西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

教育

2011-04-16 22:12:47 | 日記
議員になろうと思った要因の中で、教育は大きなテーマでした。
市民として教育をみて、保護者としてみて、PTA役員としてみて、そう言った中で普遍的な教育の形はあるんだろうかと、思い続けてきました。

いろんな国で、いろんな方法の教育があります。
教育とは何か?と問われたとき、私はこう答えていました(違うと思われる方がいるのは承知の上です)「人として生まれたら、皆幸せになる権利がある。自分が幸せになるために必要なものは何かを自ら見つけられて、そのために自ら努力しきれるための力をつけること、教育そのものは目的でなく、手段の一つ」

教育がテーマの講演会はなるだけ聞こうと思っています。
今日都城の南九州大学のキャンパスで「デンマークの教育に学ぶ」という講演会がありました。
デンマークは国民が自分たちは幸せと感じるかという世界的アンケートで世界一幸せであると結果が出たところです。
どんな教育をしているか興味がありました。
講師はデンマーク(この国のノーフェン市?)でペタゴウという資格を得て教師をしている加藤幸夫さんです。
ボーゲンセ国民学校で教鞭をとられています。

デンマークと日本の学区制の違い、すなわち総合幼稚園から学童への進み方、また半年に及ぶ事前教育(学校に入る前)が全く違うなと思いました。
デンマークは森に教育が十分存在していると考えているみたいで、総合幼稚園のなかで「森の幼稚園」をつくり、自然に触れさせながら学んでいく形がありました。
そう言った教育をしながら、デンマーク自体も教育に試行錯誤していたみたいでした、それは6つの教育指針を打ち出したことに見て取れます。
「発達ー社会的能力ー言語言葉ー身体と運動ー自然と自然環境ー文化」
これが6つの指針です、そしてそれぞれに明確な答えが用意されていました(例えば、何故運動が教育に役立つの?とか言う質問に対して答えきる)

実務的な話を聞いて、腑に落ちた事があります、それはあえて危険を残すと言うことです。
学童の校舎の廊下にキャンドル(ローソクの明り)を置いています、日本ならさしづめ「火事になったら」とか「やけどしたら」とかいう理由で実現することは難しいでしょうが、それに対する答えは「子供たちが注意をすることになる」です。
実体験を学ぶためにあえて置いてあるとのことでした。

日本を見ると、川には近づくな、またさくで入れないようにしてあり、生徒の無事を確保しています。
子供時代(危険に対する吸収力を学ぶ)に痛い目にあわないで、それで大人になって大丈夫なんでしょうか?(取り返しの付かない危険に合いそうな気がする)。
同じ事を宇宙飛行士の毛利さんの言葉から聞きました「子供の頃、野山を駆け回ったことで、危機管理能力は身に付いた」

ここで特筆すべき事は、森にいったら、また学校の中で「子供の自由にさせています」それが可能にするために、実は教師たちは綿密な準備を、シュミレーションを元に行っていると言うことでした。
そうやってつくった環境で「子供たちに自ら興味をもたせきる」ことにおいて、教育をされています。

うれしい事に、このような学校は日本全土でも600近くあるみたいです(九州は残念ながら(涙・・))コミュニティースクールと呼ばれているみたいです。

講演のあと、沢山の質疑がでました。
それらにたいする答え(南九大教授)の中に、「私は沖縄の小学校5、6年生と共に総合学習として、ケラジカの生態を観測しています。この発表はなかなか評判がいいです。でも私は子供たちをケラジカの専門家につかせるのが目的でなく。大人が驚愕するような発表をする準備に於いて、「学ぶ」と言うことを身につけて欲しい。つまり生態観測は目的でなく、手段なのです」

私は子供たちに空手を教えています、全く同感と思いました。競技空手家にするために
教えているわけでなく、教え子が空手の稽古を通して「生きる力」を学んで欲しいと思っているからです。
礼儀、非暴力(空手は暴力と思われる方がいるかもしれませんが、暴力をふるわなくてすむように空手を学んでいます)、集中力、真剣さなどを知らず知らずのうちに学んで欲しいということです。

目的は各自の幸せな人生のため。
そこに行く道は無限にある、行かせる事が出来る人が教育者だと思いますし、そのために教育者は研鑽しなければなりません。

コメント
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