西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

手をいれる

2011-03-04 23:09:56 | 日記
よく料理番組なんかで、☆☆☆お店の紹介で「うん、この素晴らしい料理、料理人が一手間かけてますね」と言ってますよね(たぶんです)。
一手間つまり、更に人の手が入ったものと言う意味だと思うんですが、よく理解ができます。

私はたまに襟のないワイシャツを着るんですが、これは妻が補修した物です。
大人になると(以前ブログに書きましたが)とかく襟が汚れます、そして最初に襟がほころびてきます。
妻はそんなシャツの襟の部分を切って、切ったところを補正して作り直してくれました(新しいシャツを買うお金なんか無いよ・・と言うことかもしれませんけど)。
言ってみれば、廃棄される物のリサイクルなのですが、妻の手が入っている(りゆうはどうあれ)と言うことで、そのシャツに愛着を感じます。

VANのジャケットも好きできす、これはとても安く手に入れた物で衝動買いでした。
着てみると、袖が長く着れなかったのですが、地元の補正屋さん(知っている人です)にお願いして直してもらいました。
手が入ったと言うことで、やはり愛着を感じています。
先日も母から、「靴の補修してくれるところ無いかしら」と聞かれ、知り合いのパオのサンハウスに持って行き補修してもらいました。
補修した靴をみて、母はいとおしそうに靴を見ていました。
再び命をもらった靴を喜んだのか、また私の知らない靴を巡る記憶に喜びを感じたのかわかりませんけど。

建築業をして感じるのですが、1950年代から工業が発達して、熟練した大工さん以上の正確な建材ができました。
合板、化粧ベニヤ、クロスなどです、でもこれらは新品が最も美しい物で、時間と共にその輝きは失われてきます、傷は傷でしかありません。
「柱の傷は~一昨年の5月5日の背比べ~」という歌がありますが、ものは時間の経過と共に記憶(思い出)という価値が積み重なってくるのが「本物」だと感じます。
その時間の経過に耐えうる品質(本物、建築で言えば無垢材、土壁など)が大切なのかなと思っています。
そう言えば私の好きなカメラは経年に耐えるものです、それはライカで、ローライで、レチナで、昔のニコンです。

大量消費、大量生産もしくはスクラップ アンド ビルドが今の繁栄を作ったとは思っていますが、今からは熟成の時代と考えるべきかもしれません。

先に産業革命等の洗礼を受け、そして30年前に落ち込んだ(英国病とか言ってた時代がありました)欧州の考えは熟成に向かっている、そう思えます。
考えてみると、大量生産消費が全てなら、地方は都会に勝てないし、また安くものを作ると言うことでは中国を始めアジアの国々に日本は勝てないでしょう。

価値観の転換をすることができれば、つまり「あえて値段の高い「本物」を求め、大切に使い、補修しながら愛着を増していく」と言うことなのですが、その価値観が浸透していけば、地方でも生きるすべがあると思っています。
とくに食べ物なんか、都会の人たちが逆立ちしても手に入れられないものが、手にはいるのですから。

ジョン・フォードの映画で未婚の女性がこつこつと先祖からの家具を集めて、補修して、大切にしながら自分の結婚生活に夢見るシーンがありました。

そういうのって良いなと、その時心から思いました。
コメント
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