定しました。

一審議の最後は西都市議会の議決事件に関する条例の制定というもので、簡単に言うと、・基本構想の策定、変更に関すること ・姉妹都市の締結に関することの2件を議決をすべき事と定めたモノです。 これも別段異議無く全員一致で採決しました。

明日から一般質問の日までは「議案熟読」期間です、提案された議案を深くそして市民の代表として読み解く時間です。

一般質問の準備もありますが、同時にしっかりと要点を把握したいと思っています。

さて一般質問の通告を出しました、今回はこのような内容で質問します。

1.教育について
 (1)いじめ問題について
  (2)地元を誇れる教育について
  (3)子ども議会について


2.医療問題について
  (1)二次医療圏統合の問題について
   (2)災害拠点病院について


 しっかりと準備したいと思います。お楽しみに。

さて出張の続きです、全小が終わり、少し時間がありました。私の敬愛すべき写真家の足跡を今回もたどってみました。(注意、デジタルカメラで写真は撮りませんでしたのでブログに載せる写真はありません、写真家として集中してライカにズミクロン50mmだけで撮りました。いずれまとめてここに載せます)

何度かブログにも書いていますが、私が写真を好きになったのは(それまではカメラが好きでした)、荒木さんの写真に触れてからです。

「わが愛陽子」という写真集は、ものすごい衝撃を受けました。そこに写っている写真家と若妻陽子さんの日常の写真は、私の体の隅々まで染みこんでいきました。写真って、こんな風に見る人の心を揺さぶるんだと思いました。

数年前も東京巡礼と言うことで三ノ輪や豪徳寺(両方とも夫婦が住んだところです)をカメラをもってスナップしたことがありましたし、このときの写真は「東京巡礼」と言う題で写真展をしました(以前このブログにもブログ写真展として発表しています)。

今回宿泊したところが浅草と言うこともあり、例のグレゴリーを背に荒木さんが生まれ、住んでいた三ノ輪まで歩きました。

背中にグレゴリー、肩からタスキにライカを掛けてひたすら歩きました。

浅草から(昔の男の大歓楽地)吉原を通り三ノ輪に行きました。三ノ輪に行く目的は前に行ったとき見つからなかった、荒木夫妻が住んだ、フラワーマンションを探すこと、そして陽子さんの眠っている荒木家のお墓にお線香を手向けることです。

前回もぐるぐる回ったのですが分かりませんでした、写真集に銭湯帰りに実家の前で写っている写真があるので実家(浄閑寺の真ん前、今は駐車場になっている)の近くだろうと山を張ってみました(勿論建て替えられて無い可能性もあります)。あえてぐるぐる回りながら探す事を楽しみました。

ですが中々見つかりません(汗だくです、多少疲れてきました)、それで昔からやっていそうな車修理屋さんに聞きました。「あの~、すいません私このあたりに住んでいた写真家の荒木さんファンなのですが、新婚時代住んでいた柳下フラワーマンションを見たいなと思って探しているんですが、知りませんか?」ご主人「荒木さんなら昔から知っているよ、実家はそこだよ、フラワーマンション?そこに住んでいたっけ?」「ハイ、確かに住んでいたんです」「そう、ま~いいや、フラワーマンションならその角を曲がって直ぐのところだよ」

親切に前を歩いて教えてくれました。見つけましたフラワーマンション。想像していたより大きなマンションでした。ビル銘の表札は今はどこにもなく、もし聞かなければ今回も不明のままでした。

建物を見ながら、あの写真集の時代に思いを馳せました。電通という大会社を何の目算もなく辞め、全く食えないフリーの写真家になった荒木さんを支えた陽子さんの姿がそこに見えました。貧しくても、希望だけはあった若夫婦の姿です。暫く近所をぐるぐる散策しました(まるで不審者です)。

念願のマンションを心ゆくまで見た私は、浄閑寺に行きました。浄閑寺は別名「投げ込み寺」とも言われるお寺で、身寄りのない吉原の女郎さんがそこに葬られ続けました。

お線香を買って陽子さんのお墓に供え(あらためてお墓を見ると41歳で亡くなっていたんです、余りに若い)、手を合わせました。そして女郎さんが眠っている碑のところに行き、そこでも手を合わせました。

「生まれては苦界し、死しては浄閑寺」(碑文です)・・悲しいですね。

三ノ輪時代の二人が生活した場所を確認できて、良い東京巡礼でした。

 

コメント
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